終わる世界の『続』②――青
改めて全室を回ってみたところ、元住人の姿は見当たらなかった。置いてある物からして、どうやら老年の夫婦だったようだ。逃げたのか元々留守だったのかは判らないが、いつも家に押し入るとき、今回は二パターンの亡骸のどちらだろうと内心身構えてしまうから正直助かった。最早生き残っているのはほんの一握りだろうから、せめて苦しまずあの世に旅立ってくれていればいい。――なんて偽善者めいた考えまで起こしてしまう。
トイレのほうはというと、目論見通り、積み荷に入っていた水汲みポンプでタンクに小川の水を引っ張ってくることができた。隣の浴室を見てみると、こちらは壁も崩れておらず、浴槽もしっかり残っている。しかもその浴槽が掘りこみ式になっていて、恐らく小川よりも位置が低い。
隕石の被害に遭っていない納屋を探してみると、長いホースが見つかった。周りに何もない田舎だからか様々な物が買い置きしてあり、トイレットペーパーなんか十二ロール×八パックで計九十六個も積み上がっている。炭の入った麻袋も三袋。アルコールストーブの燃料が切れても、これを使えば問題ない。炎が燃え上がらず分量の調節もしやすい分、アルコールストーブより安全かもしれない。他にも使えそうなものから単なるガラクタまで所狭しと詰めこまれており、滞在にまったく支障はなさそうだ。
とりあえずホースだけを持ち出して、先端の片方を茶の間で見つけた輪ゴムと目の粗いガーゼで塞いでから小川に浸した。風呂場の窓を経由させてホースを風呂場まで伸ばしてくると、残ったほうの先端を口に咥える。吸い上げるのは骨が折れたが、一旦浴槽に水が流れ出してしまえば水流はとまらなくなった。サイフォンの原理だ。
これでいつでも自由に水が使える。少量の湯さえ沸かせば温くとも立派な風呂に入れるし、浄水装置を使えば調理用水も飲み水にも困らない。ここまで整った環境は鉄塔の……あの忌々しいコミュニティにもなかったから、隕石落下後初の文明的インフラ設備といえるだろう。
あとは畳に隕石の穴が開いた寝室で押し入れからオレ用の布団を引っ張り出し、外で砂埃を叩き落としている間に日が暮れた。ミィと同じ部屋で布団を並べて眠り、翌朝は三十八度の体温を確認した。
ノートに記録したあと、田舎特有の広い玄関口でアルコールストーブを使い食事を作る。台所は隕石の被害が大きく使用できなかったというのもあるが、燃える恐れのない石を敷き詰めて作られた三和土は調理をするのにうってつけだ。
食事のあとは洗濯をし、トイレと浴室、廊下に玄関を掃除する。ついでに使わない他の部屋もザッと片付けた際、寝室にある年季の入ったタンスの中から、赤い腹巻と赤い毛糸の靴下を見つけた。調度品と違って随分と派手なセンスだ。
積み荷にあった防寒具はすべてミィには大きすぎるので、午後はこの腹巻と靴下をマフラーと手袋に作り直してやった。といっても毛糸を解いて編み直したワケではなく、マフラーは腹巻を切って細長く縫いつけただけ、ミトン型の手袋は靴下の踵の部分に親指を出すための穴を開けただけというお粗末なものだ。
それでも「飽きたー。もう眠くないー」と不平タラタラだったミィは、大喜びして毛布の中でそれらを身に着けていた。親からもらったプレゼントに喜ぶ子供みたいだ。そういえばオレも、父さんからもらった『星の王子さま』をしばらくの間抱きかかえて眠ってたな……。
ふと思い浮かんだ連想で、本のことを思い出した。まだ当分の間はこの家にいることになるだろう。修復できるかもしれないと、ミィの鞄から『星の王子さま』を取り出した。
本はほとんど乾いており、ものの見事に波打っていた。ページ同士がくっついて、無理に剥がすと破れてしまいそうだ。確か濡れた本は冷凍したあとに重しを載せて伸ばし乾かせばいいと何かで読んだことがある。凍らせることで紙の繊維が縮むことなく水分が蒸発する、いわゆる凍り豆腐――高野豆腐――の製法と同じ手法らしい。
夜中に外に出しておけば凍るかもしれない。しかし今は夕方頃だ。インクが滲んでしまうから、水に浸けるのは凍らせる直前がいいだろう。
「夕飯かな、とりあえずは」
薄暗くなってきた窓の外を眺めながら独り言を言ったら、途端にミィがガバリと起き出した。首に巻いていたマフラーがヒラリと毛布の上に落ちる。
食事のあとは例によってミィの検温タイムだ。食器の後片付けをして戻ってみると、デジタル表示は三十八度丁度を示していた。
「下がらないな」
朝と同じ数値をノートに書き入れる。
「まだ寝なきゃいけないのー? 退屈~」
食事はお代わりするし、こんなに元気そうなのに。首を捻りながらも、駄々をこねて手足をばたつかせるミィに毛布を被せる。
「まだ駄目だ。お前の平熱知らないけど、あと一度は下がらないとな」
ミィが体温計の表示窓を指差して、「それって、ここが三と七と四角になればいいの?」
「……よく判ったな。数字の書き方なんて教えてないのに」
「壊れちゃった腕時計に似たような模様書いてあったから。四角はよく判んないけど」
それを聞いて納得する。ゼロをただの四角模様だと思っているのなら、八引く一をすればいいだけのことぐらい、二桁の引き算を習っていなくても予想はつくだろう。
「四角はゼロだな。デジタル数字だとその形になるんだよ」
「なるほど。時計の十の右側の丸かあ」
呟きながら、ミィが大人しく目を閉じる。「今日いっぱい寝たら、明日は三と七とゼロになってるよね」
「そうだな。早く寝ろ」
「うん。おやすみ」
素直すぎて気持ち悪いが、それだけ布団から出られないことに飽き飽きしているんだろう。
「オレちょっと外出たりするからな」
声だけかけて、本を片手に風呂場に向かった。浴槽から溢れている水で本の間に挟まった砂などを洗い流し、びしょ濡れになった本を玄関外の崩れた石灯篭の上に立て置く。
戻ってみると、ミィは毛布の中に潜りこんで眠っていた。なんだかんだ言ってやっぱりよく寝るヤツだ。この調子なら、明日には本当に熱が下がっているかもしれない。
しばらくは音を立てないようにこの家に置いてあった史実に忠実な戦国時代小説を眺めていたが、この終末の世界で歴史をなぞることがふと虚しくなり、オレも布団に潜りこんだ。とはいえ、やはり眠るには早かったらしい。なかなか温まらない布団と一向にやってこない眠気に、ただひたすら寝返りを打ち続ける羽目になった。
翌朝、ミィに体温計を咥えさせてから本の様子を見にいくと、大部分はずぶ濡れのままだった。あれだけ濡らせば仕方がない。凍り豆腐のように気長に凍らせて乾燥させようと一旦ビニール袋に包んでいると、珍しくミィがドタバタと足音を立てて廊下を走ってきた。
「音鳴った! 三と七とゼロじゃないけど、これってどう!?」
髪から落ちそうになったヘアゴムを引っ張り上げて、体温計を突き出してくる。
「うわっ、すごい熱じゃないか! これは当分布団から出られないな!」
「ええ~!?」
途端に及び腰になるミィに吹き出す。確認したデジタル表示は三十六度七分だ。
「冗談だ。やっと下がったな。ま、いいだろう。しばらくは大人しくしてろよ」
「はーい!」
いい笑顔でいい返事をして、ミィはまたドタバタと廊下を走っていった。
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