第18話 それぞれの新しい道と未来の扉


 王宮の広間には、今は静かな昼の光が差し込んでいた。


 朝、選抜戦の終了が告げられてから数時間。令嬢たちは一度私室で身支度を整え、再びこの場へと戻ってきていた。“最後の晩餐”ならぬ昼餐に招かれたのだ。


 レオニス王太子と宰相、そして第二王子ユリシスが揃って着座している前に、八名の令嬢が一列に並ぶ。けれど、もはやこの場に「試験」の雰囲気はなかった。


「皆さん、この数日、思うところもあったことと思いますが、本当にお疲れさまでした」


 レオニスの言葉は、柔らかく、けれど芯を持っていた。


「この数日のご努力と真摯な姿勢に、改めて敬意を表します。そして本日は、“新たな歩み”について、それぞれにご案内がございます。

 もちろん、それぞれ内容を記した書状をお渡ししますのでご家族と相談の上決めていただければと思います」


 控室での発表に続き、王宮は六名の令嬢たちに対し、新たな道を用意していた。

 宰相が手元の帳面を開き丁寧に案内を始める。


「まず――アイリーネ・バルフォア侯爵令嬢には、王家筋に連なる辺境伯家の子息との見合いの機会がございます。

 彼は国境の警備を司る立場にあり、共に国を支える伴侶を求めております」


 アイリーネは驚きの色を浮かべたが、すぐに深く一礼をした。


「私にそのようなお話があるとは……光栄に存じます。前向きにお受けさせていただきます」


 続けて、別の名が告げられる。


「エルシア・ノール嬢には、王宮の研究所が興味を示しております。

 あなたの記憶力と洞察力は、研究開発や記録分析において優れた力となるでしょう」


 書庫での見学中、いくつもの細かな資料を暗記していた彼女が、驚きの笑みを浮かべた。


「書に囲まれて過ごせる日が来るとは……ありがとうございます。両親に相談し、ぜひ前向きに検討させていただきたいと思います」


 次いで、宰相が口を開く。


「そして――クラリス嬢と共に“見る者”の役目を担ってくれた、サラ・ユベール嬢」


 その名が呼ばれた瞬間、小柄な女性が一歩前に出た。栗色の巻き髪を後ろでまとめた彼女は、どこか落ち着いた気配を漂わせていた。


 クラリスの傍で、報告の場でも共にメモを取り続けていた女性。聡明な観察力と、決して前に出すぎない節度が印象的だった。


「あなたには、王宮の文士官としての任をお願いしたいと考えています。

 国政に関わる会議の記録、報告書の分析、王族への補佐業務。静かに、けれど確かな目を持つ者が必要なのです」


 サラは一瞬だけ目を見開き、すぐに口元を引き結んで深く頭を下げた。


「……光栄です。私にできることがあるのなら、誠心誠意務めさせていただきます」


 その声は、静かだったが凛としていた。


(良かった)


 クラリスは自然と微笑んでいた。共に過ごした短い時間――けれど、確かに通じ合った何かがそこにあった。


 他の候補者たちにも、それぞれにふさわしい道が提示されていく。


 商業に関心を示していた令嬢へは外交が盛んな領を持つ公爵家への見合い話であったり、王宮の文官育成機関に籍を置きたいと願い出ていた侯爵家の娘には、宰相直属の補佐官見習いとしての道が提案された。


 さらには、王宮に新設されることとなった〈地域連携室〉の発起メンバーとして、土地や農政に関心を示していた伯爵令嬢に声がかかる。


 それらの提案は、どれも“選抜の副産物”ではなく、それぞれの視点と希望、可能性を見抜いた上でのものであった。


 誰もが“落とされた”のではなかった。むしろ、見出されたのだ。それぞれの資質と未来が、きちんと見届けられていたことに、令嬢たちの胸には穏やかな感謝の色が広がっていた。


「皆さんの進む道が、どれもこの国を支える一端となることを、私たちは確信しています」


 レオニスが改めて伝える言葉に、皆が一礼する。


「妃という立場ではなくとも、皆さまが見せてくださった視点は、この国の未来に必要な力だと考えています。無理にとは申しませんが、ご検討いただければ幸いです」


 宰相の声には、真摯な敬意がこもっていた。


 “選ばれなかったこと”が終わりではなかった。


 ――ここから始まる新しい歩みが、彼女たちをまた別の未来へと導いていく。


(皆、それぞれの場所で、この国を支えていく)


 クラリスは静かに広間を見渡した。


 そこには、もう競い合う姿はなかった。あったのは、“共に国を担う者”としての、誇りある顔ばかりだった。


* * *


 昼餐後、広間の窓辺に立ち、クラリスとルナは並んで控えの間の様子を見守っていた。


「……本当に良かった。皆、それぞれの場所でまた歩き出せるのですね」


 ルナの声音には、安堵と優しさがにじんでいた。


 クラリスは頷き、ぽつりと応える。


「ええ。きっと、迷いながらも誠実に過ごしてきたからこそ、資質が見つけてもらえたのだと思います」


 そこへ、軽やかな足音とともに、ひとりの令嬢が歩み寄ってきた。


「クラリス様、ルナ様……本当に、おめでとうございます」


 声をかけてきたのは、サラ・ユベール。クラリスとともに“見る者”としての役目を担った令嬢だ。


「ありがとうございます、サラ様。サラ様が折々でここぞと言う時に記録されていた姿が私にとっても刺激と励みになりました」


「そう仰っていただけると、報われます。勧めて頂いた道に進めるよう、父や母とも話してみたいと思います」


 サラは照れたように微笑んだ。


「またお目にかかれるのを楽しみにしています」


 ルナが静かに言葉をかけると、サラは一瞬だけ目を伏せた。


「……正直、選ばれなかったことに悔しさがなかったと言えば嘘になります。

 でも、滅多にないこのような機会で、皆様と同じ時間を過ごし、知恵を絞ったこと、そして試験を通して“見る力の大切さ”と“書くことで支える”という道に気づけました。

 私はそちらで、この国に貢献できるよう努力します」


「あなたなら、きっと素晴らしい文士官になります」


 クラリスがそう言うと、サラは深く頭を下げ、控えの間へと戻っていった。


 その背を見送りながら、ルナが静かに言う。


「……人は誰しも、選ばれることだけを目指すのではなく、自分の道を見出せると強くなれるのかもしれませんね」


「本当にそう思います。

 ただ行儀作法の選抜戦だと思い、私は最初は棄権したいと願っていました。

 あえての機会がないと、なかなか資質というものには気が付くことができないのだと思いました。

 そのような機会だったのですね。今回の選抜戦は」


「それにしても、本当に不思議な選抜戦ではありましたね」


 ルナとクラリスが笑い合っていると、その後も数名の令嬢が言葉を交わしに立ち寄った。


 窓の外では高く上がった太陽が広場を照らし、噴水の水面がゆらゆらと輝いている。


「私たちも、ここが“始まり”なのですね」


 ルナがそっと言う。


「はい。選ばれて終わりではなく、ここからどう歩むかが問われる。ようやく、そう思えるようになりました」


「……私も、あなたがいてくれたから、最後まで自分のまなざしを信じられたのだと思います」


「それは、私もです。ルナ様がいてくれて良かったです。ありがとうございます」


 静かに通い合うまなざしに、競い合っていた日々の棘はもう残っていない。


 二人の間にあるのは、敬意と絆。そしてそれぞれの未来へ向かう、確かな意思だけだった。

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