うれし恥ずかし、水着回です-3
あれはどういうことだったんだろう。
まつりは昨日、突如始まった神楽の挙動不審さについて考えていた。
神楽はリビングのテーブルで瑞穂に夏休みの宿題をみてもらっている。
まつりはフローリングのクッションにおさまって、ギターを手にノートにアイデアの書き付けをしている。思いついた歌詞に旋律をつけて、コードを振っている。旋律は鼻歌にしてアプリで楽譜化してもらう。楽譜が書けなくても作曲ができる時代である。
作詞作曲をしたからそれでどう、というものではない。しかしまつりはギターを始めて、こんなにも音楽が身近なものだと知り、自分でも何かできないかと模索した結果が、このシンガーソングライター遊びだ。とても人に見せられないし、聞かせるなんて更にできないことだが、考えながら何かを作ることはとても楽しく、充実した時間になることを知った。しかしそれができるのも心の余裕があるときだけだということも分かっている。だから今はある意味、心の余裕があるのだろう。その心の余裕が生まれたのは、瑞穂が神楽の勉強をみてくれているからなのは間違いない。
しかしアイデアはなかなか生まれない。それは神楽の挙動不審のせいだ。隠れなくなっただけでもマシなので、その点、瑞穂には感謝だ。泊まりに来てくれて本当に助かった。2人きりだったら間が持たなくて、お互い部屋に籠もっていたかもしれない。
瑞穂のお陰でプールに行けたのも良かった。市民プールだが、いい夏の思い出になった。眩しい陽光の下で、神楽の肌を見ることができて心が躍った。その気持ちの高鳴りを旋律にしたいのに、集中できない。
神楽との距離がちょっと離れただけでこれだ。もし問題を生じさせて別々に暮らすなんてことになったらどれほどの喪失感に苛まれることだろう。
だから神楽が自分と上手く話せなくなった理由を知っておきたい。そうでなければまた同じことが起きるだろう。その時、瑞穂の助けがあるとは限らない。
夕方になり、瑞穂は今夜も泊まっていくと言った。自分と神楽の関係が心配だからなのか、単に暇だからなのかは、まつりから見ても分からない。
今夜は瑞穂に夕食を任せた。瑞穂はカレーしか作れないというので、全くそれで構わないと神楽とまつりの意見は一致した。
かなり苦労しながら瑞穂はカレーを完成させ、カレーライスだけの夕食になる。
「神楽くん、赤くなってるね」
まつりは顔や首回り、二の腕が赤くなっているのを見て、日焼けしたのだなと気付く。
「僕、焼けやすいんだ」
「だから日焼け止めを塗れと」
瑞穂はプールに入る前、神楽に日焼け止めクリームを塗るよう勧めたが、神楽は断った。
「だって日焼け止め塗ってプールに入ったらプールの水が汚れちゃうよ」
それもそうなのだが、今の日差しで日焼け止めをしないのはやはり問題だ。瑞穂もまつりも気を付けて塗ったつもりでもやや焼けた気がする。
「シャワー大変だよ」
「うん」
神楽の返事は言葉少なだ。瑞穂がスマホで調べて言う。
「冷たいシャワーで冷やすといいらしいぞ」
「わかった」
神楽は頷いた。
後片付けはまつりがすることになり、最初に神楽がシャワーを浴びる。次に瑞穂で、シャワーの準備を終えると瑞穂はカウンターにローションを置いていった。
「神楽きゅんに塗ってあげなよ」
「……今の神楽くんで大丈夫かな」
「大丈夫大丈夫。気にしすぎだって」
リビングの扉が開き、神楽が戻ってきた。
「たまちゃんさん、次どうぞ」
「じゃあ、先に入るよ」
瑞穂はまつりに断って、洗面所に向かった。
カウンター越しに目を向けると、神楽は上半身裸でなく、パジャマ姿だった。
まつりは洗い物をする手を休めて、神楽に言った。
「じゃあ、日焼けしたところにローションを塗ってケアしようか」
「ええっ! いいよそんなの」
「ダメダメ。明日まで痛いまんまだよ。少しでも身体を労ってあげないと」
まつりはキッチンから出て、カウンターに置かれたローションを手にする。
「はい、座って」
「自分で塗るよ」
「背中は塗れないでしょう」
神楽をクッションに座らせ、パジャマを脱がせる。白い肌がすっかり赤くなって、軽い火傷だと分かった。
ローションを手のひらの上に乗せ、神楽の背中を刺激しないようにまんべんなく塗る。塗っている自分の方が手のひらを通して気持ちよくなる。
白い肌が赤くなり、筋肉が発達していない子どもの背中を見ていると、原始的な大きな感情が深層から表層に上がってくる。好きな男の子との単純接触が、自分の中のシンプルな感情を刺激しているのだとまつりは気が付く。一言でいうならムラムラしてきてしまった。
なんとかローションを背中に塗りおえて、神楽にローションの瓶を渡す。
「あとは自分で塗ってね」
「うん」
神楽は自分で顔や首筋、腕にローションを塗る。その動作はまつりにエロティシズムを感じさせる。神楽が塗るのではなく、自分が塗ってあげられたらいいのにと思う。そして神楽にマッサージして貰ったときのことを思い出し、神楽はどんな気持ちでマッサージしたのかを想像し、まつりは頬が紅潮し、甘い血液が心臓から四肢の先端に向かって流れ出すのを感じた。
早く瑞穂がシャワーから出てこないかな、と心の片隅で思う。そうすればきっと自分は正常に戻るだろうから。
このままだと神楽の背中に抱きついてしまいそうだ。そして手を彼の股間に伸ばし、ローションを塗った手で彼を気持ちよくしてあげたい。
しかしそんなことをしたらそれこそ犯罪だ。まつりは自分の頬を叩き、洗い物に戻る。すぐに瑞穂がリビングに現れ、まつりは逃げるように洗面所に向かった。
少し日焼けの痛みを覚えながらいつもより
神楽の姿はリビングにはもうなかった。朝、走っている神楽の夜は早い。また、泳いで疲れていたこともあるだろう。眠りたかったのだろうな、と思う。
瑞穂はドライヤーを使い終えて、スマホをいじっていた。
「聞いてくれる?」
「そのために今日はいるようなものだからな」
まつりの言葉に、瑞穂はスマホから目を離した。
「どうした?」
「私、神楽くんに欲情してる」
瑞穂の表情がこわばり、唇は真一文字になり、返事は帰ってこなかった。
「なんか言ってよ」
まつりはその沈黙に耐えられなかった。
「お前、処女だろ? なのにショタに欲情するなんて業が深すぎる」
「ショタだからじゃないよ。神楽くんが神楽くんだからだよ」
神楽の存在はまつりの心の奥深くにある。それを自覚している。
「だとしても犯罪はいかん」
「そんなの分かってるよ。ちょっとでも神楽くんに嫌われたって思っただけで大ダメージなんだもの。少しでもその可能性は排除しないと!」
「分かってるじゃないか。まあもちろん、神楽きゅんの方は悪い気はしないだろうが、それでも犯罪は犯罪だからな。悩みの種をわざわざ抱え込むことはない」
まつりは頷く。
「うん。家族になるって、決めてたのに」
瑞穂はまつりの頭を子どもにそうするようにタオルの上からポンポン叩いた。
「じゃあ、がんばれ」
まつりは頷くことしかできなかった。
瑞穂は、まつりが神楽を襲うことを危惧したのか、今夜は一緒に寝ようと言い出し、そうすることにした。今は瑞穂に感情を吐き出して少し落ち着いているが、何かのきっかけでまたムラムラしないとは限らない。
まつりの部屋で枕を並べて瑞穂と一緒に横になり、無事に眠ることができたまつりだった。
翌朝、瑞穂は神楽が走りに行っている間に帰ることにした。どうやら地元でアルバイトがあるらしい。予定があるのに泊まってくれたことを、まつりは口にこそしないが、感謝する。
去り際に玄関で瑞穂が言った。
「ちゃんと我慢できて偉かったな。2人はもう家族なんだよ」
自分の心がどうあれ、一緒に暮らして、お互いのことを考えている。それは家族と言っていいと思う。だからまつりは頷いた。
「でもさ、家族って言ってもいろいろなカタチがあるよね。2人の間に血のつながりはないし」
瑞穂の言うとおり血のつながりはない。それでもこれから少なくとも8年間、一緒に暮らすことになる家族だ。瑞穂は続けて言った。
「それで1番普通なのは、他人同士がくっつきあう『夫婦』だよね」
そして瑞穂は微笑んだ。
まつりはカッと赤くなり、俯くことしかできない。
ちょうど汗だくになった神楽が帰ってきた。
「たまちゃんさん、帰るの?」
「ああ。木更津で、またね」
神楽は大きく頷く。すぐに自分たちも木更津の家に戻り、整理を始める計画だ。瑞穂とはまた会う機会があるだろう。
瑞穂はまつりに耳打ちする。
「長期戦だな。がんばれよ」
瑞穂はそう言って去り、まつりは瑞穂を見送る神楽の横顔を見るのだった。
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