第6話 十八名の朝、そして次なる試験へ


 朝の光がカーテン越しに差し込むとともに、クラリスは自然とまぶたを開いた。


 どこか夢のような一夜だったが、目覚めた身体は不思議なほど軽い。羽毛布団のぬくもりの中からゆっくり起き上がると、柔らかな絨毯に足を下ろし、窓辺へと歩み寄る。


 窓の外には、朝露を帯びた庭園が広がっていた。朝日を受けてきらきらと輝く木々の葉、石畳の小道には昨夜の雨がほんのりと残り、澄んだ空気をまとっている。


「……きれい……」


 ぽつりとこぼれたその言葉は、心の底からのものだった。

 選抜戦のただ中にいることを忘れそうになるほど、穏やかな朝だった。


 クラリスは支度を整え、髪を結い直してから、昨日使用した提出用紙の確認を一度だけして、部屋の扉の前に立った。


 と、ちょうどそのとき。


「失礼いたします。朝食会場までご案内いたします」


 控えめにノックをしたのは、昨夜と同じ青年の従者だった。


「おはようございます。どうぞこちらへ」


 彼の言葉に軽くうなずき、クラリスはそのあとに続く。


* * *


 朝食会場は、晩餐会よりもやや小ぶりなサロンだった。


 暖炉には静かに火がくべられ、温かな空気が流れている。

 そして中央の長テーブルには、令嬢たちが席に着いていた。


 どこか、空気が静かだった。


 クラリスはふと、眉を寄せる。


(……あれ?人数、減ってる?)


 そう――明らかに、少ない。

 昨夜、晩餐会に出席していたのは四十三名。

 けれど今、この部屋にいるのは――十八名だった。


 その意味に気づいた瞬間、クラリスの胸がひやりと冷えた。


(……“感想文”による選別……?)


 昨夜提出した、“晩餐会の感想”という名の報告書。

 あれを通して、すでにふるいがかけられていたのだ。


 誰も声には出していない。

 けれど皆、どこか妙に静かで――誰が残り、誰が消えたのかを、確認するように周囲を見回していた。


 クラリスは案内された席に着きながら、昨日のルナの顔を探した。

 ――いた。

 彼女はいつも通りの落ち着いた笑みを浮かべて、テーブルの果物を器用に切り分けている。


(あの人は、残ったんだ)


 そして、もう一人――あの晩、会場の隅で記録帳を持っていた少女の姿もあった。


 濃紺のドレスに身を包み、相変わらず静かで、けれど何かを観ている目だった。

 ――やはり、あの子も観察の“役目”を担っていたのだろう。


 王子の沈黙の選抜戦は、静かに次の段階へと進み始めていた。


* * *


 朝食の席には、彩り豊かな果物と焼きたてのパン、ハーブ入りのスクランブルエッグに、香り高い紅茶が並べられていた。


 けれど、クラリスの胸に広がっているのは、味よりも――“問い”だった。


(どうして、昨日のあれで……二十五人も落とされたの?)


 誰かが何か失敗したのだろうか。

 それとも、“見抜けなかった”者たちが、排除されたのか。


 いずれにせよ、この選抜戦は――思っていたよりも、ずっと静かに、そして残酷に進んでいる。


(次は……何が起こるの?)


 問いの答えを知る者は、今この場にはいなかった。


 けれどクラリスの中に、確かな意志だけはあった。

 この選抜戦の“意味”を、知りたい。


 それが、自分に与えられた“役目”である気がしていた。


* * *


 ナイフとフォークの音が、控えめに響いている。

 小さな会話が交わされる場面もあるにはあるが、昨夜のような活気は、ここにはなかった。


 クラリスは、口に運んだベリーの甘酸っぱさをかみしめながら、テーブル越しの光景をじっと見つめる。


 ルナ・セレストは変わらず自然体で、隣席の令嬢とも和やかに会話を交わしていた。

 だが、クラリスには分かる。彼女は笑顔の奥で――この場を“測って”いる。


(この人数になった今、誰が残ったのか。……彼女はすでに見極めに入ってる)


 そして、あの濃紺のドレスの少女は、というと。


 パンには手をつけず、視線はずっと伏せられたまま。

 けれど、テーブルを一巡するように、静かに周囲を観察している気配がある。


(あの子も……“気づいて”る)


 観察される側と、観察する側。

 無自覚な演者と、意識された目。


 ――この選抜戦は、そういう舞台だ。


 ふと、クラリスは昨夜の自分の“記録”を思い出していた。


 全体の動き、配役の意図、王子の意図。

 夜の静かな部屋で、ひとつひとつ線を引くように書いた記録用紙。


(あれで、私は“何か”を問われていたんだろうか)


 何を“見た”のか。

 どれほど“察せた”のか。

 そして――それをどう“言語化”したのか。


(……選ばれたってことは、“見た”って、認められたってこと?)


 まだ自信はない。

 だが、少なくとも――自分が今、このテーブルに座っているということだけは、事実だ。


 そのときだった。


「おはようございます」


 場の空気を裂くように、扉の向こうから一人の声が響いた。


 入ってきたのは、昨日レオニス王子に付き従っていた、あの近侍の青年だった。

 貴族らしい礼装に身を包み、真っ直ぐな背筋で歩み出ると、静かに頭を下げる。


「改めて、皆さまおはようございます。レオニス殿下の御意により、昨夜の晩餐会における“提出文”をもって、第二次試験の審査が完了いたしました」


 息を呑む音が続きざわめきが起こりかけたが、誰も声には出さない。


「審査は、殿下ご自身と、ご信任の審査官によって慎重に行われました。選考の観点は多岐にわたりますが、特に“観察力・洞察力・誠実な表現”を重視したものと伺っております」


 “観察力”。

 “誠実な表現”。

 ――やはり、あの晩餐会は「見る者」「見せる者」の試験だったのだ。


「以上の評価をもって、本日より候補者は十八名といたします。該当されなかった方々には、先ほどご帰邸いただきました」


 静かな説明だった。

 けれどその事実の重さに、室内の空気が凍ったように沈黙する。


(……やっぱり、選ばれてたんだ)


 クラリスは思った。

 あの記述――あの夜、眠気と疲れの中で書いたあの言葉たちが、選考の鍵になっていたのだと。


「そして、本日午後には次の試験が予定されております」


 青年は声の調子を変え、話を続ける。


「十四時、第一庭園にお集まりください。服装は動きやすいものを推奨されております。詳細につきましては、現地にて殿下より直接ご説明がございます」


 またしても、具体的な内容は伏せられたままだ。


(動きやすい服装……って?)


 先の見えない選抜。

 けれど、静かに、確実に――次の“幕”が上がろうとしていた。


 クラリスは思わず目を見開いた。


(まさか、“筆記”じゃないということ……?)


 これまでのように、観察力や記述力を問う試験ではないのか。

 それとも――今度は、さらに違った“何か”を見ようとしているのか。


「詳細につきましては、現地にて殿下よりご説明がございます。それでは、失礼いたします」


 そう言って近侍は一礼し、静かに退出していった。


* * *


 朝食会場の空気は、急に張り詰めたものに変わっていた。


 誰もが言葉少なに食器を置き始めている。

 心は、すでに“午後”に向かっていた。


 クラリスもまた、立ち上がる。

 その胸には、奇妙な緊張と、ほんの少しの高揚が入り混じっていた。


(また、新しい“仮面”が始まる)


 彼女の観察は、まだ終わらない。

 むしろこれからこそ――

 本当の“真実”が、動き出すのかもしれない。

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