『負債魔力と契約破りの神託者』

@fsena

第1話

ひび割れた石畳の上を、汚れた裸足が駆け抜ける。夕暮れが迫るギルド街の路地裏は、今日も淀んだ空気と、どこからか聞こえる絶望的な叫び声で満ちていた。俺の名前はカイ。聖堂の片隅に捨てられていた孤児で、読み書きと、神父様から教わった「人の温かさ」だけが唯一の財産だ。


聖堂を離れてから数週間。わずかな日銭を稼ぐ日々の中で、俺は嫌というほどこの世界の「常識」を叩き込まれていた。金銭の貸し借り、物の売買、労働、さらには結婚や就学、治療に至るまで、この世界はすべてが魔導契約で管理されている。そして、契約は魔法陣を用いた「魂刻印方式」だ。魂を担保にする社会。まさに文字通りだ。


「おい、カイ! ギルドの依頼、見てきたぞ!」


路地裏の片隅で凍えた体を震わせていると、相棒のリーゼが息を切らして駆け寄ってきた。リーゼは俺より少し年上で、小さな体に不釣り合いなほど大きな槍を背負っている。彼女もまた、親の残した借金を肩代わりしている「債務者」だ。


「どうだった?」


俺の声には、かすかな期待が混じっていた。この世界では、ギルドに所属する債務者は、存在しているだけで微量の魔力を生み出す。それが「負債魔力」だ。そして、借金が大きければ大きいほど、クエストの報酬倍率も高くなる。稼ぎたい。この世界で人間らしく生きるために。


リーゼは顔をしかめた。


「ゴミだ。ろくな仕事がねえ。それに、どれもマギアローン案件だ」


マギアローン。それは、この世界の闇の象徴とも言えるシステムだ。魔導国家や金融ギルドが提供する「便利な生活ローン」は、教育費、魔導具購入費、家賃、治療費……あらゆる“初期費用”をカバーする。だが、その裏には恐ろしい罠が隠されている。


「また自動延滞利率式か?」


俺が聞くと、リーゼはうんざりしたように頷いた。


「ああ。返済が一日遅れるたびに利率が倍加する。

三日遅れたら元金が十倍になったって話も聞く。ギルドの奴ら、引き落とし忘れで奴隷契約に格下げされた債務者を見て笑ってたぜ」


俺の腹の底に、黒い塊が沈んでいくのを感じた。聖堂にいた頃は知らなかった、この世界のえぐい現実。多くの人間が「便利さ」に釣られて、気づけば首まで借金に沈む。そして、その負債は「黒金炉(こくきんろ)」と呼ばれる魔力抽出装置に集められ、「負債石(デットストーン)」になる。俺たちの絶望が、国家や魔術師団の燃料になるのだ。


「そんなの、まともに返せるわけねえじゃないか……」


リーゼは膝を抱え、冷たい壁に背を預けた。


「返せねえから、みんな死んでいくんだ。契約不履行による強制執行死(エンフォースドデス)だ」


リーゼの言葉に、俺は思わず身震いした。契約違反は、即ち死だ。返済期日を過ぎれば心臓停止。任務からの逃亡は体内爆発。仲間を裏切れば魂の強制焼却。この世界では、誰もが「気づかぬうちに違反してしまう」罠に満ちている。そして、違反した者は、中立の自動魔導システムか、「執行官(エンフォーサー)」と呼ばれるギルド戦闘員によって、その場で処刑される。


昨日もギルド前で見た光景が脳裏に蘇る。返済が滞ったらしい男が、執行官によって全身からマナを抜き取られ、あっという間に干からびていく様。周囲の人間は「自業自得だ」「契約を読まなかったのが悪い」と囁き、誰も助けようとしなかった。

この世界では、契約による死が「秩序」なのだ。そして、その「秩序」こそが、宗教、社会階級、そして魔力経済の全てを維持している。政府はそれを「神の意志」と称し、下層民が死んでいくのを黙認している。


「俺たちの負債、今どうなってるんだ……?」


俺の問いに、リーゼは重い口を開いた。


「俺は、親父と母さんが残した借金が、今や金貨150枚を軽く超えてる。そんで、お前は聖堂出てから組んだマギアローンで、金貨10枚だろ? これじゃあ、まともな暮らしなんてできねえよ」


リーゼの言葉に、俺は拳を握りしめた。リーゼの借金は、俺が一生かかっても稼げないほどの額だ。俺の負債も、金貨10枚とは言え、この自動延滞利率式の恐ろしさを考えれば、いつ巨大な壁となるか分からない。


「カイ……」


リーゼが不安げに俺を見上げた。


「俺は……死にたくねえ」


俺は震える声でそう呟いた。しかし、その声はどこか異質な響きを帯びていた。なぜなら俺には、他の債務者たちにはない、ある秘密があったからだ。

俺は教会に捨てられた孤児。だが、神父様は言っていた。俺の血には、太古の神々が定めたとされる「契約を拒絶する善神の力」が宿っている、と。その力はまだ未熟で、俺自身もその全貌を理解していない。だが、この世界で「契約」に縛られずに生きる、唯一の異端の存在が、他ならぬ俺自身なのだ。

この命に値段をつけた世界で、俺は本当に人間らしく生きられるのか?

空は完全に闇に染まり、ギルド街の「黒金炉」からは、鈍い光が漏れ出していた。それは、今日また誰かの負債から生まれた、歪んだ魔力の輝きだった。

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