病室より愛(のろい)を込めて

宮いちご

海月と兎

7月5日。日本に大災害が起きる、って予言の日。

一般人たる僕は学校の教室で自習中だった。

 

世界の終わり、なんて言うけど物事が全部誰かにとっての『世界』なら、毎日世界が消えてることになるんだからこの東京全土せかいが今日消えるのもまあ普通だと思う。人間は大きさと密度の総数でモノの価値を決めたがるから、東京が消えるのはきっと結構な損害だけど。


少し隣から女子の話し声がする。あのあたりの席にいる水原さん、普段から私語が多いんだよな。

   

兎紅とこちゃん、今日って一緒に帰れるぅ?あたしね、行きたい服屋さんがあってぇ」

「……」

「も〜、返事くらいしてよぉ。兎紅ちゃんもかわいいお洋服、好きでしょぉ?」


うわぁ、絡まれてるな。

兎紅さんってあんまり人と関わりたがらないのにいろんなタイプの変な人に好かれやすいみたいで…なんというか、災難だと思う。本人は静かに一人で居たがっていそうなのに。


それから数十秒間黙りこくっていた兎紅さんが一言、ぽつりと言った。

「……アンタ、今日が何月何日か知ってる?」

「え〜?7月5日、でしょぉ?それがなにか?」


水原さんのその返答に対してはぁ、と憂鬱そうにため息を吐いた兎紅さんがとても小さな声で――


「やっぱり人間なんて、忖度の価値もない下等生物ね」

…と発したのが、僕にもかすかに聞こえた。


 

その次の瞬間、水原さんの首だけ・・が支えを失って机にぽす、とノートの上に転がった。…え?


即死したのだろうとわかるほどだくだくと吹き出す赤色と僕とは反対方向――兎紅さんの方を向いて落ちた首を……横目だけで確認する。


同級生は、まだスマートフォンを弄ってたり勉強中で前を向いている。事態に気づいてない、大きな音もそこまで立っていないからか。でも、こんなのっておかしくないか…!?


駄目だ、いくらアクションを起こしていないつもりでも、落ちた首を見た時にこちらの身体が跳ねたのはおそらく兎紅さんにもバレている。



 

――首のない水原さんが、前の席の子に手を伸ばしている。

まるで何かに操られているみたいに、その手は音もなくその子の肩に置かれて――その子の首も落ちた。そのサイクルは、また繰り返されている。

 

僕は後ろの方の席だから前へ前へと肩を叩くあの屍たちの餌食にならないだけで、多分こちらにも回ってくる。なら、回ってくる前に。

 


意を決して、兎紅さんの方を向く。

彼女は普段の冷淡そうな表情を一切崩さずにこちらを見ていた。


「……ッ、兎紅、さん…。」   

「『え〜〜〜ん、わたしの大事な大事なお友達、殺しちゃったよ〜〜〜。』…なーんて、ほんとバカね、アンタたち。世界終末のカウントダウンも知らないで呑気にお勉強してたの?ノータリンもいいところだわ。」

「!」

 

――ネットでまことしやかに囁かれていた予言の話だ。この人、本当になんなんだ。予言に乗じて陽動を起こしたテロリスト…?いや、こんなに訳のわからない事態、人間じゃきっと起こせない。


自分の顔が困惑と恐怖で歪むのを感じながら、彼女に質問を投げかける。

「兎紅さん…や。あなた、なんなんですか…?」 

 

「―アタシは世界の終わりをもたらすためのほんの一要素。ここはアタシが占拠した。アンタはもう明けの明星も拝めないのよ」


本当に、突拍子のないことを言われて、でもそれがいまは現実味を帯びていて、声が震える。

「…世界の終わりをもたらすって、そんな。もっと、大災害が起きるとか。隕石が、とか…」

「呆れた。そんな漠然としたものが世界の終わりに相応しいわけないじゃない」


やっぱり人間って、という言葉に続いてこちらに冷たい目線が向く。――ここで、何か言い切られたら自分の首が落ちる。そんな気がした。


その前に、何か。何か言わなくちゃ。

「…ッ、あなたって、人間人間って言いますけど、じゃあ、あなたはなんなんですか…」


その質問ではじめて、目の前の存在が目を見開いて…表情が明確に動いた。


「…アタシは悪魔よ。それも、戦うためだけにいる一番位の低い悪魔。」


同族から散々見下されてきたし虫螻みたいに扱われてきたから雑魚人間相手だとやり返せて楽しいのよね、と彼女は云う。


「…お名前なんかをお聞きしても、…ひいっ!」

「はは、笑えるわね。…アンタ、悪魔に名前を訊いたりアタシに名前を訊かれることに対して慎重になったほうがいいわよ。臓物マフラーにされたくなければね」


…彼女の軽く投げたボールペンが、すぐ後ろの壁に突き刺さっていた。名前の話題はよくなかったらしい。臓物マフラー、なんとなくどんなものか予想はつくが、つくからこそ絶対になりたくない。


「キア」

「え?」

「アタシの名前…というか、銘柄ブランド。アタシ、下位すぎて自分の名前は持ってないのよ」


名前代わりのものを教えられて、にわかに驚く。というかこの悪魔ひと、こんなにここで会話してていいんだろうか。責務は果たせているんだろうか…?


すると、そんな目で見ていたのが伝わったのだろう。口の端だけを吊り上げて彼女が嗤う。


「ここで油売ってて平気なのかって顔ね」

「あっ、いえっそんなこと…」

「いいのよ、…隣の教室も静かでしょ。自習なんてありえないはずなのにね。」

「え、…………!!」


まさか、隣の教室でも同じ事が起きていたりするのか。


 


キアさんが教室の引き戸を開けると、そこには緑の髪を低めの位置でツインテールにした黒服の少女が立っていた。…頭頂部に猫の耳が生えている。

 

「…んあ〜、キアちだ。そっちはもう終わったの?」

「人間がザッコい所為で一瞬で終わったわよ。あんたは遊びすぎね。体液まみれじゃない、ゴア」


ゴア、と呼ばれた少女はうんと伸びをしてこちらに向き直る。

「…あれぇ、人間がいるよ。狩り残してる?」

「ひっ、や、あの、えっと、はい…」


…どうしよう、多分キアさんの気まぐれで一時的に生かされているだけで、人間はいま殲滅されるべき存在なのである。本当にどうしよう。


ゴアの瞳孔がきゅ、と細められてこちらを捉えたその時――


キアさんがゴアに対して突っ込んでいった。



「…なーに、キアち。あそびたいの?」

「遊ぶなんて生温なまぬりぃもんじゃないわよ、タマ取らせなさい、ゴア。ロスタイムが長すぎて退屈なのよ、こちとら」

「相変わらず血の気が多いんだから〜。でもそんなひまつぶしで死んじゃうほどゴアもつまんない猫又ケットシー、じゃないよッ!」


キアさんの身体がゴアの爪で切り裂かれて、その身体から血が吹き出す。

その時、彼女の名前…ならぬ銘柄を大きめの声で言ったのを聞かれたのかゴアがそれに反応する。


「ん〜…人間と契約したら下位悪魔でもつよつよになっちゃうって聞くよ、キアち。そこの人間と契約したら勝てるかもねぇ」



契約。その言葉を聞いて、昔読んだ願いを3つ叶えてくれる悪魔が出てくる童話を思い出した。あれは確か、願いを叶えるかわりに地獄で一生人間がその悪魔に隷属したり、魂を喰らわれるという条件付きで叶うらしく、碌なものではないのはなんとなくわかる。


「そこの人間さん、お互いに名前をあげると悪魔はつよ〜くなれるんだよ。知ってた?キアちは多分人間さんにお名前あげたあとだよね、だってキアちの名前呼んでたもんね」

 

キアさんが血を吐き出して激しく咳き込んでいる。ここで死んでしまうのか、彼女は。


「お名前、キアちに教えちゃったら〜?だって今も人間さんを守ってくれてるじゃん。ねえ、あげちゃいなよ。ゴアったら、ふたりのキューピッドになれちゃうかも〜!悪魔だけどね。」


この人は、キアさんは。人間を見下しているし暴力的だし、だいぶ怖い。……でも、このゴアとかいう猫みたいな悪魔よりはずっと理性的だ。それに――


僕はこの人がやられっぱなしなのはなんだか嫌だ。


言葉を発するべく息を吸った、その時だった。


キアさんがやっと、言葉を発した。 

「好き勝手言ってんじゃねえわよ、雑魚共が」

「…キアち、まだ喋れたの〜?ゴアはやさしいからまだねんねさせてあげるよ?」


「ほんと思い上がりも甚だしいわね、猫が元になってるから知能が低い…とは聞いてたけど、ちょっと飼い殺されすぎなんじゃないかしら」

「…黙って聞いてれば。ゴアのこと、馬鹿って言うなぁ!!」

ゴアがまた両手を振りかぶる。キアさんは多分動けない。――でも。


「いった〜〜い。可愛い女の子に対しても容赦ないわねアンタ。まあでも、助かったわ。何も考えずに傷を負ったと思ってくれて。…アンタ、アタシの種族については知らないわよね」


そうキアさんが語っている中、ゴアの手が空中で縫い付けられたように止まっている。なんで、なんで、と小声でゴアが零しているのが聞こえる。


「アタシの種族は――寄生型パラサイト。体液の触れたところから侵食して、その身体を操って死に至らしめる。アタシの体液引っ被ってる時点でアンタはもうその支配下だったのよ。…まあ、舐めプしすぎたのは謝るわね」


ゴアの腕が下がって、手が腹部に押し当てられる。鋭い鉤爪型の武器が、今度はゴアの華奢なその腹を裂こうとしている。彼女は涙を浮かべて首を必死に振っていた。

「やだ、やだっ、あやまるから、キアち…」

 

「…精々、獄で後悔しなさいな。くたばれ」


――ぐちゃり、と厭な音がして、ゴアの姿は跡形もなく消えていた。

 


「…居なくなってる」

「下位悪魔は死体が残らないのよ、数だけはいるからいちいち焼くのが面倒だって言われてるらしいわ」


なんだか、短時間で壮絶なものを見すぎている気がする。疲れて、ふらふらになりそうだった。


「で、アンタの名前は何なの」

「ふぇっ、訊くんですか、結局…」


名前、教えなくても良さそうな感じだったのに。これで契約したことになっちゃうのかな。でも、そうしたらキアさんに殺されることさえなければ僕は安全なのかもしれない。


「宵待蒼紫、…よいまち、そうしです。」

「ソーシ、蒼紫ね。ふーん」


あまり興味がなさそうにふいと顔を逸らされる。この人、本当に人間に興味がないんだな…。


「アンタの水色の髪、アタシのピンク色の髪によく映えて便利だから隣においてあげてもいいわ。でも、あんまり何か言うようだったら殺すから」

「は、はい……」


世界の終わりの日。僕は生き残ってしまって、悪魔と一緒の日々を歩き出した。これは序章にすぎないのか、それとも始まりの終わりなのか…


僕はその時、全然識らずにいたのだ。

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