終わる世界の『起』⑨――青


 もう辺りも暗いから、今夜の寝床を探さなければいけない。

 食料を探したコンビニはあの警官が食い物を漁りにくる可能性があるから却下だ。別に行くあてがあるでもなし、今日くらいは屋根のあるちゃんとした場所で眠りたい。鍵の開いた民家か、なければ窓を割って侵入してもいいだろう。風呂には入れないが、濡れタオルで身体ぐらいは拭けるはずだ。

「ねえ、待ってなの、ねえ」

 山形遊具から出ると、覚束ない足取りで少女が後をついてきた。無視していると、「ねえ、そこな……少年?」と聞き捨てならないことを言い出す。

「どこから目線だ、こら」

 振り返って低い声で脅すと、途端に微笑んだように見える口元が更ににっこりした。

「だって名前知るないから。教えてだよ」

「誰が」

「じゃあ少年くん」

「蒼太だ!」

「そーた! 名前、嬉しい! 聞けるた、やっと! うぅっ、そーた抱きつきたいっ!」

「やめろ! 溶ける!」

「知ってるだよー。名前呼んで我慢だよね。そーた、そーた!」

 嬉しそうにオレの名前を連呼する三十一番にゲンナリした。常に口元が笑っているのも不気味だ。エキセントリックな美少女に一方的に懐かれる――ラブコメでは王道の展開だが、現実になるとこんなに鬱陶しいものなのか。好かれる理由も道理もないから気味が悪いし、平常時ならまだしも今の状況じゃ足手まといになるだけだ。

「お前、なんでオレなんかについてくんの?」

「そりゃあそーたはジブンの命の恩人だし!」

「だから違うって」

「違うくない。そーたは命の恩人。だってさっきだって助けてくれたもんだよ」

「あれは……別にたまたまっていうか咄嗟っていうか。お前みたいな変人猫娘だって知ってたら助けるかよ」

「とかにく! そーたは命の恩人だから、ジブンがこれからは守ってあげるのでね!」

「だから知らねえって!」

 実験施設に入れられてたんだか空から降ってきたんだか知らねえけど、オレはアルビノの少女を助けた覚えなんかない。誰かと人違いしてるのだろう。何度否定してもまったく聞く耳を持とうとしないし、そもそもコイツの言うこと自体筋が通っていない。

 命の恩人の名前すら知らないってどういう状況だ。お前が小さい頃ならオレだってガキだろ。自分で言うのもなんだけど、オレはガキの頃は女みたいに可愛くて近所でも評判だったんだ。今じゃスレて、子供の頃どころか中学時代から考えても人相が変わってしまった。一目見て判るワケがない。全部こじつけ、後出しの口から出まかせだ。

 とはいえ、恐らくコイツの場合は単なる虚言癖ではなく、無意識の処世術なんだろう。この無力な娘は生きるためにそうするしか手段がないから、何がなんでもオレを命の恩人と思いこもうとしているのだ。哀れというより、最早滑稽である。

 埒が明かないから、ついてくるがままにしておいた。油断させておいて、コイツが寝ている隙に姿をくらまそう。



 いくつかの家を物色し、玄関の鍵が開いている民家を発見した。

 中を軽く調べると、台所に二人分のスライムが広がっていたが、それ以外には破損らしい破損もなく、何より風呂場の浴槽に水が貯めてあった。

 ホームセンターから持ってきた引き紐式充電のランタンをつけ、濡れタオルを二枚用意する。三十一番に片方渡して風呂場を離れた。懐中電灯の灯りを頼りに廊下で服を脱ぐ。ふと顔を上げたら、すぐ側に人影が立っていた。

「おまっ! 何出てきてんだ忍者かっ!」

 咄嗟に脱いだ服で身体を隠しながら、足音を立てず忍び寄ってきた三十一番を非難する。

「ニンジャ?」

 首をコテンと傾けた少女は濡れタオルをオレに見せ、「これ、どうするといいの?」

「さっき言っただろ、身体拭けって! 服は明日にでも見繕ってやるから!」

「フク? こう?」

 自分の腕に息を吹きかけ出した少女にガックリと頭を垂れる。

「お前身体拭いたこともないのか? 本当に実験体なんじゃ……」

 渋々自分の腕をタオルで拭いて見せ、風呂場に追い返したが、戻ってきた三十一番はほとんど綺麗になっていなかった。それでなくても片目だし、物を見るときに目を細めたりもするから、視力自体が弱いのだろう。そんなだからオレなんかを命の恩人と勘違いするんだ。

 仕方なしに長い髪だけ濡れタオルで拭いてやったら、湿った髪が気になるのか、いつまでも手で撫でつけたり指に巻きつけて弄っていた。今は家の押し入れに入っていた埃まみれの毛布に包まり寝息を立てている。

 寝ていてもどことなく微笑んでいるように見える寝顔を眺めて、やれやれと毛布を被る。コイツには危機感というものがないのだろうか。一応コイツもオレも年頃の男女だというのに。

 オレ自身、少し懸念していたのだが、完全に杞憂だったようだ。こうして寝顔を見ていても、まったくもってこれっぽっちもそういう気は起こらない。子供みたいな体格とあの性格とはいえ、紛うことなき美少女なのに、オレの女嫌いも行きつくところまで行ってしまったということなんだろう。

 そんなことより、今はとにかく眠りたい。久しぶりの布団だし、今日はぐっすり眠れそうな気がする。コイツが目覚める前に起きられるか判らないくらいに。


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