シニガミ・キリングフィールド ―神魔激突前線東京―
犬飼風
死神転生
第1話 大学生、死神に狙われる
深夜のアパートに、ガリガリとドアを削る音が響いた。
薄暗い部屋のすりガラス越しに、包丁を持った女の影が揺れる。
影は姉、
一週間前にその手の包丁で自殺したはずの姉。その赤い視線をガラス越しに感じる一矢。
「かずや、あけて。かずや。かずや。かずや」
ガリガリガリ。
一矢の心臓がバクバクと暴れる。
六階の部屋であり、逃げ場はない。
弓美は一矢に悩みを語らなかった。だからこそ彼は姉を救えなかった後悔が胸を締め付ける。
「姉さん、何で死んじゃったんだよ……俺のことを恨んでるのかよ……?」
そしてこの数日、「姉」は毎日ドアの前で彼の名前を呼び続けるのだ。
「これが破られたら俺、死ぬのかな……」
ドアの軋む音を聞きながら、後悔や恐怖でぐちゃぐちゃになった思考でつぶやく。
いざとなったら飛び降りる覚悟で開け放していた窓のカーテンが揺れる。
「お兄さん、まだ死にたくないでしょ?」
黒いセーラー服の少女が窓枠に腰かけていた。
新たな来訪者の出現に驚き、ベッドの上で硬直していた身体が跳ね起きる。
だが口がパクパクと動くだけで声が出ない。
「死神と契約する覚悟、ある?」
幼い声で笑う少女は、一矢の返事を聞かずそのまま後ろに倒れ込むように落ちていく。
慌てて窓から下を覗く一矢。
人影らしい落下物はなく、窓際には黒い羽根が散らばり、一枚の名刺が残されていた。
「椿探偵事務所 椿響子 怪異全般請け負います」
弓美の幽霊、正体不明の少女の少女と名刺。
一矢は人智を超えた何かに巻き込まれたことを、連日の寝不足により鈍った思考で感じ、ぼそりとこぼした。
「死にたくないに決まってるだろ……!」
その日の昼頃。一矢がたどり着いたのは古臭い雑居ビル。
テナントもほとんど入っていないように見える。
エレベーターもないので階段を上がっていくと、四階のドアに看板が吊り下げてあった。
「椿探偵事務所 OPEN」
手にした名刺と見比べて確認する。
(ここで間違いない。でも大丈夫か? 絶対まともな場所じゃないだろ)
彼は名刺に書かれた「怪異全般請け負います」という一文を改めて見返す。
一矢が躊躇っていると不意にドアが開いた。
「お兄さん。来てくれたんだ」
夜中の黒い制服の少女だった。驚いていると手を引かれ中へと引っ張られる。
抵抗を許さないほどの力で一矢は事務所内に引き込まれてしまう。
そこは殺風景な事務所だった。
来客用の黒いソファーはへたっているし、ソファーに挟まれたテーブルは埃を被っている。
窓際には大き目の机と椅子のセットがあり、黒いパンツスーツの女がそこに座っていた。「椿響子」とは彼女のことだろうか。
「つぐみ、ご苦労」
冷たい美貌の持ち主は少女に声をかけた後、椅子から立ち上がりどっかとソファーに腰かけた。
無言で向かいのソファーを指差す女のネクタイは黒く、喪服をイメージさせる。
促されるままソファーに座る一矢。つぐみと呼ばれた制服の少女も彼の隣に座った。
「探偵の
とても簡素な自己紹介。
「実は俺……」
一矢が弓美のことを話そうとするとそれを遮るように喪服の女が口を挟んだ。
「詳細は結構。予めあなたについて調べさせていただきましたが、その幽霊の一件、裏で糸を引く死神の仕業でしょう。しかし相手が死神ならこちらにはそれに対抗する術があります」
「その子からも聞きました、死神って何ですか!」
思わず大声で返してしまう一矢。
「端的に言えば怪異などが溢れすぎないようにそれを殺す、死を司る存在です。それで契約はどうされますか?」
「怪異とか、いきなりそんなことを言われたって……」
「事は急を要します。当方は対死神専門の探偵事務所ですので、対処が可能です。お祓いなどしたところで意味はありませんから……そうでしょう?」
図星を突かれた一矢は冷たい汗をかく、どこまで自分のことを知られているのか。
確かに一矢は神社に駆け込んでお祓いを受け、お守りを買った。もっともそのお守りはどす黒く変色してしまったのだが。
「でも俺、その……貧乏学生で、お金なんてもってないですよ?」
「報酬は獲物の質次第ですので、変動すると思っていただければ。それで? 天ケ瀬さん。あなたは死神の手を取る覚悟はありますか? 『死神殺しの死神探偵』椿響子の手を」
椿は一矢に向けて手を差し伸べる。
わけがわからないが、一矢は死神を名乗る探偵椿響子に得体のしれない恐怖を感じ、手を取ることを躊躇する。
「化物に殺されるか、化物と手を取るかだって? でも……」
「でも?」
「まだ死にたくない。生き延びるためなら、力を貸してください」
一矢は椿の手を力強く握り締めた。
「よろしい。化物呼ばわりは心外ですが、契約締結といたしましょう」
「質問があります」
「いいでしょう。ただし急いで行動に移る必要があるので三回だけお答えします。それだけあなたの命には時間がないということをお忘れなく」
「じゃあ……死神について教えてください」
死神。少し前の一矢なら実在など信じていなかった。
だが弓美の幽霊がいる以上、死神がいてもおかしくないと今は思う。
「いいでしょう。先ほども申し上げましたが、死神は何かを殺すことで生きる怪異の中でも特異な存在です。ああ、怪異という言葉は妖怪や心霊現象のようなものだと理解していただければよろしいかと。人を狩る死神、人ならざるものを狩る死神、妖魔を狩る死神……狩りの対象は多岐に及びます」
椿響子のする死神についての説明は滑らかだった。これまで何十回としてきたかのように。
想像を超えた椿の言葉に困惑しながら、一矢は言葉を選びつつ質問を続ける。
「じゃあ、姉さんの幽霊が俺を狙っているのは姉さんが死神になったということですか?」
「二つ目。違います。あなたを狙っている霊は死神の道具として操られているに過ぎません。霊を猟犬のようにけしかけてあなたを追い詰めている最中なのですよ」
「……その、操られている姉さんの霊は、本物の姉さんなんですか」
絞り出すように三つ目の質問をする一矢に椿響子は冷たく告げた。
「三つ目。本物です。そうでなくてはあなたを追い詰めることはできませんから」
「……ッ!」
一矢の脳裏に幼いころから弓美と過ごしてきた記憶が押し寄せてくる。
既に死した者の霊と言えども、家族を利用しているその死神という存在に怒りが湧いてくる。
「俺を、俺なんかを追い詰めて何になるんですか! 姉さんも俺も死神なんかに目を付けられる理由なんか無いはずですよ!」
「既に三つお答えしましたが、サービスです。悪霊によって殺された者は、その負の感情から連鎖的に悪霊になります。そしてあなたを狙う死神は悪霊を操る力を持つ者。悪霊を使い、さらにあなたから悪霊を生み出す。それが奴のやり口です」
「随分と……手口に詳しいんですね」
身構える一矢に椿響子は心外だとでも言うように顔をしかめた。
「私を奴と同じように扱うのはやめていただきたい」
蚊帳の外の黒いセーラー服の少女、つぐみは一触即発の空気を感じ取り身を縮めた。
「奴の名はドクトゥール・スペクトル。悪霊を生み出し、操り、喰らい……千年もの間生き長らえる異常者です。日本を根城にしてからも巧妙に狩りを続けている狡猾な死神でもあります」
一矢は拳を握り締め、決意する。
(家族を墓から暴いて辱めるようなやり口が許せない……! 何よりも姉さんをそんな奴から解放したい!)
「何でもします。その死神を倒してください」
「倒すのではありません。殺すのです。しかしその契約、果たしてみせましょう」
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