第25話 魔王拳

「アンナ……」


 彼女と対面するのは久方ぶりだった。ジオハルトが紛争地に介入する時も、犯罪者を氷漬けにしている時も、アンナは自室にこもってネトゲを遊んでいたのだから。


「ヤスオ、もう一度聞くぞ。お前本気で魔王になるつもりあるのか?」


 アンナがこれまでになく険しい表情を向けてくる。それは気高き支配者の血統――魔王の顔だ。


「あるよ」


 ポツリと無責任な返事がこぼれる。勇者一人殺せなくて何が魔王か。惰弱な心を見透かしたかのように、アンナは僕に詰め寄った。


「何のためだ?」

「アンナが安心してネトゲを遊べる世界を作るためだよ」


 ……そうだ。アンナにはずっと傍にいてほしい。僕が魔王になることで彼女が犬山家にいてくれるなら、他には何もいらない。


「そうか。ならもっと強くなれ。今のままじゃ安心してネトゲが遊べない」


 Tシャツにショートパンツ姿のアンナは、リビングの転移魔法陣へと歩を進めた。あとに続けと言わんばかりの視線を向けられ、僕はそそくさと席を立つ。


「シエラ、しばしの間ヤスオを連れ出すぞ。お前は勇者たちに動きがないか、情勢を見守れ」

「……承知しました」


 真の主を前にシエラさんは、おずおずと頭を下げる。アンナに命令されては、彼女も逆らえない立場だ。ここに来てアンナが部屋を出てきたのは、シエラさんにとっても予想外の出来事だったのかもしれない。


「ヤスオ、場所に行くぞ。お前の家は狭いからな。荒療治には不向きだ」

「荒療治って……」

「魔王になりたいんだろ? だったら黙って私について来い」


 アンナが手で合図すると同時にシエラさんが転移魔法を発動させる――僕は着の身着のまま犬山家から追い出されてしまった。





「ここって確か……」


 転移した先に待っていたのは、鬱蒼うっそうとした木々が立ち並ぶ樹海――阿鼻須あびすの森だった。


「昔、よくここで私の修行に付き合ってくれただろ。今度は私がお前を鍛えてやろう」

「……ああ、そういえばそうだったね」


 現実世界にやってきたアンナは、己の力を高めるための修行に明け暮れていた。過去に遭難が多発し、立ち入りが禁止されている阿鼻須の森は、人目を避けて訓練を行うには最適な場所だった。大木に覆われた樹海は、昼間であろうと光が差すことはない。


「勇者に魔法が効かなかったのだろう? だったら新しい技を身につければいい」

「新しい技?」

「私が手本を見せてやる。お前も魔王ならこれぐらいはできるはずだ」


 アンナは、樹海の中でもひときわ大きな巨木の前に立ち、深く腰を落とした。何かを察したかのように、森の中から動物たちが一斉に逃げ出していく。



魔王拳まおうけんイフリート」



 ――次の瞬間、炎に包まれたアンナの右腕が巨木を消し飛ばしていた。炎の魔神「イフリート」の力を宿したアンナの拳は、たったの一撃で樹海の一角を焼け野原に変えてしまう。猛火に巻き込まれた木々の残骸が辺り一面に散らばっていく。


「さあ、お前もやってみろ」

「そんな……僕には魔法は使えないよ」

「魔王拳は魔法ではない。精神力を具現化させる技の一つだ。だから人間のお前でも使うことはできる」


 確かにアンナは、その小さな身体に途方も無い魔力を蓄えている。しかし魔王拳は魔力を用いる術ではない。己の精神を研ぎ澄ますことで放つ体術の一種なのだとアンナは語った。

 ――とはいえ、いくら修行を積んだとしても、ただの人間に魔神のごとき力を行使できるとは思えない。


「精神力を? そんなことができる人間なんて聞いたことないよ」

「ヤスオ、人間には実現力という力がある。海を渡りたいと思えば船を造り、遠くの人間と話したいと思えば電話を発明した。そうして自らの領域を増やしていったのだ」


 人間は確かに弱い生き物なのかもしれない。だからこそ、その弱さを克服する術を身につけてきた。それが、人間の持つ「実現力」なのだ。 


「お前は何を成したい? 何になりたい? その願望を力に変えろ。それこそがお前の魔王拳だ」


 アンナが僕に求めているのは、拳から火を放つことではない。勇者という強敵を前にして、それをどのように乗り越えるのかを試しているのだ。


「……分かったよ。僕は僕の魔王拳を完成させる。勇者を倒し、本当の魔王になるために」


 ブレスレットを使って獄王の鎧を転送させる。魔獣の魂を宿した甲冑は、単なる防具ではない。この鎧の力を最大限に引き出すことができれば、たとえ勇者が相手でも勝機はある。


「勇者がどれほどの敵かは知らないが、お前が強くなれば問題にはならない。どんな敵にも勝てる力を手にしてみせろ」


 アンナはハンマーに見立てた丸太を抱え、ブンブンと振り回してくる。獄王の鎧は、僕の意思とは関係なく攻撃を防御しようとしてしまう。不意に振り上げた腕に丸太がコツンと当たった。


「ヤスオ、お前なら分かっているだろうが、獄王の鎧は欠陥品だ。身体が勝手に動くせいで、まともに戦うことすらできない」

「らしいね」


 今までは鎧に身を任せていただけだ。オートガードで防げる攻撃ならば脅威にはならないが、ハンマーのような防御を無視するタイプの武器にはとことん相性が悪い。


「飼い主が犬に引っ張られているんじゃ話にならない。自分が主人であることを分からせてやれ」


 鎧そのものに魂が宿っているならば、その意思をコントロールする必要がある。甲冑に命令を下すのだ。主を守れと――相対する敵を倒せと。


「鎧に支配されるな。鎧を支配してみせろ」


 ガルド王は自らが作り出した鎧に、意図して三つ首の呪いをかけた。

 なぜそんなことをする必要があったのか。どうしてそんな欠陥品をアンナに送りつけたのか。それは、この鎧を使いこなす者こそが、真の支配者だからではないのか。呪いを克服し、魔獣の魂をも従える真実の魔王――


(どうすればになれる? どうしたら力を使いこなせる?)


 答えはまだ見えない。今はクレイドとの再戦に向けて己の力を高めるしかない。偽りの魔王ではなく、本物の魔王となるために。









「だめだな」


 アンナが、ボロボロになった丸太を彼方に向けて投げ捨てた。


 クレイドとの再戦までの時間は1週間――僕は、連日アンナから丸太の殴打を浴び続けた。

 アンナが丸太を振るう度、鎧は言うことを聞かずに防御の構えをとってしまう。魔獣の魂は、反抗期の子どものように僕の意図を無視してしまうのだ。このままでは再びハンマーの餌食になるのがオチだ。


「ヤスオ、お前は弱い。魔王拳を使いこなせないようでは、いずれ勇者に討伐されてしまうだろう。人類を支配する以前の問題だ」



 僕は――弱い。



 アンナの言葉が、千の針となって心に突き刺さる。


 ジオハルトになれば――魔王の力を手にすれば、彼女に近づけると思った。


 自らの弱さに決別できると思った。


 人類の支配者になればアンナはきっと僕を認めてくれる――傍にいることを許してくれるのだと。


 だが、現実は違う。最強の魔剣を手にしても、無敵の鎧を纏っても、人間の本質は変えられない。己の弱さから逃れることは許されない。


「アンナ……君の言う通りだ。僕は、魔王になんてなれない。ただの、弱い人間なんだ」


 全身から力が抜けていく。獄王の鎧は、僕を主とは認めてくれなかった。もはや魔王を名乗る資格などないのだ。


「ヤスオ、お前はよくやったよ。人の身でありながら魔王になることを目指して戦ったのだ。同盟が強力な勇者を送り込んできたのは、曲がりなりにもお前を脅威として認めている証左であろう。他の人間には到底真似できぬ所業であるぞ」


 震える僕の頬にアンナの手が触れる。甲冑越しであろうと彼女のぬくもりを感じることはできた。


「私にとってお前はかけがえのない人間だ。勇者ごときに殺させはしない。お前の命は、私のモノなのだ」

「アンナ……」


 アンナが僕を抱きしめた。僕も彼女の身体に手を回そうとする――その刹那、彼女の口から思いがけない言葉が飛び出した。



「だからな、私はお前を殺すことにした」



 ――燃え盛るアンナの左フックが襲いかかる。オートガードが発動するが、炎の豪腕を防げるはずもない。僕はすべもなく大木に叩きつけられた。

 

「……っ! アンナ、何をするんだ!?」


 グラビティレイダーを起動して体勢を立て直すが、アンナの猛攻は留まるところを知らない。頭上からは火炎弾が降り注ぎ、辺り一面を火の海へと変えていく。圧倒的な熱量の前では鎧による防御など意味をなさない。


「お前はいずれ勇者に殺されてしまう。それを防ぐためには、私手ずからお前を殺すしかないんだよ」

「そんな……!」


 悲しそうに、嬉しそうに、僕を殺そうとするアンナ。彼女の拳には、惜別の思いと法悦の念が込められていた。


「悪く思うな。お前からもらったゲーム機は大事にしてやる。だから心置きなく死んでくれ」


 アンナは狂気に支配されてしまったのか? いや、彼女は狂ってなどいない。破壊と殺戮をもたらす恐怖の魔王――それこそがアンナの正体なのだ。


(ここで死ぬ運命さだめなのか?)


 彼女に命を捧げることは惜しくない。惜しくはない。いつだってそう信じてきた。


 だがこの期に及んで、僕の身体は生きることに執着していた。焼け落ちた木々をかき分けて、焦土と化した森を逃げ回る。命を奪わんとするアンナから少しでも離れようとしているのだ。


(本当にそれでいいのか?)


 彼女の正体を知った時、僕はから逃げようとはしなかった。それは彼女が――アンナこそが僕の求める存在だからではなかったのか。


 ……僕が望む未来は、アンナに殺されることではない。アンナの隣りで生きることだ。


(そのために、必要なものはなんだ?)


 足を止めて、アンナへと振り返る――そこに立っていたのは憧れの幼なじみではない。森羅万象を焼き尽くす暴虐の魔王であった。


「覚悟を決めたか」


 フフッと笑みをこぼすアンナ。陽炎越しであろうと彼女の表情ははっきりと分かる。いつだって君のことばかり見ていたから。


「僕はまだ死なない……死ぬわけにいかない」

「どうして?」

「僕はアンナと一緒に生きたい。同じ場所で、同じ時間を歩みたい」


 深く腰を落とし、大地を踏みしめる。


 彼女から逃げてはいけない。望みを叶えたければ、誰よりも強くあらねばならない。


「それが、お前の望みか」

「そうだ。だから僕はもう逃げない。戦うことから、生きることから逃げはしない」

「だったら――」


 業火に身を包んだアンナが飛び込んでくる――その瞬間、鎧と身体が一つになり、右の拳がアンナに向けて放たれていた。



「僕は魔王になる!」

「よくぞ言った、ヤスオ!」



 二人の拳が交差し、爆ぜるような閃光がほとばしった。原初の炎は樹海の暗闇を吹き飛ばし、地上に新たな恒星を誕生させる。終わりなき夜を抜け出した阿鼻須の森は、初めての朝を迎えたのであった。





「シエラ、帰ったぞ」


 シエラに転移魔法を発動させ、アンナとジオハルトは犬山家に帰還した――しかし、当のジオハルトは転移魔法陣から動こうとはしない。連日の特訓でアンナに相当痛めつけられたはずだが、疲れの色を見せることもない。


「シエラさん、僕をセリカさんのいるアパートに転移させてください」

「勇者のアパートへ? 一体何のために?」

「彼女に頼んで、同盟のクレイドにコンタクトを取ります。決闘の再戦を行うのです。最低限のもてなしは必要でしょう」

「は、はあ……」


 毅然とした態度で指示されては、シエラも言われるがままに応えるしかない。再起動した魔法陣により、ジオハルトはセリカの住まうアパートへ転移した。アンナはその様を満足げな表情で眺めている。


「……アンナ様、なぜヤスオ様を勇者と戦わせるのですか?」


 シエラは恐る恐る主人に問いかけた。ニートに堕落したとはいえ、アンナも勇者の脅威は認知しているはずだ。ジオハルトが手を焼く強敵が現れたとなれば、それこそアンナが表に立つべき時ではないのか。


「勇者は魔族にとって看過できない障害です。本来であればアンナ様が勇者と戦うべきなのでは?」

「それじゃヤスオが強くなれないだろ」


 既にアンナはテーブルにキャンバスを立てて、ネトゲを始めている。あくまでも不労を貫く主の真意を、シエラはようやく理解することができた。


「まさか、あなたがニートになった本当の理由は……!」

「ん? 何の話だ? 私はネトゲをやりたいだけだぞ。そもそもヤスオを魔王に仕立て上げたのはお前だろうが」


 含みのある笑みを向けられ、シエラは思わず息をんだ。彼女のよこしまな企みは全て主の知るところであった。


「……私の行動も織り込み済みでしたか」

「そこまで私は利口じゃない。ただ、ヤスオが本気で魔王になろうとしているなら、背中を押してやるだけのことさ」


 アンナが人類の支配に興味を失ったことは事実である。悪逆非道の支配者になったところでは癒やされない。唯一、己のために魔道を歩む男の生き様だけが、彼女の心を動かすのだ。


「シエラ、今の内にうまいメシを用意しておけ。ヤスオが喜びそうなやつを頼む」

「その間、あなたは何を?」

「私は魔獣狩りで忙しいんだよ。10時からレイドクエストが解禁されるからな。他の連中に先を越されるわけにはいかんのだ」

「……かしこまりました」


 遊興にふける不労者の正体が、真の魔王などと誰が信じようか。ただ一人、主の胸中を知るシエラは、身勝手な命令も甘んじて受け入れる。犬山家という小さな居城で、二人はヤスオの帰りを待ち受けるのだった。

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