第8話 うれし恥ずかし、水着回です

うれし恥ずかし、水着回です-1

「あーん! 神楽くんに嫌われちゃったよ~~」


 素麺を食べ終えたまつりは、即座に瑞穂に音声通話をかけて泣きつく。


『何か心当たりはないのか?』


「通知表を見せてもらったくらい」


『まさか怒ったりはしてないよな』


「そんなはずない。とってもいい成績だったんだよ」


『じゃあ本当に心当たりがないんだな』


「目を合わせてくれないし、すぐに自分の部屋に引っ込んじゃうしで、とりつく島がないんだよ」


 まつりは自分で言っていて悲しくなる。朝まではいつも通りだったのに、神楽が小学校から帰ってきたら、突然あのとびきりの笑顔が見られなくなるなんて、思いもしなかった。


『まつりが知らないところでやらかしたか? それともついに神楽きゅんに手を出したか?』


「出すわけないじゃん!」


『何年も若紫を養育した光源氏ですら、初めて抱いたときは嫌われたからな』


「国文専攻への嫌味か」


『しかしこれから夏休みだというのに神楽きゅんがそんなんじゃ困ったな』


 瑞穂の言うとおりだ。神楽も夏休みに入った。早速、木更津の実家を片づけに戻ろうかと考えていたのに、神楽の様子が変なままではそれがおぼつかなくなるだけでなく、同居の継続も再考しなければならない。


「なにか名案はない?」


『名案ではないけどウチが神楽きゅんの話を聞くというのはどうだろう』


 神楽は瑞穂と打ち解けているようだから、ありかと思う。


「じゃあ今夜にでも」


『でも何の理由もなく泊まるのも怪しいから、明日一緒にプールに行くってのはどう?』


「神楽くんとこの状況で一緒にプール?!」


 うまくいくとはまつりには思われないが、何の理由もなしに瑞穂が泊まりに来るのもまた不自然だ。


「……瑞穂が誘ってくれるなら」


『ずいぶん弱気だな。仕方ない。貸しは大きいぞ』


 まつりは瑞穂からは見えないのに大きく頷いた。


「持つべきものは友だ」


『その結果、ウチの水着に悩殺されて神楽きゅんがウチに手を出したら、それはそれで』


「ダメ! お触り禁止!」


 瑞穂のお陰で割とテンションが戻ったまつりであった。




 まつりを見るとどうにも心が騒ぎ、神楽はまっすぐ彼女を見られなくなってしまった。こんなことになるなんてもちろん初めての経験で、神楽はただただ戸惑い、自分の部屋のフローリングの上でジタバタする。


 まつりが嫌いになったのでは断じてない。むしろ逆だ。血縁がないと知った今、まつりを見て、気持ちがいつもよりずっと高まっている。


 まつりが帰ってきて、どんな顔をすればいいかわからず、通知表を見て誉めてもらって更に頭が混乱し、神楽は彼女から逃げることしか思いつかなかった。どう言い訳すればいいのかも思いつかない。


 まつりのことが好きだ。大好きだ。


 好きすぎて自分がコントロールできなくなっていることを理解するまで、そう時間はかからなかった。今までは甥と叔母で、決して叶わない恋だと分かっていた。しかし今はもうその縛りはない。だから、まつりに嫌われるようなことは絶対にできないと緊張しまくっているのだ。


 もうまつりの前でパンツ1枚でうろつけないし、まつりの下着姿を見るわけにもいかない。そんなことをして嫌われたくない。


 これからどうしたらいいのか悩んでいると、部屋の引き戸がノックされた。


「今晩、瑞穂が来るって言っているんだけど、いいかな」


 まつりの声はいつもより小さかった。


「……う、うん。もちろん、いいよ」


 神楽はかろうじて答えることができた。まつりの声を聞くだけで緊張してしまう。これじゃダメだと思う。


「ありがと」


 そしてまつりの足音が遠ざかっていった。


 このままこんな風にまつりから逃げていてはよくない。嫌われていると思われてしまう。それくらいは今の神楽でも分かる。だから間に瑞穂が入ってくれるのはとてもありがたい。


 そうだ。たまちゃんさんに相談すればいいんだ。


 神楽はそう思いつき、少し気が楽になる。


 その後も神楽は自分の部屋に引きこもって瑞穂が来るのを待った。


 瑞穂が来たのは午後6時前だった。玄関の方からまつりと瑞穂の会話が聞こえてきて、神楽はそっと引き戸を開けて様子を窺おうとすると、ちょうどまつりと瑞穂が神楽の部屋の前を通りかかったところだった。まつりは気づかなかったが、瑞穂は気づき、彼女は唇に人差し指を当てた。


 意味は分からなかったが、神楽は静かに引き戸を閉めた。


 当番表が意味をなさなくなって久しいが、今日はまつりが炊事の日なので、神楽はそれを盾に部屋に引きこもり続けた。


 そしてまつりが引き戸をノックして、夕ご飯ができたことを神楽に知らせ、神楽はようやく自分の部屋から出た。


 今日は瑞穂とまつりが一緒に作ったということで、2人ともエプロンをしていた。2人ともタイプは違うが美人だ。しかし神楽にはまつりだけがキラキラ輝いて見える。こんなにまつりはかわいかっただろうかと自分の記憶を疑うほどだった。


「今日は夏バテ防止にビタミンB1豊富な豚肉とニンニク・ショウガ、そしてタマネギでスタミナショウガ焼きだよ」


 テーブルの上に大皿が置かれ、ショウガ焼きが大盛りになっている。その盛りにはThe男飯という貫禄がある。


「男の子受けする料理にしたいってまつりが」


 瑞穂がそういうとまつりは恥ずかしがって俯いた。


「神楽くんのお口に合えばいいんだけど」


 ニンニクとショウガとしょう油の匂いが神楽の食欲をそそる。


 一応、ちらちらと見ているが、神楽は正面からまつりを見られずにいる。まつりを見ていてドキドキしかない。甘い血流が心臓から流れ出ていくのを体感する。血の流れって分かるんだとびっくりしながら、神楽は席に着く。


 3人揃って頂きますをして、ショウガ焼きを取り皿にとっていく。神楽はさっそく口にする。あまり料理が上手そうではない瑞穂と料理が上手ではないまつりが作ったこともあり、火が通り過ぎて肉が固かった。


「どうかな?」


 まつりが神楽の顔色を窺う。


「……味付けはいいと思う」


 欠点は言葉にしない。それはきっと食べれば2人も分かることだからだ。


「……まあまあじゃん」


「ちゃんと食べられるって」


 瑞穂とまつりも食べて、白いご飯をかき込む。味付けが濃いのでご飯が進む。いい夕食になりそうだったのに、自分のせいで会話がない。どうしようかと悩んでも言葉が出てこない。そんなとき、瑞穂の口から衝撃的な言葉が発せられた。


「それでさ、まつりはどんな水着なんだ?」


「新しく買ってないから昔の水着だよ。ほら、お腹が大きく空いたワンピース」


「胸のところにヒラヒラがあるまつり御用達のやつな」


「うるさいな。何が言いたいかわかるぞ」


 神楽は耳を傾ける。


「ウチは新しい水着を買った。基本、黒ビキニでリボンがかわいい奴。神楽くん、見たくない?」


 急に話が振られて神楽は面を上げる。


「ど、どうして僕?!」


「明日、一緒に市民プールにいこう」


「僕と誰が?」


「決まってるよ。神楽きゅんと、ウチと、まつり!」


 まつりの水着姿が見たくないはずがない。しかし今のこの状態で2人と一緒にプールに行くなんて正気を保てる自信がない。また逃げ出してしまうのではと思う。しかし神楽は頷く。自分に嫌われているとまつりに思われたくない。


「……行く」


 神楽は頷いたまま、顔を上げることはできなかった。

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