蓮美のメンテナンス②
それは3年前のことだった。雨がよく降っていた梅雨のある日、病室で俺は蓮美と面会した。
その時の蓮美の表情は痛々しいほど絶望に満ちていた。自転車で下校中交通事故に会い、左腕が壁と車に挟まって潰されたと聞いていた。それまでいろんな人の義肢を作ってきた俺だが、俺の義肢で彼女の絶望を晴らしてやれるのか、見当もつかなかった。
「こんにちは、蓮美ちゃん。片西夏生といいます。蓮美ちゃんの義手を作りに来ました」
「……」
蓮美の返答はなかった。うつろな目をしてうなだれたままだ。14歳の少女の小さな体が、さらに小さく見えた。
「ほら蓮美、挨拶しなさい」
ベッドのそばに座っていた蓮美の母親が優しく言った。その声に反応して、蓮美の目が私を捉える。蓮美の口が小さく開いたが、言葉が発せられることはなかった。
「お構いなく。蓮美さんの隣に座っても?」
問うと、蓮美の代わりに母親が頷いた。母親の向かいに用意されていたパイプ椅子にかける。ちょうど、蓮美が失くした左腕の側だった。
「今日は蓮美さんの腕を採寸させてもらいにきたんだ。ちょっとだけ、体を触らせてほしいんだけど、大丈夫かな」
「……」
蓮美は視線を俺から外し、またぼんやりと下を見ていた。沈黙を肯定と解釈し、俺は話を続ける。
「1か月後には完成する予定だよ。義手には2週間くらいで慣れると思う。生体電位信号式って言ってね、蓮美さんが腕を動かそうとする時に発生する電気を読み取って動くんだ。完全に元通り、とはいかないかも知れないけれど、それなりに素早くて細かい動きもできるようになる」
「……ピアノは」
そこで初めて蓮美が喋った。掠れた、弱弱しくか細い声だった。
「ピアノは、弾けるようになる?」
今にも泣きそうな声に、俺は一瞬言葉に詰まった。俺は蓮美を傷つけないよう、それでも真実を伝えるように、慎重に言葉を選びながら話をつづけた。
「簡単な曲なら、訓練次第で弾けるようになると思う。ただ、今までと同じレベルで弾けるかは分からない。今のところ前例がない。でも、前例がないことは不可能を意味しない。蓮美さんの頑張り次第では技術を取り戻せる可能性も……」
「8年だよ」
俺の話を遮って、蓮美が言った。その言葉の真意を掴めず、「え?」と間抜けな声を出してしまう。
「6歳の時にピアノを始めて、8年も頑張ってきたの。ピアニストになりたくて、一生懸命頑張ってきた。私が失った手はただの手じゃないの。私の夢を叶えてくれるはずだった、魂そのものなの。おじさんの義手は、本当に私の手の代わりになれるの?」
「やめなさい蓮美!」
母親が声を荒げた。私はと言うと、情けないことに蓮美に返す言葉が見つからず、ただ動揺を隠すことに必死になっていた。まだ14歳の、私の人生の半分も生きていない少女の言葉は、私の無駄に長い人生全てを押しつぶしてしまうほどに重かった。
「なんで? なんで私なの? 他の人でもよかったじゃん。なんでよりによって私なの? なんで夢を諦めなきゃいけないの? 私のせいじゃないのに。私は悪くないのに。義手があったって、元通り弾けるわけじゃないんでしょ? どうせこうなるなら、ピアノなんてやるんじゃなかった。ピアノが弾けないなら義手なんていらない!」
蓮美の悲痛な叫びに、大人たちは何も言えなくなった。痛いほどの静寂が、病室を包んだ。
「……義肢は、」
俺はただ、蓮美を励ましたいと思った。無駄な期待を抱かせてはいけない。義手にできないことをできると言ってはいけない。だから、俺は自分の義肢への思いを、ただ語ることにした。
「義肢は、ただの道具だ。機能以上の意味を持たない、と俺は思ってる。俺は誇りを持って義肢を作っているけど、それでも人が半生を共にしてきた体と、俺が数か月で作る義肢が同じ価値なはずがない。だから、俺が作る義手は蓮美さんの手の完全な代わりにはなれない、かもしれない」
俺の言葉を聞いて俺から顔をそむけた蓮美に、でも、と俺は続けた。
「蓮美さんが義手と一緒に長い時間を生きていくなかで、義手が蓮美さんにとっての本当の手になるかもしれない。俺は道具にも魂が宿るなんて信じていないけど、蓮美さんが道具に魂は宿ると、義手は本当の意味で手になれると証明してくれるかもしれない。
なぜなら、人の意志が持つ力は無限大だからだ。人類の長い歴史の中で、人間の意志と勇気が奇跡を起こした例は山ほどある。そして、蓮美さんが新しい例になるかもしれない。俺は少しでもその助けになれたらと、そう思ってる」
この言葉が、本当に正しいかは分からなかった。ただ、自分にできることをやりたかった。蓮美は俺から顔をそむけたまま、肩を震わせていた。
「これは俺のエゴかもしれない。余計なお節介に過ぎないかもしれない。もし義手をつけて、蓮美さんの望む結果が得られなかったら、俺を恨んでくれていい。
ただ俺は、君をこのまま放っておくことはできない。だから、俺のわがままに付き合うと思って、どうか、君の義手を俺に作らせてくれないかな」
蓮美は何も言わなかった。何も言わず、肩を震わせていた。俺はただ、返事を待った。そして蓮美は、俺から顔を背けたまま、静かにうなずいた。
あれから3年が経ったと思うと、時の流れは早いものだ。蓮美が今、これだけ明るく活発になると、あの頃の俺がどうして想像できただろう。
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