第8話 マシュー・オルセン

十月一日の午後。

 他の教室より少々狭い教室で、一年生達にとって初めての想呪対抗学の講義が始まった。


 担当の教授は背が平均より少し高めで、一言で言い表わすならばダンディ、というような風貌をしていた。

 目つきが少しばかり悪く、彼を怖がっているような生徒もいるようだ。


 彼は出席を取った後、こんな話をした。


「此処では想呪症候群、特に呪怪によるものを此の世から根絶する為に必要な知識や技術を学んで貰う」


 落ち着いた低音の声が、教室内に響き渡った。


「呪怪による想呪症候群は、七十年程前にとある科学者が開発した物質が実用化されて間も無い頃に初の被害者が出た。その科学者の名を何と云う? そうだな、其処の、……ミスター・ケイン、答えられるか?」


 突然指名されたソバカス顔の少年は困惑していたようだが、すぐに答えた。


「ええっと、ヴィンス・オルセンです」

「御名答」


 そう言った彼は微笑みこそしなかったものの、その少年に優しい目を向けていた。

 どうやら、この教授は思うほど高圧的な性格ではないらしい。

 アリナを含めた生徒達の顔に安堵の表情が浮かんだ。


「ヴィンスが生み出した物質、呪玉は、非常に小さな容積に超多量の想呪を押し込む。……吸い付ける、と言った方が正しいかも知れない。

結果的に、其れが人類にとって害をもたらし、ヴィンス一家にとっては呪怪による想呪症候群を撲滅する事が使命となった」


(何というか、魅了される話し方だな。いや、話し方……より、声とか?)


 アリナの思考をよそに、彼の話は続く。

「想呪に関するデータや資料を引き継ぎ、此処で君達生徒に伝える。申し遅れたが、この役割を今受け持っているのが私、マシュー・オルセンだ。以後、宜しく頼む」


 マシューは、言い終えると深々と礼をした。アリナが思わず拍手をすると、他の生徒も続いて拍手をした。


 拍手が止むと、マシューはくいっと細い黒縁の丸眼鏡を押した。

 すうっと、息を吸う音が聞こえた。


「そして、君達に伝えねばならない事がある」


 一変して、深刻な声になった。教室中に、ぴりりと緊張が走る。


「教室を見て頂ければ分かると思うが、この学部は他と比べて非常に人数が少ない。上級生はもっと少ない。何故か分かるか? ミスター・ガルシア」


 その時指名された少年は、後ろの方にあるアリナの席からはよく見えなかった。


「はい。大きく二つ理由があります。

一つ、呪怪を殺す事は非常に難しく、成功例がただの一例も無いこと。

二つ、呪怪に関する情報は殆ど公に公開されておらず、危険性の割にそもそもの知名度自体が低いこと。

この二つの理由で、本学部を希望する生徒が非常に少なくなります」


 その少年は落ち着き払った声で答えた。

 どこかで聞いたことがあったような、あたたかい声だ。

 それを聞いて満足したのかマシューは小さく頷き、視線を少し上に逸らした。


「うん、御名答。呪怪を殺すには攻撃系の魔法を大成せねばならない。

——少なくともオルセン一家は代々攻撃系魔法が殆ど使えぬ者ばかりだから、直接呪怪に関わる事ができないのだが」


 天井に掛かっているランプの火が揺らめいた。

 魔法によるエネルギーの供給は電気よりは安定しないので、時たま光が消えかかることがある。


「呪怪を攻撃する以上に、危険を回避する能力を身に付けなくてはいけない。

……其れが出来なくては、かのヴィンスの様に直ぐ死ぬからだ」


 隣から、はっ、と息を呑む声が聞こえた。

 アリナの横には気の弱そうな少女がちょこんと座っていた。

 平均より小柄で、非力な子なんだろうなと思わせる容姿だった。


「とは言っても、二つとも簡単に綾取る様な優秀な魔法使いはそうそう現れない。そもそも命を懸けてまで呪怪に立ち向かう者も希少だ。故に」


 鋭い目で全体を見回してから、言い放った。


「実際に呪怪に立ち向かう事は強制しない。希望しない生徒は、症候群のステージ0に関する研究等をやって貰う」


 ふ、と力が緩んだ。

 杞憂だったが、アリナは自分が呪怪に直接関われないのではないか、と焦燥していた。


「とは言っても、自分の実力が分からねばどちらを選ぶにせよ勇気が要るだろう。興味がある生徒は、今から此方へ来なさい。あとは解散でよろしい。今日の所は、此れでお終い」


 マシューの言葉が終わると、生徒達はのそのそと動き出した。

 その殆どは出口へ向かうようだった。

 アリナはもちろん、他の多くの生徒とは反対の方、マシューがいる方へ歩き出した。

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