初恋の人がウチにやってくる!-2
(神楽くんが駅まで迎えに来てくれるなんて思いもしなかった!)
自分のスーツケースを引っ張って歩く神楽を見ながらまつりは心を躍らせる。自動改札を出たところで待ち構えていた神楽はまるで、恋人を出迎えてくれた彼氏のように思われた。
(待て待てまつり……神楽くんはまだ10歳なんだぞ)
まつりは心臓を押さえて自分の心を押さえつけようとするが、心は心臓にはない。まつりの目には、前を歩く神楽のお尻に特大のしっぽが見える。それもブンブン振り回されている。もちろんまつりの願望が見せる幻だが、心の中では本当に見えるみたいなのだ。
神楽が3日ぶりに会う自分に対して、子犬のようにはしゃいでくれているのが、まつりにはこの上なく嬉しい。気分が高揚する。
「僕、自転車で来たからさ、自転車置き場までつきあってよ」
神楽が振り返って言った。気が付くまで1秒ほどかかってしまった。
「……もちろん」
まつりは小さく頷く。
改めて見るまでもなく、神楽は本当にかわいい。故人になったばかりの義姉は美人だったが、神楽の外見は義姉の血を強く引いている。神楽は完全に女顔で、ふとしたとき、ショートカットの女の子に見える。学校でもてるのだろうと思うのだが、小5くらいだとどうだったかと記憶を呼び覚ます。男子よりは女子の方が大人びていて、一部の女子は男子の話題で盛り上がっていた。きっと神楽を好きな女子もいるはずだ。
神楽は再び前を向き、歩き出す。
こんなかわいい子と8年間一緒に暮らすのだと思うと、まつりは自分の心臓が保つか心配になる。いや、心臓よりは理性の方が問題か。
まつりは不埒な想像を脳裏の隅の方に追いやる。
これまでまつりは、自分にショタの気があるとは思っていなかった。だが、養父母と神楽の父母である義理の姉夫婦が亡くなってからのこの10日ほどの間、神楽と一緒に過ごしたことで自覚してしまった。
母性かもしれない。それでも恋愛対象にしていると思う。8歳も年上の叔母なんて、小5の神楽の恋愛対象にはならないに決まっているのに。
ハア、とまつりがため息をつくと神楽が振り返った。
「どうしたの? 疲れた?」
ため息は神楽に聞こえるくらい大きかったらしい。
「まあ、もう少しで落ち着くし。がんばる」
ため息をついた理由はとてもではないが彼には言えない。
「ご馳走用意してるからがんばって」
神楽はまつりが来るのを待って、隣を歩く。
「ご馳走?」
「失敗するかもだから期待しないで」
「期待するよ~~ごちそうって何?」
「帰ってからのお楽しみです」
「じゃあそうするね」
何げない会話なのに、それだけでまつりのテンションが上がる。
神楽は駐輪ラックまでスーツケースを引いていき、自転車の大きな後ろカゴにスーツケースを収めて、ロープで固定した。まつりはドキドキしながら見守っていたが、感嘆の声を上げた。
「おお……無事載った」
「一緒に歩いていこ?」
「ありがと」
神楽は自転車を押し、まつりと一緒に並んで歩き出した。
駅からマンションまで神楽の足で歩いて13分かかる。
神楽とまつりは会話を続ける。
「3日も放っておいてごめんね。寂しかったでしょう」
まつりは今日も優しくて、神楽の気持ちは高揚する。小5男子が1人で3日間も過ごすのは児童虐待に当たるのかもしれないが、まつりは神楽の勉強を優先した。彼女の他に神楽には親戚がいないから、神楽自身はやむを得ないと考えていた。寂しくなかったと言ったら嘘になるが、神楽はまつりの気持ちを想像して答える。
「大丈夫。学校に行っていた方が気が紛れたよ」
神楽の生活を一変させた交通事故はワイドショーのネタになるほど大きく重大なもので、周囲の誰もがそれを知っていた。だからそれはそれで神楽を気遣って普段通りに皆が振る舞ってくれて助かったところもあった。
「実はまだまだやることが終わってないんだ。こっちでやる手続きもいっぱい残ってるし」
「うん。少しずつやっていこうよ」
大変そうなまつりを見ていると何もできない自分が申し訳なくなる。少しでもまつりと苦労を共にしたいと思うが、やはり何をすればいいのか分からない。
「神楽くん、難しそうな顔をしている」
「まつりちゃんにお世話になりっぱなしだから、どうしたらいいかなって考えてた」
「……神楽くんが私のお世話になりっぱなしかどうかは怪しいな。私は家事なんかやったことないし、逆にお世話になるんじゃないかって……」
まつりの表情が曇る。木更津で一緒に過ごした数日の間、忙しかったこともあっただろうが、ずっとお弁当か外食だった。まつりは料理をしたことがないのだろう、とぼんやりと神楽も思っていた。だから神楽は笑顔で答える。
「2人でやればなんとかなるよ」
「神楽くんの方が大人だなあ」
まつりは苦笑した。
マンションに到着し、駐輪場に自転車を置く。神楽の家は2階にある。普段は階段を使うことが多いが、今日はスーツケースがあるのでエレベーターを使う。
玄関のカギを開け、中に入ると豚肉が焼ける匂いが漂っていた。調理しているときには気付かなかった。神楽は急いでキッチンの換気扇を回す。
「何か作ってたの?」
「オーブンかけっぱなしで外に出ちゃった」
「危ないな」
「気を付けます」
そしてまつりのために用意した部屋を案内し、まつりは小さく、また、ありがと、と言い、スーツケースを置いた。
その間に神楽はコンベクションオーブンの中の豚かたまり肉を外に出す。外見からではわからないので、串を刺してみると同じような力で奥まで入っていった。生のところはないと思いたい。まな板の上に置いて慎重にスライスすると、赤い肉汁がしたたり落ちたが、肉に赤い部分はなく、ホッとした。
冷蔵庫からサラダを出して、スライスしたローストポークを円く並べていく。見た目もいい感じにできて、お皿をリビングのテーブルの上に置く。そしてお湯を沸かし、バターロールをお皿に積み重ねて、これもテーブルの上に置く。お湯が沸いた頃、まつりがリビングに来た。
「本当にご馳走だ!」
「美味しくできているといいんだけど……」
「神楽くんが作ったんだもの。美味しいに決まってるよ」
論理的に繋がっていないと神楽は思うが、突っ込まない。
お湯でインスタントのスープを作ってスープカップを2つ、テーブルの上に置いて歓迎会の準備は完了だ。
「マジすごい。瑞穂に見せたい」
まつりはスマホで画像をパシャパシャ撮っている。
「着いた頃にはお腹が空いてると思って」
「神楽くんは本当にすごいな~~自分が恥ずかしいよ」
まつりがあまりに褒めるものだから、神楽は言葉を失う。
サラダとローストポークを各々とりわけ、まつりの歓迎会が始まる。
「美味しくできてる!」
まつりはローストポークを口にして何度も噛みしめる。
「神楽くんがこんなにお料理ができるなんて知らなかったな」
「いろいろ調べてがんばったんだよ」
自分で食べても美味しくできていると神楽は思う。
「がんばることはいいことだ」
まつりは上機嫌の様子だ。
歓迎会は進む。まつりが真面目な顔で言い出す。
「一緒に暮らすんだから、これからのことを考えないといけないね」
「これからのこと?」
「主に家事。お金はいっぱいあるからお金で解決するって手段もあるけど、できるだけお金はとっておきたい。神楽くんの進路のためには節約しないと」
まつりが言うことは分かる。保険金やら遺族年金やらでお金には困らなさそうだが、お金は有限だし、あるからといって使っていては、お金がなくなったときに対応できない気がする。
「がんばります」
「家事は平等にしたい」
それはまつりの決意表明にも聞こえた。
サラダは多めに作り、バターロールも一袋分全部を皿に出したので、両方余った。テーブルの上を片付け、まつりが洗い物をすると言ってキッチンに入り、神楽がカレンダーの裏に当番表を書く。基本的に2分割して、1日ごとに交代することにした。ゴミ出しはない日があるので当たり外れがあるが、交代制なので均されるはずだ。
洗い物を終えたまつりに見て貰い、了承を得た。得はしたが、まつりは自信なさそうに言った。
「とりあえず、ということで」
「とりあえず」
神楽は頷き、その言葉を繰り返した。まつりはよほど家事に自信がないんだろうな、と思ったが、まつりの笑顔があれば、神楽は頑張れそうな気がするのだった。
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