第8話 演出された庭と、それ見る者たち
午後の試験終了の合図が鳴ったのは、ちょうど一時間後だった。
庭園の中央――噴水前に集められた十八名の候補者たちは、それぞれの手に記録帳や証拠品らしきものを携えている。
レオニス王子はその中心に立ち、穏やかに告げた。
「皆さん、試験お疲れさまでした。これより、発見と考察の共有をお願いします」
沈黙を破ったのは、ルナ・セレストだった。
「よろしいでしょうか?」
王子がうなずくと、彼女は一歩前に出た。
「今回の事件の“表面”は、失踪者を匂わせるような仕掛け――ハンカチや足跡、告発文などが散りばめられていました。でも私が注目したのは、“足跡”の不自然さです」
彼女は自らの手帳を広げる。
「南東の垣根まで続いていた足跡は、そこでぷつりと途切れていました。でも、その付近には“土がまだ柔らかい”箇所が残っていて、本来なら足跡が続いているはずなんです」
何人かの候補者が驚いたように顔を上げた。
「つまり、“途中で消えた足跡”が意図的に作られたものだとしたら――これは、犯人が“空白を演出”するための演出。失踪という印象を与えるための偽装です」
王子は微笑んでうなずいた。
「なるほど。空白を利用した、演出的仕掛けか」
「はい。そしてもう一つ……ハンカチの刺繍は、侯爵家のものでしたが、庭に落ちていたもう一枚のハンカチは、同じ刺繍が“雑に縫い付けられていた”んです。まるで偽物のように」
場がざわついた。
「それが“誰かのもの”に見せかけるための偽装なら、これは冤罪をテーマにした事件なのかもしれません」
王子はしばし考えるように黙り、そして視線を巡らせた。
「他に意見のある方は?」
続いて名乗りを上げたのは、黒髪の令嬢――昨日から観察を続けていた、あの少女だった。
「私は……垣根の裏で拾った“手紙”のインクに注目しました」
彼女は手袋をしたまま、封筒を王子に差し出した。
「乾きかけのインクで、午後になってから書かれたと判断できます。内容は感情的な言葉ですが、誰かの名前が一切出ていない。“犯人が分からないように書かれた”告発状です」
「つまり、真実を暴こうとしているようで、真実から目を逸らさせる仕掛けだと?」
「……はい。誰かを名指しせず、誰にでも“疑い”を向けられるような文面。これは“疑心”を生む仕掛けです」
王子は感心したように彼女を見た。
「では……クラリス・グレイ候補」
軽やかに笑ったあとで、少しだけ真剣な声音に変わる。
「君はどこまで見抜けたかな?」
名を呼ばれて、クラリスは軽く息を呑んだ。
「……はい」
クラリスは一歩前に出る。手帳を胸元に抱きながら、静かに口を開いた。
「私は……“この事件に巻き込まれた人物”が誰なのかを考えるより先に、“この事件を誰が見ているのか”を考えました」
その言葉に、一瞬、場の空気が揺れた。
「仕掛けられた“証拠”の数々は、どれも目立つ場所にありました。ベンチの上のハンカチ。垣根沿いの足跡。告発文。そして、それを見つけやすくするような庭の構造。
それは、“誰かに発見されること”を目的として仕掛けられていた」
彼女それは、“誰かに発見されること”を目的として仕掛けられていたは視線を庭全体にめぐらせた。
「この事件は、“謎を解くため”に仕掛けられたのではなく、“誰がどう見るか”を計るために設けられた――いわば、“観察者が観察される”構造だったと思います」
場が静まり返る。
「つまり……“真相”を暴くことではなく、“どのように辿り着いたか”が試されていたのではないでしょうか」
「……ほう」
王子が初めて声をもらした。
クラリスはそのまま続けた。
「手がかりは多くありました。でも、すべてが“嘘を混ぜた真実”だった。私たちがその中でどう目を凝らし、どこを拾い、どこに惑わされたか――それが、“殿下が見ていたもの”だと感じました」
彼女は最後に、そっと言葉を添えた。
「つまりこの試験は、“事件を解く”試験ではなく、“事件に対する姿勢”を試すものであり、……正解は一つではなく、“見る者の目”の数だけあったのだと思います」
レオニス王子はしばらく黙ったあと、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「――なるほど。それもまた、一つの“解”ですね」
その表情が、言葉よりも多くを語っていた。
だが、彼はすぐに目線を巡らせ、全体に声を響かせる。
「さて、ここまで三名の候補者が意見を述べてくれましたが――事件の“全貌”を明かすには、まだ材料が足りません」
その声音は穏やかでありながら、どこか試すようだった。
「皆さんの中で、“別の視点”や“補足情報”を持っている方がいれば、どうか隠さずにお話しください。この場に立っている以上、皆さんには“見る目”があるはずです」
一瞬、沈黙が落ちる。
しかし、すぐに数名の令嬢たちが視線を交わしながら、そっと手を上げた。
「では、そちらの……」
王子に指名された令嬢――栗色の髪をした細身の少女が、緊張した面持ちで一歩前に出た。
「わ、私が見つけたのは……噴水の裏手に落ちていた、靴の飾りです。小さなビジューで、片方だけでした。普通に歩いていたら、こんな外れ方はしないと思って」
「つまり、争いがあった可能性を示唆する物証ということですね」
「はい。それと、その近くには土が乱れた跡があって、何かを“引きずった”ような痕もありました。でも、なぜか途中で止まっていて……意図的に止めたように見えました」
クラリスは密かに感嘆した。
それは彼女が見逃していた証拠――“場の動き”に関する重要な補足だった。
さらにもう一人、別の令嬢が手を挙げる。
「私もよろしいでしょうか」
ゆっくりと前に出たのは、落ち着いた雰囲気を纏った令嬢だった。
「私は、庭園の北側で“花壇が踏み荒らされた跡”を見つけました。見たところ、無理に通った形跡がありましたが、不思議なことに――花びらだけが散らかっていて、茎は折れていなかったんです」
「……それはつまり?」
「つまり、“誰かが通った”ように見せかけるために、上から花びらだけをばら撒いた可能性があります。……そうであれば、“花壇の破壊”も演出の一部だったかもしれません」
数名の候補者たちがざわめいた。
徐々に、“仕掛けの全体像”が浮かび上がりつつある。
レオニス王子は満足げにうなずく。
「ありがとう。皆さんの気づきが、この“仮面劇”をより立体的なものにしてくれました」
その声には、確かな誇りと、どこか切実な響きがあった。
* * *
発見と考察の共有が終わったのは、午後四時を回ったころだった。
王子は、静かに候補者たちを見回し、こう言った。
「この庭の“事件”は、すべて演出されたものです。落とされたハンカチも、告発文も、足跡も――実在する誰かの秘密ではありません。ですが、それをどう“読み解いたか”は、あなた方一人ひとりの資質を示すものです」
そして王子は、少しだけ声の調子を変えて続けた。
「この国の未来を共に歩む者を選ぶなら、ただ優雅なだけでは務まらない。……真実を見抜く目とそれを指摘できることが必要だと、私は思っているのです」
クラリスは、その言葉の中に、王子自身の葛藤があるような気がした。
(……この人は、何かから目を逸らしたくないのね)
どんな真実であれ、見ようとしている人だ――そう感じた。
* * *
その日の夕刻。
城の回廊には、八つの名が読み上げられた。
クラリス・グレイ。
ルナ・セレスト。
……そして、名も知らぬ少女たちの中に、見覚えのある顔がいくつかあった。
残されたのは、八名。
クラリスの名が読み上げられたとき、静かな驚きが胸に広がった。
(……私、ここまで来たんだ)
その事実に、少し戸惑いながらも――クラリスは、これから始まる“さらに深い試練”を、受け止めようとしていた。
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