第1話 幸せへの第一歩
「フローラ・ハインツェ伯爵令嬢よ。本日をもって、この私、ディーター・キルステンは貴殿との婚約を破棄する!」
講堂に威勢のいい声が響き渡った。
それは卒業式という晴れの舞台に似つかわしくない内容の言葉。
その場にいた人々は何事かと声のするほうを見た。
そこに立っていたのは今日卒業を迎えたキルステン公爵家の嫡男である。
注目を浴びている彼の視線の先には、たった今婚約破棄された令嬢──フローラがいた。
(婚約破棄……)
婚約破棄宣言で静まり返った場で、フローラはそう心の中で呟く。
しかし、彼からの言葉に特段驚きはしなかった。
なぜなら、ディーターが一ヶ月ほど前からフローラの隣のクラスに在籍している子爵令嬢をいたく気に入っているのを知っていたから。
自分にきっともう愛情は向いていないのだろうとなんとなく察していた。
フローラの心情に気づかないまま、ディーターはなおも言葉を続ける。
「フローラは我が幼き弟ルイトをたぶらかし、弟と遊ぶばかり。私の未来の妻としての教育などまるで受けようとしない。そんなフローラは、私に相応しくない」
一方的な言い分のもと、ディーターはフローラにひどい悪態をつく。
その言葉に傷つきながらも、彼女の心は強くあり続けられた。
なぜなら、彼女も彼との別れを覚悟した上で「ある計画」を実行しようとしていたからである。
(「あの計画」をおこなうのは、今しかない)
心の中で最後の決心をした彼女は、大事に持っていた書類を用意する。
一方、ディーターはというと、自分の婚約破棄宣言に何も反応しないフローラにイラついていた。
我慢の限界が来た彼は、顔をしかめて大声でフローラに問いかける。
「フローラ! 黙ってないで何か言ったらどうなんだ!」
ディーターの怒鳴り声で、皆の視線がフローラに向いた。
フローラは式の最中ずっと手を繋いでいた小さな子どもに視線を合わせる。
そうして、彼女は子どもに微笑んで言った。
「ルイト様、少しお待ちくださいね」
「うん!」
そう言ってフローラはおもむろに立ち上がり、ディーターのほうへと向く。
(では、少し早まってしまいましたが、計画を実行しましょう)
小さな息を一つ吐くと、フローラは背筋を伸ばした。
そうして品の良いお辞儀をして彼に告げる。
「ディーター様、婚約破棄の件、承りました」
「なっ!」
「では、僭越ながら、私からも申し上げたいことがございます」
「な、なんだっ!」
思いのほか婚約破棄がすんなりと受け入れられたことにディーターは驚きを隠せない。
彼は焦った様子でフローラに尋ねた。
しかし、フローラは彼の挙動に一切動じない。
「あなた様は、不貞の子だからと異母弟のルイト様にひどい仕打ちをしましたね。ご両親のいない日の食事ではルイト様の分を捨て、そしてお父上に叱られた腹いせとしてルイト様をぶって、大切にしていたおもちゃを燃やした」
「なっ! そんなことするはずないだろう!」
家柄もよく成績優秀であったディーターの裏の姿に皆ざわめきだす。
学院での彼の様子からは想像できなかったのだろう。
やがて、皆ひそひそと話し始めた。
フローラはまわりの様子を気に留めず、ディーターへ言葉を続ける。
「ですが、ご両親に私からこのことを進言しても、信じてもらえないでしょう。ですから、私がルイト様を引き取り、うちでお育ていたします!」
先程までひそひそ話をしていた学生たちから驚きの声がいくつかあがった。
侮辱された挙句、弟を引き取るという言葉にディーターは怒りが収まらない。
そして、彼は頬をひくひくとさせながら、フローラを指さして怒鳴る。
「そんなこと、できるわけないだろう!」
怒りで体を震わせながら反論する彼に、フローラは一枚の書類を見せて告げる。
「この書類は『貴族の縁組み許可書』です。ディーター様ならご存じですね?」
「なぜ、お前がそれを……!」
この国では貴族間で養子縁組みがおこなわれる際に、この『貴族の縁組み許可書』が国から発行されることがある。
この場合、貴族の子どもが虐待を受けているのを見た第三者が国に申請をし、調査によって虐待が認められれば発行されるというもの。
「ルイト様が痛めつけられているのを見て、私が国に申請をしました。すぐに調査が入り、あなたの虐待が正式に認められたのです」
「そ、そんな……」
信じられないという様子でディーターは驚いている。
「あなたのご両親は虐待の事実を否定し続けているため、まもなく国から厳しい指導と処罰が下されるそうです」
両親の処遇を聞いたディーターは、その場にへたり込んでしまう。
彼は明るくない自分の行く未来を想像しているのだろうか。
そんな風にフローラは彼の様子を眺めていた。
彼女の告白を聞いた人々は口々にディーターを非難し始める。
「ひどいな、虐待とは……」
「フローラ様も今までお救いできないもどかしさで辛かったでしょうに……」
どこかから聞こえたその言葉に、フローラは心の中で否定する。
(いいえ、お辛いのはルイト様です……)
フローラがそう思うのには理由があった。
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