一人目:一日ループ
午前0時。きっかり、その時間に俺は目を覚ました。
いや、覚ましたというより、叩き起こされた感覚に近い。何の前触れもなく、脳の電源スイッチを誰かにカチッと入れられたような、そんな唐突な覚醒だった。
「ん……なんだよ……」
社会人2年目、24歳。都内で一人暮らし。貯金残高はかろうじて10万円。昨日と同じ、いや、今日も同じ俺の現実。
見慣れた1Kの天井をぼんやりと眺めていると、部屋の隅、月明かりが差し込むだけの暗闇から、やけに軽い声がした。
「よっ! 起きてる?」
見ると、コンビニのビニール袋みたいに半透明な、人型のナニカがぼんやりと光りながら浮いていた。大きさは成人男性くらい。手足はあるが、顔のパーツはのっぺりとしている。だというのに、なぜか表情がなんとなくわかる。
「うわっ!? だ、誰だ!?」
「俺? 神様」
「はぁ?」
寝ぼけてんのか、俺。いや、こいつは何だ。強盗? ユーチューバーのドッキリ? にしては、あまりに非現実的すぎる。
「まあまあ、落ち着けって。お前にちょっと面白いプレゼントを持ってきた」
「プレゼント……?」
「そう。お前、昨日なんか良いことしただろ。横断歩道で、おばあさんの落としたミカン、拾ってやったじゃん?」
言われてみれば、そんなことがあった気もする。大量のミカンが坂道を転がっていくのを、必死でかき集めたっけ。
「あれ、地味だけど、良い行いだった。ってことでご褒美。お前は今日から、この一日を無限に繰り返すことができるスキルを授ける。毎日23時59分になったら強制的にリセットだ。お前はまた、この日の0時に叩き起こされる。記憶以外の全てがリセットされる世界だ」
無限ループ? 自動リセット?
俺の脳みそが、ようやく状況を理解しようと必死に回転を始める。
「つまり、毎日23時59分になったら、問答無用で今に戻されるってことか?」
「そゆこと。でも安心しろ。このループ、お前が『もう辞める』って俺に言えば、いつでも終わらせてやれる。辞めた次の瞬間に、ちゃんと翌日の朝が来るから。まあ、一種のボーナスタイムみたいなもんだ。存分に楽しめよ」
そう言うと、神様は「じゃ、そういうことで!」と軽く手を振り、フッと消えた。
静まり返った部屋。俺は状況を飲み込むのに、しばらく時間がかかった。
毎日が同じ日の繰り返し。何をしても、24時間後には全てがリセットされる。失敗も、借金も、犯罪さえも、全てがチャラになる世界。
貯金10万円のしがないサラリーマンが、無敵の存在になった瞬間だった。
俺の口角が、抑えようもなく吊り上がっていく。
「最高じゃねえか……」
こうして、俺の終わらない一日が始まった。
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最初の数日間、俺は金に執着した。
俺はまっすぐ競馬場へ向かった。最初のループでは、ただひたすら全レースの結果と配当を記憶する。ゴール前で響き渡る怒号のような歓声も、紙くずになった馬券を破り捨てるおっさんの悲哀も、俺にとってはただのデータだ。
もちろん、仕事は仮病で休んでる。
次のループ。俺は自信満々で有人窓口へ向かう。
「第7レース、3連単。8-12-5に、10万円」
俺のなけなしの全財産。窓口のおばちゃんが「兄ちゃん、大丈夫かい」と心配そうな顔を向けるが、俺はクールに頷くだけだ。知っているんだよ、これが180倍になることを。
レースが始まり、俺はモニターすら見ない。イヤホンで好きな音楽を聴きながら待つ。結果はわかっている。やがて確定ランプが灯り、払い戻し窓口には長蛇の列ができる。俺はその先頭に立ち、分厚い札束を受け取る。1800万円。受け取る手は震えていた。
だが、それ以上にこの「俺だけが未来を知っている」という万能感が、脳の奥を痺れさせた。
パチンコ屋に行けば、そこは俺の貯金箱だった。
けたたましい電子音とタバコの煙が充満する中、俺は誰よりも早くお目当ての台を確保する。昨日、一昨日、その前の日も、15時24分に爆発した台だ。周りが必死にハンドルを握り、液晶画面のリーチ演出に一喜一憂しているのを横目に、俺はスマホをいじりながら時間を待つ。そして、時間が来た瞬間、台がけたたましい光と音を放ち始める。フィーバーだ。
ハンドルを握る俺の足元には、すぐにドル箱の山が築かれていく。周りの客からの「ちくしょう、あの兄ちゃんだけだ」「何かやってんじゃねえか」という嫉妬と羨望の声が、最高のBGMだった。
数ループすれば億を超える手順は見つかった。
そうなると、次は使う番だ。俺は「品性」という言葉を脳内辞書から削除した。
銀座の高級寿司屋のカウンター。普段ならメニューの値段を見て一番安いランチを頼むのが精一杯だが、今の俺はディナータイムに入店する。
「大将、一番高いので。あと、この世で一番うまい日本酒をくれ」
下品も下品な言い方で注文し、職人が握る一貫数千円の寿司を食べる。口に入れた瞬間、体温でとろける大トロの脂の甘み。プチプチと弾けるイクラの濃厚な旨味。鼻にツンと抜けるワサビの香りまでが芸術的だ。隣の席でいかにも金持ちそうな社長が語るうんちくを、ループで得た知識で論破してやるのも楽しかった。
会計は20万円。俺はループで手に入れた札束の中から、分厚く一掴みして「お釣りはとっといて」とクールに告げる。大将と店員たちの驚きの視線が、最高のデザートだ。もちろん、締めの抹茶アイスも食べている。
街を歩いていると23時59分になり、気づけば俺はベッドの上だ。あの札束は消えたが、王様のように振る舞った満足感は、確かに俺の中に残っていた。
ある時は、タワーマンションの最上階、一泊100万円のスイートルームを借りて、夜景を見下ろしながらシャンパン風呂に浸かった。正直、ベタベタして気持ち悪かったが、「成功者がやるやつ」を体験できただけで満足だ。
あと、シャンパンを抜いた後に札束風呂にも入っておいた。別に気持ち良くはなかった。
またある時は、デパートの高級ブティックに入り、値札も見ずに片っから指をさす。
「これと、これ。あと、そこのマネキンが着てるやつ全部」
店員の驚きと媚びへつらいが入り混じった表情がたまらない。買った服も時計も、翌日にはクローゼットから消えている。当然何着も買った服はほぼ着ていない。
だが、それでよかった。俺が欲しいのはモノじゃない。「最高の贅沢をしている」という経験そのものだったからだ。
さらにさらに、男としての欲望も解放させた。
マッチングアプリを使えば、女性のプロフィールと好みを完全に記憶できる。ループを駆使して完璧なアプローチを繰り返し、100人以上の女性とデートを重ねた。
「本当に私のことわかってくれてるんですね……!」
そう言ってうっとりする彼女の瞳を見ながら、俺は心の中でほくそ笑む。当たり前だろ、お前のSNSと過去の投稿、全部インプット済みだからな。
最初の頃は、時間配分を何度もミスった。完璧なデートを演出し、最高の雰囲気で彼女と見つめ合う。唇が触れ合う、まさにその寸前。
「やばっ、時間…!」
俺が腕時計に目をやった瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。23時59分。無情なるリセット。ベッドの上で天を仰ぎ、俺は「あああああッ!」と絶叫した。最高の美女とのデートの後に自分で処理した。
もちろん、俺は学習する。
次のループからは、時間配分を徹底した。夕方にはデートを切り上げ、早々にホテルへ向かう。目的を達成するだけなら、時間は有り余るほどあった。
そして、目的は達成された。何度も。
だが、そこに待っていたのは、想像していたような達成感ではなかった。行為が終わった後の、23時59分を待つあの時間。もう彼女には興味を持てない。
賢者タイムだからではない。明日になれば、彼女は俺のことなど綺麗さっぱり忘れている。この関係に未来はない。ただの一夜限りの、しかも俺の記憶の中にしか残らない空虚な関係だ。
何度繰り返しても、残るのは虚しさだけだった。刹那的な体験は楽しめるが、恋愛に限らず関係を深めるのは無意味すぎる。
そう結論づけるのに、そう時間はかからなかった。風俗店に行って豪遊したこともあったが、それもまた、リセットの鐘が鳴れば、財布の中身と一緒に、俺の心に虚しさだけを残していった。
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そんなある日、俺はふと思った。
「そうだ、海外行こう」
金ならすぐ作れる。パスポートもある。
早速、完璧な計画を立てた。ループで航空会社のサイトを調べ上げ、最速でハワイへ行ける便を予約する。
成田空港までの移動に2時間。出国手続きに1時間。フライト時間は約8時間。
ホノルル空港に降り立った瞬間、俺は南国の空気に歓喜した。
「アロハー! 俺は来たぞ!」
だが、その喜びも束の間。空港の時計が目に入った。現地時間は朝だが、日本時間はもうすぐ23時59分だ。
ワイキキビーチへ向かうタクシーの車窓から夕日を眺めているうちに、俺の視界はぐにゃりと歪み始めた。
――リセット。
気づけば、いつもの1Kの天井。
24時間という絶対的な壁。このループ世界では、大した移動はできない。
俺は、初めてこの世界の限界と、自分の無力さを思い知った。
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ループ生活が1ヶ月を過ぎた頃には、俺はほとんどのことをやり尽くしていた。
どんな贅沢も、どんなスリルも、繰り返せばただの作業になる。
競馬で1000万勝っても、心はもう動かない。高級寿司を食べても、ただの栄養補給にしか感じられない。
毎日が同じことの繰り返し。変化のない世界。成長のない自分。
人間関係も築けない。カフェの可愛い店員さんと仲良くなっても、次の日には「どちら様ですか?」と他人行儀に尋ねられる。その度に、心が少しずつすり減っていった。
公園のベンチで、夕日を眺めるのが日課になった。
今日もまた、この世界が終わっていく。そして明日も、全く同じ一日が始まる。
永遠に続く文化祭の前日。そんな高揚感はとうに消え失せ、今はただ、終わりのない牢獄に囚われているような気分だった。
「……虚しい」
思わず声が漏れた。
その時、隣にフッと、あの半透明な神様が現れた。
「よぉ。最近、元気ないじゃん」
「……お前のせいだろ」
「俺? 俺はチャンスをやっただけだぜ。お前が勝手に飽きたんだろ」
神様の言う通りだった。
「なあ、お前、このままでいいのか? 毎日毎日、同じこと繰り返して。楽しいか?」
「……楽しいわけねえだろ」
「じゃあ、辞めればいいじゃん。いつでも終わらせてやるって言ったろ」
辞める?
その選択肢が、やけに重く感じられた。
このループを辞めれば、俺はまた貯金10万円のしがないサラリーマンに戻る。満員電車に揺られ、嫌味な上司に頭を下げ、ギリギリの生活を送るだけの日々が待っている。
それは嫌だ。でも、この虚無の牢獄にいるのも、もう耐えられない。
「なあ、神様。このループで、何か一つでも明日に持っていけるものはないのか?」
「あるだろ、一つだけ」
「……記憶、か」
「そ。お前のその頭の中にあるもんは、リセットされない。お前、この1ヶ月、その頭に何を積み上げてきた? 競馬のレース結果と、女の好みと、ワインの銘柄か?」
神様の言葉が、グサグサと胸に突き刺さる。
そうだ。俺は何をやっていたんだ。この奇跡のような時間を、なんて無駄なことに費やしてしまったんだ。
本来、時間は有限だ。このループ能力だって、いつかは終わらせなければならない。
その終わらせるべき「未来」のために、俺は「今」を投資すべきなんじゃないか?
「リセットされないもの……記憶、知識、経験、スキル……」
俺は立ち上がった。
そうだ。俺の脳みそを、最高の資産に変えてやればいいんだ。
「神様、サンキュ。目が覚めたぜ」
「おう。ようやくその気になったか。ま、せいぜい頑張れや」
俺は公園を飛び出し、神保町の古本街へと向かった。
ここからが、俺の本当の戦いだ。
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神保町。そこは知識の海だった。
俺はまず、投資と金融に関する専門書を扱う書店に飛び込んだ。
『ウォール街のランダム・ウォーカー』『賢明なる投資家』『デイトレード』……。片っ端から手に取り、ページをめくっていく。
ループするたびに、違う本を手に取り、必死に咀嚼していった。物理的な本は23時59分には消える。頼れるのは、自分の脳だけだ。
次はプログラミングを学んだ。
大型書店でPython、JavaScript、C++の入門書から応用書までを読んでネットカフェでコードを打っていたが、途中から独学よりも人に教えてもらった方が良いと思い、スクールに通った。エラーが出ればすぐに教えてもらいながら、トライ&エラーを何千、何万回と繰り返した。
指が、脳が、コードを理解していく。
語学もやった。
英語の参考書と単語帳を丸暗記し、映画を字幕なしで観続け、ネイティブの発音を完璧にコピーした。時には観光客を捕まえて、おしゃべりしながら語学力を高めていく。
ループ生活は、欲望のカーニバルから、孤独な修練の場へと変わった。
一日24時間、睡眠時間以外は全てを学習に費やした。
嘘だ。2時間おきくらいに遊んでた。
だが、何百日と立つ頃には、俺の頭の中は、巨大な図書館と化していた。金融、IT、語学、さらには法学、物理学、歴史まで、あらゆる知識を学び切っていた。
これで明日から、俺は変われる。
万能感に包まれ、俺は勝利を確信していた。
だが、その時、ふと新たな不安が頭をよぎった。
「これだけの知識、明日から俺一人でどうやって活かすんだ?」
知識はある。でも、実績も、人脈も、金もない。ただの「頭でっかちなニート」の完成じゃないか?
宝の持ち腐れになる未来が、やけにリアルに想像できた。
このままじゃダメだ。知識だけじゃ足りない。未来に繋がる「きっかけ」が必要だ。
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俺が最後の数ループを費やして選んだターゲットは一人。
若きIT企業の創業者、山城 翔。30代前半で上場企業を作り上げた、まさに時代の寵児だ。
俺は彼のSNS、過去のインタビュー記事、著書を全て読み込み、時には居場所を特定して話しかけにいった。彼の思考パターン、興味の対象、そして彼が今、最も求めているであろうビジネスチャンスを徹底的に分析した。
そして、練りに練った一通のメッセージを、彼の会社の問い合わせフォームに送った。
件名:『御社の〇〇事業における、東南アジア市場での新たなマネタイズ戦略のご提案』
本文はこうだ。
まず、この1年で得た金融知識とアジア経済の動向分析を元に、彼の会社が見落としているであろうニッチな市場を指摘した。次に、Pythonで簡易的に作成した市場予測シミュレーションのコードを添付し、具体的な収益モデルを提示した。そして、最後にこう締めくくった。
『私はまだ何者でもありません。実績もありません。しかし、未来を予測し、それを実現させるための知識と情熱だけは誰にも負けません。もしこのアイデアに少しでも可能性を感じていただけたなら、一度、お話を聞いていただくチャンスをいただけないでしょうか』
ループした早朝に送信ボタンを押す。
……ダメだ、返信がない。次のループで修正だ。
何度も何度も文章を推敲し、相手に「こいつ、何者だ? 面白い」と思わせる、完璧な一文を探し続けた。10数回のループをしたが、返信はない。
それもそうだ。誰ともしれない相手からのメッセージに対して、大企業の社長がその
日のうちに返信してくるはずがない。
PCの画面を見つめながら、俺は静かに呟いた。
「神様。聞こえるか」
部屋の隅に、ぼんやりと神様が現れる。
「おう。なんだよ、改まって」
「俺、このループを辞める」
俺の言葉に、神様は少しだけ意外そうな顔をした(ように見えた)。
「……いいのか? まだやれることはあるだろ。お前の知識なら、ノーベル賞だって夢じゃないかもしれねえぞ」
「もう十分だ。俺は未来に進みたい。この知識を、ただの記憶じゃなくて、現実の世界で使いたいんだ」
神様はのっぺり顔なのに、ニヤリと笑ったように見えた。
「わかった。じゃあな、達者で暮らせよ」
その言葉を最後に、神様の姿は消えた。
そして、俺の意識は、深い眠りへと落ちていった。ループが始まって以来、初めての、本当の眠りだった。
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新しい朝
次に目を開けた時、窓から差し込む光がいつもより明るく感じられた。
スマホを手に取る。日付は、あの終わらない一日だったはずの日の、翌日になっていた。
ループは、終わったのだ。
俺はゆっくりと起き上がり、PCの画面を覗き込んだ。
そこには、一通の受信メールがあった。
差出人は、『山城 翔』。
メールを開く。
そこに書かれていたのは、たった一文だった。
『非常に興味深い提案でした。可能であれば、15時に本社にお越しいただけますか』
俺は、ガッツポーズをした。
銀行口座の残高は10万円のまま。部屋も昨日と同じ。
でも、俺の頭脳と、PCに残ったこの一通のメールは、昨日までの俺とは全く違う。
未来への扉は、確かに開かれたのだ。
「さて、と」
俺はベッドに横になり、これから始まる壮絶な日々を想像して、ニヤリと笑った。
「最高で、最長の一日だったな」
明日からが、本当の始まりだ。
俺の人生の、第二章が今、幕を開ける。
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