第4話

「救急車を呼べ!」

 マキが会場スタッフに向かって叫ぶ。その声は普段通り無愛想だが、迷いも焦りも一切ない。

 アケルは、倒れた男性を仰向けにひっくり返して顔を横向きにさせ、ハンカチを巻き付けた指で男性の口に残っていた食材を掻き出す。

 アケルが男性の救護に入ったのを見たマキが、会場を飛び出していく。

「AEDを取ってくる」

「ん」

 男性の口の中がおおむねきれいになると、アケルは男性を上向きに戻して顎を上げさせ、衣類とベルトをゆるめた。

「こちらの方のお名前は?」

 周囲にたずねるアケル。

吉岡仁よしおか じんだ」

 答えたのは慎吾しんごだった。一つうなずき、アケルは男性の肩を叩く。

「吉岡さん、吉岡さん、分かりますか?」

 男性がうっすらと目を開ける。そこにAEDを抱えたマキが戻ってきた。アケルはちらりとマキを見て言う。

「……それは要らなそうだ」

「ん」

 その頃になると、会場のスタッフたちも機敏に動き出した。担架が用意され、男性は会場の外に運び出されていく。散らかった皿や食材も手早く片付けられ、会場にはあっという間に落ち着きが戻ってきた。

 

 会場の外に出てスタッフたちと話していた慎吾が戻ってくる。慎吾は参加者たちのうかがうような視線を受けながら会場を横切り、壇上に上がった。

「吉岡様は、目まいで一時的に意識が遠くなったそうです。心配をおかけし、申し訳ないと仰っておられました。念のため秘書と救急車で病院に向かわれますが、深刻な状態ではなさそうです」

 マイクを使ってもいないのに、会場全体に届く慎吾の落ち着いた声。人の上に立つことになれている者の存在感。

 マキとアケルはそんな慎吾の姿を、会場の隅から半ば冷ややかに眺めていた。しかし不意に壇上の慎吾の視線が、こちらに向いた。

「吉岡様をお助けいただいたのは、そちらの華守衆かしゅしゅうのお二人です。まだ若いのに、冷静な判断と素早い行動。このような華守衆かしゅしゅうの方が、この場にいてくださったことに感謝いたします」

 会場中の視線がマキとアケルに注がれる。

「腰抜けでは華守衆かしゅしゅうは務ま……」

 アケルは再びマキのすねを蹴りつけた。この程度のことで慌てふためいていては華守衆かしゅしゅうは務まらないのは事実だが、今はそれを言うべきときではない。

「みなさまの安全をお守りするのが華守衆かしゅしゅうの務めですので……」

 アケルがていねいな仕草で頭を下げると、その場に拍手が湧き上がった。にこりと笑ってアケルは続ける。

「我々は任務中ですので、残念ながらみなさまとのご歓談には参加できません。どうか我々のことはお気になさらず引き続きパーティーをお楽しみください」

 アケルが慎吾に視線を流すと、また慎吾が話しはじめる。そしてその短いあいさつが終わったあとには、会場の空気はすっかり元の温度を取り戻していた。

「あのタヌキ。空気戻すのに俺たちを使いやがって」

 苦々しげに呟くマキ。

「まあまあ、そんな言い方するなって」

 アケルは義務的になだめたが、その顔はマキと同様、どこか苦々しげだった。


 

「疲れた……」

 アケルが、セミダブルのベッドに倒れ込んで大きくため息をついた。

 パーティーは無事に終わったが、慎吾はその後、ホテル内のラウンジで少数の相手との会談を行った。今夜はこのままこのホテルに宿泊するとのことで、マキとアケルは慎吾と同じ階の部屋に宿泊することになったのだ。スイートではないが、セミダブルベッドが二つという、都会の真ん中にあっては、それなりに豪華なツインルームだ。

 同じく疲れ切った顔で椅子にふんぞり返って座ったマキが言う。

「タヌキへの返し、見事だったぞ」

「マキは口を少しつつしんでくれ」

「関係ないな」

 マキはいつものようにスマホでSNSを立ち上げ、画面をスワイプさせはじめた。が、急にゴホっと奇妙な咳をする。いぶかしんでマキの顔を見るアケル。

「いや、何でもない」

 マキは左手で口元をおさえながらあわてて言ったが、そこには隠しきれぬ笑いが浮かんでいる。

「何だよ。面白いネタでもあったのか?」

 アケルはベッドから飛び起きてマキのスマホを覗き込もうとした。逃げるマキ。軽い攻防が続く。

「いいから見せてくれよ。俺だって少しは笑いたいよ」

 アケルがそう言うと、マキは観念したようなため息をついた。マキがスマホの画面をアケルの方に向ける。

 それはいわゆる短文投稿型のSNSの画面だった。マキがフォローしているのだろう、誰かの投稿が画面に大きく表示されている。そしてそこに書かれていたのは


―狸って 昔話じゃ 悪者で でも実物は ただのデブ猫―


 それを読んだアケルは、思わず笑い出した。

「やめてくれ。明日、あの人の顔を見たら吹き出しそうだ」

「それは困るな」

 マキは、全く困っていない顔でスマホの画面を自分の方に戻すと、引用ボタンを押した。そうして


―悪者は 案外人の 形して 肥えた私腹で 打つ腹鼓―


 と添えて投稿する。

 あまりの内容にアケルはケラケラと笑い声を上げた。どちらの短歌も見事な一首とは言いがたいが、今見てしまうとどうしても慎吾の顔が思い浮かぶ。それどころかマキは、間違いなく慎吾のことを詠んでいる。やがてアケルはふと笑いを収めるとたずねた。

「それ、短歌か?」

「まあ、な。……けっこういるんだよ、愛好家も」

「へー。意外だな」

 マキの顔に浮かんでいた笑みの質が変わる。ニヤニヤとした楽しげなものから、少し寂しげなものに。

「俺が華染里はなぞめのさとに行く前に、俺を育ててくれてた人が、たまに俳句をやってたんだ」

「そっか……」

 アケルはマキの事情をくわしく知っているわけではないが、里でウワサになっていた程度のことは知っている。マキを育てていた人は禍虫まがむしに殺されたのだと、そんな話を聞いたことがあった。

「……」

 アケルがどう返すか悩んでいると、マキがふとアケルを見た。

「課題は終わったのか?」

「あー、一応」

「ふうん。何の勉強してんだっけ?」

「環境生態学だよ」

 アケルは黒い陣羽織と黒いワイシャツを脱ぎ、それをハンガーに掛けながら答える。

「今日は生物多様性の話だったんだけど……絶滅危惧種の保護でも、可愛い動物は注目も資金も集まるけど、地味だったり不気味な生き物はなかなか難しいって話だった」

「……なるほど」

 マキは、脱いだ羽織を椅子の背に乱雑に掛けながらうなずいた。

「人間社会はいつも勝手だな。見た目だの血筋だの……」

「……」

 アケルは剣帯から外した刀をじっと見つめた。

「俺は華守衆かしゅしゅうの一条アケルだ。平瀬ひらせじゃない」

「俺も樟田くすだ華守衆かしゅしゅうだ」

 部屋の窓からは、名梧屋なごやの夜景が見えている。花で覆われたビル群の美しい輝き。

「明日も頑張ろうか」

「タヌキの顔見ても笑うなよ」

「マキこそ気を付けろよ」

 名梧屋なごやの夜が静かに更けていく。


―うたかたの 光がゆれる 摩天楼 地上の哀歓 どこか遠くに―

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