あの夏、新潟にて―

木幡光

第1話

 夏になると感じる。

 じわじわとした暑さ、湿っぽさの混じった空気、瑞々みずみずしい草木の匂い。

 そんな夏の気配に、ふと、かつてした恋を思い出す瞬間がある。


 夏の日本海、海岸線沿いの国道の景色、弥彦山やひこやまから望んだ壮観そうかんな景色、そして、夕日の沈む海―。

 あの日のことは、あれもまた青春だったのだと、いまでも思い出すことがある。


 あの子と出会ったのは、25歳の秋頃だった。


 当時、私は自身のバンド活動に勤しみながら、アルバイトで日銭を稼ぎ、2週に一度ギターのレッスンに通い、そこに友人バンドのスタッフとしての手伝いも加わり、日々を忙しく過ごしていた。

 手帳を開けば、なにも予定のない日は月に1回か2回あればいい方で、睡眠時間もまばらに、日によっては予定に合わせてろくすっぽ眠りもせずバイト、または予定のために出かけるということもあった。


 とはいえ、アルバイトで入ってくるお金もひとり暮らしの生活を支えるにはぎりぎりで、音楽関係の予定はそのまま出費に繋がり、日銭の足しを作る要があった。

 そんな折に始めたのが、とある日雇い派遣の仕事、物流工場でのピッキング作業のアルバイトだった。


 そのアルバイトは9時から18時で、昼休憩と小休憩の時間以外はずっとカートを押しながら工場の中をひたすら歩き回り、リストの品物を探しては棚から取り、バーコードをスキャンして次の品物を探し、リストの品物をすべて探し終えたら次のリスト、といった具合に動き回る仕事だった。


 そんなピッキングのアルバイトの数日目、その日は昼食に事前に購入したコンビニ弁当を、工場備えつけの電子レンジで温め、口にしようとしていた。

 ふと同じ長机の向かい側、私のちょうど目の前に座る女の子に目がいった。

 その子はおそらく身長は低めと思われ、また多少の幼さを残した顔立ちから、おそらく年下だろうなと思った。

 また、その子の手元を見るとおにぎりが二つ、おかずはなく、小さなペットボトルのお茶をお供にしていた。

「あの、お昼、足りますか?」

 なにを思ったか、私は考える前に彼女へそう話しかけていた。

「え? あ、はい」

 彼女はびっくりしたように顔をあげ、こちらを見る。「大丈夫です、普段あんまり食べないので」

 驚きながらも、そう私に言葉を返してくれた。

 それをきっかけに、昼食を口にしながら、私は彼女と話をするようになった。


 普段、ナンパなどできないはずの自分が、なぜあの場面で彼女へ話しかけることができたのか、いま思い返してもよくわからない。

 ただ、確実に言えることは、私はまったく見ず知らずの彼女を、あの日ナンパしたのだった。

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