結ぶと解く
ながずぼん
プロローグ
第0話 おれと序章
2014年。正月休みも終わり、仕事モードに慣れてきた1月中旬の夕方。
窓の向こうの街並みがオレンジ色に染まり、まだ混み合う前の閑散としたファミレスのテーブルに図面を広げてお客さんと打合せ。用意してきた資料ではどうにもイメージが伝わらないようで、その場で余白にスケッチを描いていく。
「おっしゃっていたのはこんなイメージなのかなと思いまして」
描きあがったスケッチをテーブルの対面に座っているお客さんに向けて見せる。
ああ、なるほど、と納得がいったような笑みが浮かぶ。
頭の中のイメージをそのまま相手に見せることができたなら、絵を描くことも、ぴたりと当てはまる言葉を探すことも要らなくなる。意思疎通は難しい。
この仕事をしていていつも思うことだが、そもそも相手がなにを望んでいるのか確信があることのほうが少ない。要求だって決して明確ではないのだ。
しかしあの反応を貰えたということはこちらの意図が伝わったということ。
今日の打合せは上出来なんじゃないだろうか。
―――――
10年ほど前に従兄弟と一緒に内装工事の会社を始めた。
店舗改装の仕事がメインで、おれがデザイン担当、従兄弟が施工担当、どちらも営業兼任でやっていた。
小さい街で店舗もそれほど多くはないが、そこに特化した会社もないので仕事はそこそこあって、可もなく不可もない経営状態だった。
数年前、結婚を機に従兄弟が安定収入を求めて建設会社へ転職することになった。
おれは既に結婚していて子供も2人いて、自分が取ってくる仕事だけでも生活できそうだった。だから、一人社長で会社を続けることにした。
―――――
普段は長野県の南の方で仕事をしているのだが、きょうは縁あって浜松まで出張している。いわゆる紹介受注というやつで、地元のお客さんがこちらのお客さんを紹介してくれた。
桜が咲くころまでに居抜きの店舗をピザ屋に改装する予定。
『アメリカのピザ屋のように』との要望だった。ピザといえばイタリアでは?と思ったが、考えてみれば日本のチェーン店はみんなアメリカのピザ屋だった。
アメリカには行ったことがないし、同じ国でも地域が違えば文化も違うだろうが、細かい事は抜きにして星条旗がはためくイメージが欲しいようだった。
きょうまで打合せは順調に進み、次回でプランが確定しそうな手応えだった。
「それでは2週間後に」と約束をして、会計を済ませファミレスを出る。
風除室を出て建物の角を曲がり、通用口近くの駐車スペースへ向かう。
もう日は沈みちょっと薄暗くなっている。街は妙に静かでほとんど音がない。
店になにかを運んできたらしいトラックがゆっくりとバックしてきた。
エンジン音が聞こえないし「バックします」という警告音も鳴っていない。
サイドブレーキを引き忘れてしかも車止めもしていないから、車が勝手に転がっているとしか思えない。こんなことってあるか?
このままだと自分の車にトラックが衝突しそうだけれど、転がるトラックを素手で止められほど怪力でもないし、いまさら車は動かせない。
ただトラックと自分の車の間に立ちオロオロするだけ。必死で思考を巡らせるも解決策は一向に浮かばない。いや、まじで。どうにかしてくれ…
トラックが迫り、慌てて横へ飛んで避けようと試みたが間髪躱しきれず...
トンッ
おれは時速3kmのトラックにフェザータッチで接触した。
直後、音もなく地面に直径2mほどの真っ黒い穴?が現れた。
何もなかった地面に、スーッと。
光の反射が全くない、真っ黒な穴に向かって沈むように身体が吸い込まれる。
咄嗟に穴と地面の境へ手を掛けようと手足をばたつかせるも、穴にすっぽり収まってしまっているから届かない。
真下へ落ちるように身体が全て穴に入ると、なにもかもが真っ暗闇になる。
直後、ものすごい速さで振動するような感覚があった。
―――――
再び光を認識したとき、おれは淡い光の中にいた。
飛び出たときに音がしたかどうかわからなかった。たぶんなかったとおもう。
そこが水の中であると認識できていなかったから鼻から水を吸ってしまい、ゴボゴボと肺の空気を吐き出してしまう。
沁みる目を堪えて顔を上に向けると、1mほど上に光る水面が見えた。
必死で足掻いて水面へ顔を出して急いで息を吸うが、上手く呼吸ができない。
盛大に咽た。喉が塩辛い。鼻の奥が痛い。そして磯臭い。
息を整えようやく目を開けると、とんでもない大海原にいることがわかった。
見渡す限り、海、海、海、海。
陸地がまったく見えない。
なにこれ… そんなことある?
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