暴食の魔人 グラトニーの誕生

 うす暗い部屋のなかにいくつもの台が並んでいる。

 そのうえに並べられているのは、老若男女さまざまなひとの身体だ。

 ある者はうめき、ある者はすでに息絶えているが、全員に共通しているのはひどく痩せ細っているということ。

 そこへ、一筋の光が差し込む。

 重苦しい扉を開け、入ってきたのは白い衣に身を包んだ研究者だ。

 こつん、こつんと硬質な足音とともに流れ込んだぬるい風が、室内の冷えて固まったような空気をかき混ぜた。ほんのささやかな変化だが、その変化はひとりの男の意識を揺り起こすのに十分だった。

 無に限りなく近いところで沈んでいたその男は、強制的に浮上する意識とともに強烈な感覚を覚えていた。

 ひとが命を得たとき、はじめに完成する感覚は『味覚』だという。母親の腹のなかでようやくひととしての形を成すころに、すでに口中の感覚ができあがっているのだ。

 けれど男がはじめて知覚したのは、味ではなくひどい空腹だった。腹が内側から抉られるような空腹感に手足が震え、目をあけることすらままならない。

 膨れ上がった空腹に溺れてしまいそうな男の耳に、音が触れた。


「どれも動かないな」


 生まれて最初に聞いた声を理解できたのは、男が赤ん坊ではなく青年の肉体を持って生まれたから。けれどそれは男にとって、幸いではなかった。


「また失敗か」


 ため息とともにこぼれたその声に、歓迎の響きはない。

 板にはさんだ紙の束に何事かを書きつけるその研究者の視線は、まるで貼り付けにされた虫を見るようなそれ。その視線の先に並ぶ誰もが、身じろぐこともせず横たわっている。


「一番廃棄、二番廃棄、三番保留……」


 ひとりひとり、というより一体一体を確認しては紙に印を入れていく研究者の足音が、ふと止まる。男の頭側に立った研究者は、痩せこけた胸元を覗き込んだ。

 肉が削げ落ち、骨と皮ばかりの胸元にきらりと光る異質な物。室内に寝かされたどの身体にも、ひとつずつ置かれたそれは結晶だ。


「竜核が、皮膚になじんで……?」


 研究者は喜びに声を震わせた。

 たったひとりだけだった。室内に寝かされた人々のなかでたったひとりだけ、その男だけが竜核の結晶をその身になじませていたのだ。

 いや、室内だけに限らない。研究者が持つ紙の束に記された数多の人々が、竜核に打ち勝てず葬られてきた。

 それゆえ、うすい肉に竜核をめり込ませたその姿に、研究者は我を忘れて歓喜した。


「やった、ついにやったぞ!」


 歓喜し、忘れてはいけないことを忘れてしまっていた。


「ああ、ついに。ついに……!」


 うわごとのようにつぶやきながら、研究者が男の胸に埋まった竜核に触れた、その途端。

 男の空腹感が爆発した。

 あらゆる感情が、意志が、ひととしての在り用が空腹に飲み込まれ、男を突き動かしたのはたったひとつの思い。

 食いたい。

 その思いが竜核までも塗り潰す。

 かぱ、と開いた男の口に広がる無限の闇を研究者は目にしただろうか。大きく目を見開いた研究者は、悲鳴をあげる間も無く男の口に飲み込まれた。

 それでも男の身を蝕む空腹は、薄れもしない。

 もっと食いたい。

 欲望に突き動かされるまま起きあがった男は台からずるりと落ちながら、近くにいる者たちを手あだりしだいに食っていく。

 すでに息絶えた者、ちいさくうめいている者。ひとに限らず寝かされた台座までもが、男の開いた口のなかに消えていく。

 それでも男の身を蝕む空腹は、大きくなるばかり。


「もっと……!」


 ひとも物も建物さえも食い尽くして、それでも癒えない空腹に男が倒れ込み叫んだ。そこへ。


「これはこれはこれは」


 芝居がかった声とともに現れたのは、派手な男だった。

 高級だとひと目でわかるつややかな布をたっぷり使った衣服に、これでもかと施された刺繍は金糸銀糸を使用した豪華で緻密なもの。その豪華さに負けない宝飾品が、胸元といわず手首といわず、男の身を余すところなく彩っている。

 あまりにも華美。あまりにも豪奢。それでいて、男自身を引き立てる衣服だ。

 常人であれば衣服に着られ、埋もれてしまっただろう。けれど男はしっかりと衣服を着こなし、存在感を十二分に保ったまま痩せこけた男の前に立った。


「ほうほうほう」


 見下ろし、見回し、反り返った靴の先で、痩せこけた男の肩を蹴り上げる。


「ぐっ」


 うめき声をひとつ。蹴飛ばされた痩せた男は、仰向けに転がった。その胸元を見やり、派手な男がにんまりと目を細める。

 骨と皮ばかりの胸元に浅く埋もれていた竜核のかけらは、今やなめらかな球面となっていた。大部分が皮膚の下に潜り込んでいるが、見えない箇所も含めれば核は球体をとっているだろうと思えるなめらかさだ。


「有象無象の被検体ごと、竜核の欠片を食った。そして成ったわけだ、この俺様、プライドと並ぶことのできる魔人に!」


 言って、満足気にうなずいたプライドは、唐突に両腕を広げた。動きに合わせてたっぷりとした袖が大きく開き、風にひらりと舞う。


「歓迎しよう、七人目の魔人! 帝国の権威の象徴。暴食の魔人、お前の名前はグラトニーだ!」


 胸を張ったプライドの声が荒野に響き渡る。周囲には何もない。人も、建物も、踏み固められた地面でさえ、痩せこけた男が飢えに任せるまま食ってしまったのだ。

 そしてすべてが失われ抉れた大地のただなかで、暴食の魔人グラトニーは生まれ落ちた。

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