第一章 満月に至るまでの日々 五
商団というのは、規模の大きいものだと移動式商店街のようなもので、入れ替わりが激しい。大きい商団になると、大道芸人や合唱隊なんかも連れて行くらしい。ルーサム商団の規模はおよそ中堅ぐらいで、隊長はずっとルーサムである。
彼は、アラニエがとても小さい頃から定期的にカラカスに通ってくれている。辺境のカラカス族にとって商団の来訪は貴重な娯楽だが、商団側にメリットはなさそうだ。それでも気楽に立ち寄ってくれる。なくてはならない存在だ。
一方、雪狼というのは、盗賊の俗称である。小粋にそう名乗りをあげた賊がいたわけではなく、昔からそう呼んでいる。どういうわけか、この荒々しい大地にわざわざひそんで旅人を襲う。襲われた旅人が、カラカスで息を引き取ることもある。
個でいることを選んだ連中だから、村にいれば安全だ、と思われていた。だが。
「そう、こんなに近くでだ。カラカスのすぐそこだ。ギノにも進言したんだが、連中をどうにかして追い払うか、それでなければ持参品を減らして護衛を増やして……でも、それでも十分じゃない。俺の立場でこんなことを言えないが、どうか、日を改められないか?春までとは言わないが、少し気候が落ち着いたらだ」
「出立の日は山羊様のご指示なのよ。私たちにはどうしようもない」
つるぎとりの家は、修験者達を護るために作られた衛兵が起源である。修験者達が山に分け入った今でも、主は変わらない。ゾラは、満月の日にと決めたのだから、それに従わなければいけない。
「着いてきてくれる子もお土産も、その日のために調整されてるの」
「なら、俺がマカンベリーまで付き添うのはどうだろうか?」
アラニエはつかの間逡巡した。
「それは……随分難しいと思うわ……」
デミルの真っ直ぐな目は、冗談ではないことを語っていた。
デミルはギノと一緒に一通りの剣術を学んだし、精悍な体を持っている。山についてもよく知っている。並んで山に分け入るのであればこれ以上に頼もしいことはない。しかし、道中が不安だからと言って、従者として扱うことはできない。デミルはザイナスからの預かりなのだ。
「俺がどこの誰かなんて、誰も知らないだろう。念のためなら、顔を隠せばいいんじゃないか?姫様に有能な従者がいるのは普通だろう。丈夫で、役に立つよ」
デミルが少しだけおどけたのかと思って、アラニエは笑った。デミルが何者であるかをよくよく知っているからこそ、偽らせるわけにはいかなかった。
「ありがとう」
長い付き合いは、その一言を柔和な固辞として伝わらせた。デミルは「でも、」と言いつのったが手で制した。
「足の速いエルを連れて行くわ。何人か、往路に着いてきてくれるし、くだらない持参品は減らす。できるだけ小さなまとまりで行くことにするわ」
「それだけじゃ足りない」
「むやみに護衛を増やして、これからずっと一緒に住む人たちに、この女は弱虫だと侮られたくないの」
ならず者は今までいなかったわけではない。カラカスの山のそもそもの厳めしさ、厳しい気候が、自然とそのような者を追い払ってくれるのである。マカンベリーまでは一昼夜あれば着く距離で、その道中は見晴らしがよく、危険は少ない。
「私は、どんなに取り繕ったところで、物を知らずに甘やかされて育った女なんだとすぐにばれてしまうでしょうね。隠さずに行こうと思うの。せめて、度胸だけはあると思われたいわ。きっとそれは、私の待遇にも、カラカスの扱いにも、直接関わってくるから」
旅路を甘く見ているつもりではないが、何しろ旅などやったことが無い。どんなに心構えをしても目算は甘いだろう。往路だけでも堂々と参上したい。
「デミルみたいになりたいからなあ、ゆくゆくは」
「俺のように?」
できるだけ誤解が無く、素直に伝わるよう、アラニエは祈った。
兄、ギノが受ける扱いはわかる。つるぎとりの跡取りであり、カラカスの族長になる男だから、立てて大切に大切に育てられる。ギノもその重さを理解している。だが、アラニエはどうだ。アラニエの立場から、彼らに返すことができるものは何もなかった。それなのに、アラニエ様、姫様、と愛情を注がれてもらった。それはとてもありがたいことだが、同時に最もいたたまれないことでもあった。縁談が来たときには、体一つで報いることができる役目がやっと来てくれた、安堵したぐらいに。
「俺なんか、流されて生きているだけだよ。いきさつはいろいろあったけれど、自分で決めてきたことだからな。だから、アラニエが、なぜカラカスを守るために運命を選べないのか、自由じゃなくて国を選ばなければならないのか、それが本当に必要なことなのか、ずっと考えているんだが……」
アラニエは静かにデミルの手をとった。水に脂を抜かれて、乾いてひび割れ、剥けて、また皮膚が貼られ……いつのまにこのようにたくましくなったのだろうかと考えながら握ると、彼も優しく握り返した。デミルはアラニエとは逆だ。生まれの身分が最低限命を保証してくれたものの、カラカスでここまで強い信頼を勝ち得たのは、デミル本人の努力があったからだ。アラニエも、そのようにたくましくあり、故郷に役立ちたい。
「爪を切ってあげましょうか」
デミルは慌てた。「いや、いい、いい」と手を引っ込めようとした。昔は素直に両手を差し出したのに。いつからか、アラニエがよこす無償の優しさを受け取るのをきまり悪がるようになった。無償の愛情を押しつけるのは、なんだかんだ能書きを垂れても、無償の愛を注ぐのはただただ楽しい。
「大丈夫よ!絶対痛くしないから!」
「いや……アラニエ、君が器用なのは知ってるから!そうやってからかわないでくれ、頼むよ」
しかし、彼はそういう不格好な自分を装うようなところがないのが、実に良い男だ。デミルはそのままでいて欲しい。アラニエは満足し、デミルの手を解放した。
「大丈夫よ。私、どんな人相手だって、よくやるわ」
「アラニエ……」
「本当よ、任せて」
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