第5話 理想のディストピア

 メルザ軍の司令官には絶対の自信があった。装備の質と量において敵軍を圧倒していたし、兵士たちの士気も高い。小国オルタンへの侵攻作戦が失敗する要素など存在しなかった――少なくとも魔王が現れるまでは。


 突如として戦場に現れた謎の敵性存在、ジオハルト。オルタンは、人型ロボットやパワードスーツを開発する技術力を持ち合わせてはいない。前線の部隊を恐怖に陥れた黒き甲冑は、メルザ軍の侵攻を快く思わない第三国が投入した新兵器……それが軍上層部の下した結論だった。


 司令官はジオハルトを警戒こそしていたが、自軍が敗北するとは考えていなかった。謎の新兵器は強力ではあるものの、会敵した部隊の報告から考えて数はそこまで多くない。いや、もしかすると単一の試作兵器かもしれない。全戦力を投入した総攻撃であれば、敵は対処しきれないはずだ。


 司令官は部隊を再編し、機甲師団を中核とした大規模侵攻作戦を開始した。陸海空の三面よりオルタンを攻撃し、早期に決着をつける算段だ。たとえジオハルトが現れたとしても、全軍を相手取ることはできまい。

 多数の最新鋭戦車で構成された機甲師団は、予定通りに歩を進めた。オルタン軍からの反撃すらない。最強の機甲師団に、海軍と空軍の支援が加われば恐れるものは何もないはずだった。


「報告します! 機甲師団、落雷の影響により進軍不能とのことです!」

「雷だと? 無敵の機甲師団が、たかが雷ごときに怖気おじけづいてどうする!」


 部下からの報告に司令官は怒りを覚えた。メルザ軍の兵士に臆病者はいない。雷に怯えるようでは軍人など務まらない。


「ただの雷じゃありません! 戦闘車両だけを狙って雷が何本も落ちてくるんです。ほとんどの戦車が電子機器をやられて行動不能です!」

「なんだと!?」


 ――前線の機甲師団は、ジオハルトが操る雷雲によって既に壊滅状態に陥っていた。誘導兵器のごとく落ちてくる雷に戦車部隊は手も足も出ない。立て続けの落雷に晒された兵士たちは、恐怖のどん底に突き落とされた。


「なんで俺たちに向かって雷が落ちてくるんだ!? これが噂の新兵器なのか?」

「あれは――あいつは兵器なんかじゃない! 本物の魔王だ!!」


 末恐ろしいことにジオハルトは一人の死者も出さずに機甲師団を無力化していた。雷魔法による攻撃は戦闘車両の電子機器のみを破壊し、歩兵たちも雷鳴と稲妻で脅かすだけに留めていたのだ。

 だが雷雲を自在に操るジオハルトは、それだけで畏怖の存在と化した。雷を操る神の伝承が世界各地に存在していることからも分かるように、人類は本能的に雷を恐れる生物なのだ。自然の力をも支配する魔王に、抗える人間は存在しなかった。


「海軍に支援を要請しろ! 海上からの艦砲射撃でジオハルトを攻撃するんだ!」

「だ、駄目です……海軍も動けません。全ての艦艇が航行不能に陥っています!」

「そんなはずが……!」


 海上を進んでいたメルザ軍の艦隊は既に氷漬けになっていた。ジオハルトの氷魔法は海をも凍結させる猛吹雪ブリザードを発生させ、艦隊を氷の牢獄に閉じ込めたのだ。


「く、空軍はどうした! ミサイルでも爆弾でもなんでもいい! 早くジオハルトを攻撃させろ!」

「……空軍はやって来ません。飛行場が嵐に襲われ、駐機していた機体は全て離陸不能になったそうです」


 軍用機がひしめいていた飛行場は、風魔法による大嵐に見舞われていた。いかに強力な戦闘機であろうと、風が味方をしなければ離陸すらできない。暴風に煽られた機体が次々とひっくり返り、飛行場は壊れたオモチャの溜まり場と化してしまった。


「……我々は神を敵に回したとでもいうのか?」

「違います――魔王です」





 翌日、メルザ軍はオルタン侵攻作戦の無期限延期を決定した。





「ジオハルトは何者なのでしょうか?」


 僕は柄にでもなく、衛星放送の討論番組を視聴していた。グレアパネルのテレビ画面には、いつになく不機嫌なシエラさんの顔が映り込んでいる。

 番組では、政治家とジャーナリストが「ジオハルト」なる人物について激論を交わしているようだ。先の支配宣言からは、既に1か月が経過していた。


「ジオハルトは世界各地の紛争に介入し、軍の兵器を破壊して回っています。これは明らかなテロ行為です」


 この政治家はジオハルトが軍の兵器を破壊したことを批判しているが、一人の死者も出していないことには触れていない。見え透いた印象操作だな。


 世間一般には、ジオハルトはテロリストとして扱われている。未知の武器を振り回し、各国の軍隊を攻撃して回る危険なコスプレマニア……という枠に収めておきたいらしい。

 実際にジオハルトと戦った軍隊では箝口令かんこうれいが敷かれている。魔法を操り、人類に服従を強いる恐怖の支配者――魔王が実在するという事実を人間たちは認めたくないのだ。


「しかし、先日発生したクラウド航空74便ハイジャック事件では、ジオハルトが犯人逮捕に貢献したという情報もあります」


 ジャーナリストの話は事実だ。操縦席を乗っ取ったハイジャック犯は、乗客を道連れに旅客機を太平洋に墜落させようとしていた。そこでジオハルトは操縦席ごとハイジャック犯を凍結させ、風魔法を使って旅客機を成田空港に不時着させたのだ。事件の詳細は公表されていないが、一部始終を撮影していた乗客が動画をインターネットにアップしたらしい。


「この事件だけではありません。ジオハルトは実際に世界中のテロ組織や犯罪グループを壊滅させています。ネット上では彼を一種のダークヒーローとして賛辞する声も上がっているようです」


 ……この世界に悪人は一人で十分だ。他人を害することしか頭にない連中は必要ない。そういった手合いは、冷凍光線で生きたまま氷漬けにし、転移魔法で警察に送り届けるのが正しい対処法である(収監施設が足りなくなり、警察からはかなり迷惑がられているが)。


「そんなものは単なる情報操作ですよ。奴はネットワークにハッキングして自分に都合のいい情報だけを流しているんです。ジオハルトは――」


 話の途中でシエラさんがテレビを消してしまった。


「いつまでこんなことを続けるつもりですか?」

「なんで怒ってるの?」

「私はあなたに人類の支配者になるように頼んだはずです。ヒーローごっこをやれと言った覚えはありません」


 シエラさんの目論見は「ジオハルト」という、幻像の魔王を作り出し、間接的に人類を支配することである。アンナがやる気を失くした以上、それが最善の方法だと彼女は考えた。――が、人間を魔王にしようとしたのは、失策だったと言うべきだろう。


「シエラさん、最初の宣言を思い出してよ。ジオハルトは戦争と犯罪が嫌いなんだ。それにさ、支配領域の平和を守るのは、支配者として当然の役目なんじゃないかな?」

「こんな方法で戦争と犯罪を根絶できるとでも? 人間は争い、互いを憎み合う邪悪な生き物です。矯正のためには、力による支配が必要なのです」


 権力闘争で家族を失ったシエラさんは、自身の怨念を隠せないでいる。彼女の望みは、絶望が支配するディストピアの主になることだ。ジオハルトは、それを成すための駒でしかない。


「力による支配? そんなことをしても反発を招くだけだよ。反抗勢力が次々に出てきて、支配からは遠ざかるばかりさ」

「ならば、その反抗勢力も倒せばよいのです」


 地球を空っぽにしたいのか? 支配する人間がいなくなったら、それこそ支配者失格じゃないか。


「そうだね。でも、それは終わりのないマラソンだよ。いつまで経っても人類の支配者になることなんてできない」

「あなたのやり方こそ、終わりのないマラソンなのでは? 人間が存在する限り、戦争と犯罪をなくすことなど不可能です」

「……否定はしないさ。一度支配すると決めたからには、僕は死ぬまで戦争や犯罪と戦わなければならない。途中でやめてしまったら、その時点で人類の支配は失敗だからね」


 もとより人類の支配とは一人の人間が背負える業ではない。本気で人類を支配するつもりなら、人の心を捨てて「ジオハルト」になるしかないのだ。


「僕はね、本当の意味で全ての人類を支配できるとは考えていないんだ。だからね、『人類の心』を支配しようと思うんだ」

「人類の心?」


 魔族であるシエラさんには、人の心が分からないのかもしれない。だからこそ、僕にはやらなければいけないことがある。


「全ての人類の心にジオハルトを住まわせるんだよ。戦争と犯罪を否定する概念としてね。いずれ人々はジオハルトこそが正しいと信じるようになるだろう」


 どれだけ多くの人間が平和を望んだとしても、人間の力では戦争と犯罪をなくすことはできない。

 しかし、それを実現してくれる存在――魔王がこの世に現れたら人々はどう思うだろうか?


「……あなたは神にでもなるつもりですか?」

「違うよ――魔王だよ」


 僕はさも当然のごとく答えていた。





「……いいでしょう。やってみなさい、犬山ヤスオ。あなたがどこまで足掻あがくのか、最後まで見届けさせてもらいましょう」


 シエラは、もはや偽りの魔王ジオハルトに期待はしていなかった。それでも現実世界に見切りをつけなかったのは、彼女が望むディストピアを創ってくれる人間が必要だったからだ。

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