この悪夢を晴らして

ともしんや

第1話

 長い休みが終わりながらもいまだに鳴き続けるツクツクボウシ。

 日差しが差し込む八時十分。

 みんな休みボケなのだろうか、教室内にはまだ、誰もいない。

 ホームルームまであと二十分、今日はまだ、八月三十一日なのではないかと思った矢先に、ガラリと扉が開かれる音が聞こえた。

 入ってきたのは、頬がこけ、やせた女子の姿。

 そして、一番目立っていたのはひどいクマ。

 僕のクラスにあんな人がいたか?

 知らない女子がゆっくりとした足取りで進んでいくと、そのまま、僕の二つの前、雪野 咲穂ゆきの さくほの席に腰を下ろした。

 雪野 咲穂。

 僕の所属しているクラス、二年五組のリーダー的存在で、小学校からおこなっているバドミントンでは、近畿大会でも八強に入るほどの実力者。

 もちろんその部活ではキャプテンを務めていて、変わらないリーダーシップで勝利に貢献しているそう。

 女子バドミントン部が、スポーツ弱小の我が市原高校のなかでも唯一実績を残せているのは彼女のおかげらしい。

 さらにクラス一のコミュニケーション能力を持ち合わせ、先生でも不可能だった不登校の生徒の心を開くことにも成功しているとも。

 あまりにも能力が高いため、みんながみんな、神様の生まれ変わりのように思っている。

 そんな彼女と僕のかかわりは、せいぜい体育祭の事務連絡くらい。 

 だから今のは全て僕の友人の情報ではあるが、たぶんそんなところ。

 体形は、運動をしている人らしい体だったはずが、目の前にいるのは木の枝。

 確かに身長こそ変わらない百六十センチほどだが、似ても似つかないシルエット。

 筋肉質な彼女とのギャップで余計にそう感じているのかもしれない。

 普段はボブの髪の毛も、肩にかかるまで伸びている。

 おそらく別人だろう。

 やっぱり声をかけるべきなのか?

 僕は頭を抱える。

 雪野さんであろうとなかろうと、一度もまともに喋ったことのない相手。

 でも、不思議と僕の体は光を失った植物のように座っている彼女のほう、二つ前の席に向かった。

 普段なら、自分から話を聞きに行くなんてことは友人にしかしないのに。

「教室間違ってませんか?」

 彼女は座ったまま、左を、つまり僕のほうをゆっくりと向いた。

「私、雪野だよ。

 ふふふ、どう?

 イメチェンしたの。

 わからなかったでしょう?」

 一緒だ、声が。

 体育祭の時、クラスのリーダーとして一番前で大きな声を出していた時と。

 明るく元気な声色も。

 誰とでもしゃべることができる性格も変わっていない。

 しかし、何かが違っていたのは僕にも分かった。

 明かるい声の裏側は、グラスに注がれた水のように揺れ動いている。

 僕には助けを求め、手を伸ばしているようにしか見えなかった。

「僕でいいなら好きなだけ話してください。

 無理にとは言わないんで。」

 まともに喋ったこともないのに、こんな言葉につながる文脈もないのに気づいたら口が動いていた僕。

 固まる彼女。

 ちょうど、分針が動いた音が鳴り響く教室。

「なに言ってんの、いきなり。

 「わあ」とか「似合ってる」とか言ってよ。

 私、元気だから」

 はにかんでいる顔とは裏腹に弱まる声色。

 多分、僕に伝えるには、あまりにも重い。

 あと五分もすれば、きっと彼女と仲のいい友人もやってくるはずだ。

 関わっちゃいけない。

 無理に言わないでといったのも僕だ。

「わかりました、首突っ込んじゃってごめんなさい」

 僕は自分の席に戻ろうとする。

「待って!」

 ばっと振り向く僕。

 そこには僕のほうをまっすぐと見る、立ち上がった彼女の姿があった。

「本当にごめん。

 ちょっと、ちょっとだけ遅刻してもらってもいいかな」


 近くにたたずむ、今にも朽ち果てそうな空き教室がこれほど便利だと思ったことはない。

 普通の半分くらいの大きさの、空き教室というか教材置き場のようなここに、少し距離をあけながら僕らは立って話し始めた。

「ありがとね。

 仲のいい人にこんなの言ったら、やっぱりひどく心配すると思うから。」

 壁にもたれながら話す雪野さんは、いつもと違って低い声色。

 そんな彼女の目を、僕は少し首を下に向け、しっかりと見て話を聞く。

 良くも悪くも交流の少ない僕たち。

 毎日会う友達にこれを相談したら、会うたびに心配される可能性があるのかもしれない。

 友人に気を遣って、接点の少ない僕に相談することにしたのだろうか。

 たかが学生、できることは少ないかもしれないけど……

 「力になれるよう頑張ります」

「いいよ、そんなに頑張らなくて。

 私の問題なんだからさ。」

「気を遣いすぎですよ」

 さっきの発言もそうだが、周りを気にしすぎな気がする。

 いや、それだけ周りのことを考えられるから、みんなが彼女の背中を見て走ることができるのかもしれない。

 当然の帰結だ。

 「でもまあ、やっぱり君はお人好しだね。

 こんなに病んでそうな女子の話を聞いてくれるなんて」

 枯れた木のような体、やはり彼女は何かの病気にかかっているのだろうか。

 ろくに話したこともないのに、彼女は見知った関係かのように僕を評価して、口を開く。

「早速話していい?」

「いいんですけど、ちょっとその前に聞きたいことがあって、その、部活もその体で参加してたんですか?」

「けがしてることにしてるわ、もちろん。

 今の私を見せるよりはずっと心配も小さいだろうし」

 ボールを軽く蹴るように足を一度振りながら床と目を合わせる彼女。

 強がるような声。

 何というか、自分を置き去りにしている気がする。

 「そろそろ話してもいい?

始まっちゃうよ、ホームルーム」

「すいません、時間取らせちゃって。

お願いします」

 言葉の立場が逆な気もするが、僕は彼女の話に耳を傾け始めた。


 「手短に話すね。

 多分、信じてもらえないんだけど……夢を、見るの。

 それも悪夢を」

 「悪夢なんて、生きてる限り誰だって見ますよ。」

 空き教室は、人がいる教室の二つ隣。

 声が届かないとも限らないので、この部屋にも響かないくらいの音量で話を始めた彼女。

「あなたの思ってる悪夢とは少し違う。

 人が出てくるんだけど、最初は元気なの。

 すごく、とても。

 でも、次眠った時にその人が出てくると、もうすっかり弱り切ってる。

 しぼみきった筋肉にポタポタと落ちる点滴の音と限りなく弱い呼吸音。

 その次なんてもう、一つしかないことくらい、誰にでもわかるよね」

 かすかに教室内の声が届く中、悲痛な面持ちで語る彼女。

 僕も自然と唾を飲む。

 多分、三日目は人が死んでしまっているのだろう。

 二日目の夢と、彼女の絶望が僕にそう語りかけてくる。

 夢の中であろうと、そんな状況、見たくないはずだ。

 しかし、彼女の話はこれで終わらない。

「確かに悪夢なんだけど、これで終わりならまだよかったの。

 でも、朝のテレビを見た瞬間が、悪夢よりも悪夢だった。」

「テレビで悪夢……ですか?」

 わけのわからない言葉に僕は困惑する。

「ええ。

 私が最初にこうなった日なんだけど、六月二十五日のニュース覚えてる?」

 六月二十五日。

 まだ夏休みは始まっていない。

 特に何か重大な事件が起こった記憶はなかったが。

「女優さんが、亡くなったの」

 誰かいたか?

「女優……訃報……真田マイカ」

 思い出したのは売り出し中だった女優の名前。

 日にちは覚えていないが、そのくらいの頃だったはず。

 僕はその人をあまりよく知らない。

 しかし彼女の大ファンである同じクラスの友人が、その朝のニュースが流れた時、僕に対してメッセージアプリ、「linne」のサーバーに負荷がかかりそうなくらいメッセージを連打していたことが記憶に残っている。

 その友人が、その日学校を休んだこともセットで覚えていた。

 僕は急いで検索画面にその名前を打ち込む。

 永遠かと思えるほどに、読み込みの時間を長く感じた。

 画面に文字が映し出され始め、僕はそこに目を向ける。

 亡くなった日は、ぴったり一致していた。

 二十三歳。

 発表されている死因は心臓発作。

 ただ、あまりにも早い。

 深夜、マネージャーとの移動中突然倒れたらしい。

 加速する鼓動。

 僕は彼女の笑っていない笑顔を見る。

「証拠もなんにもないから、信じてもらえないかもしれない。

 でも、私は……私の夢は、人を殺すの」

 閉じた窓から風が吹き抜けていった。

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