第一章 さとこサマの噂③
十月も半ばになり、外の空気がずいぶんと冷たくなった。すっかり秋色に染まった草木に高く澄んだ青い空。手入れが行き届いていない裏庭は尖った草が伸びていて、足首をチクチクと刺す。どことなくうらびれた雰囲気だ。
夏月は影のように愛たちの後ろを歩きながら、薄ら寂しい裏庭を物珍しげに眺めた。
真っ赤な彼岸花がぽつりぽつりと咲いている。綺麗だけど少し不気味な血色の花は、陰惨な空気を醸し出していた。
足元から視線を上げると、白い百葉箱の近くに紛れるように、いまにも朽ちそうな木箱がぽつんと建っているのが見えた。
その下には群生した彼岸花。箱の下に血溜まりができているようで、なんとなく怖い。
「へー、これがさとこ像を祀ってある箱かー」
由貴子は興味津々に身を乗り出して目線の高さぐらいにある木箱を見ている。だけど、扉に手をかけることはしない。
愛も奈々も、ただ見ているだけだ。
無理もない。木箱はどこか秘匿めいた雰囲気を醸していて、触れただけで災いを齎しそうだ。
怪談話が好きな夏月ですら、すすんでさとこサマの噂に触れたいと思わない。
さとこサマは学校中でまことしやかに囁かれ、そのわりに忌避されている。禁忌めいた存在なのだ。
月葉がか細い手を観音開きの扉に伸ばす。そして、躊躇いなく扉を開いた。
「きゃあぁぁっ」
さとこサマが姿を現した瞬間、愛が悲鳴を上げた。
おかっぱで目が落ち窪んだ陰気な顔の少女の石像は、口角をあげて笑顔を象っているのに笑っているように見えない。死を選ばざるをえないほど苛烈ないじめを受けた恨みが透けて見えるようで、どことなく恐ろしかった。
それだけじゃない。石像の分厚い唇は赤黒く塗られていた。ペンキで塗った鮮やかな赤じゃない。憎しみを色にしたような、どす黒くおぞましい色だ。
「やだぁ、あい、怖いよ」
「趣味が悪いわね。なによ、これ。誰がこんなことをしたのかしら」
愛と奈々が抱き合って震える。
「キモ、まじキモい」
ちょっと前までスリルを楽しんでいた由貴子もすっかり顔色を失っている。
月葉とのホラー映画鑑賞会で怖いものを見慣れている夏月でさえ、さとこサマの石像に恐怖を感じた。
「噂、本当だったんだ。怖いね、さとこサマの怒りを感じる」
「やめて、月葉。あい、怖いよ」
「怖がらせてごめん、愛。でも、平気だよ。単なる悪戯だって」
「そうだよねぇ、いたずらだよね?」
不安げな愛に月葉がにこりと笑って言う。
「仮に誰かが本当に血を捧げてさとこサマが目覚めていたとしても、大丈夫。愛たちは悪いことなんてしてないでしょ」
月葉の笑顔が、夏月には何故か恐ろしく思えた。
「さ、噂の検証も終えたし、いこっか」
月葉は木の扉を閉めると、軽やかな足取りで踵を返した。
愛たちが月葉の小さな背中を追っていく。
奇妙な光景だ。あの引っ込み思案で根暗の月葉がまるで王様みたいに見える。
唖然とする夏月を、また鋭い視線が貫いた。
見上げると、三階の窓に人影を見つけた。
さらさらのボブヘア、尖った広めの肩。後ろ姿だけどわかる、あれは志穂だ。
志穂に監視されている。でも、何故?
志穂のナイフのような切れ長の瞳を思い出し、自然と背筋が震えた。
表面上は平穏だった学園生活に小さな白波が立ちはじめている。漣はいつか津波を呼び大きな災いとなる。
そんな気がして落ち着かなかった。
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