白銀の夢、その果てに

さわやかシムラ

白銀の夢、その果てに(前編)

「うぐぐ、しまった。もう少しなのに……活動……限界か……?」


 天を仰いで地面に転がる白い髪の少年。お腹の上に厚手の布で作られたリュックを抱える。


「あー、くそ。太陽が憎い……」


 ちらっと視線を横に移すと、青々と雑草が生えている。


「これ食べても大丈夫かな……しっかり咀嚼すれば、なんとかなるよね」


 手を伸ばして一掴み。口に運ぼうとしたとき、不意に影が彼を覆う。

 視線を天に移すと、心配そうに覗き込む、栗色の髪の見知らぬ女性。


「それ雑草だよ……お腹すいてるの?」


「うーん、そんなとこ」


 ぐーきゅるる。大きな音が周りに響いた。



「胃がびっくりしちゃうから、ゆっくり食べてね」


 暖かいスープとパンがテーブルに置かれる。

 少年は手を合わせて、にっこりと笑った。


 次々手に取り食べていく。

 あっという間にお皿は空っぽになった。


 その様子を、女性は嬉しそうに眺めていた。


「はぁ〜、ありがとう助かったよ」


 お腹をさする少年。少し照れくさそうに咳払いをすると、姿勢を正して女性に向き直る。


「僕はマイン。しがない旅人さ」


 足元に置いたリュックを軽く叩く。

 女性もマインに合わせて背筋を伸ばす。


「私はリータよ、よろしくね。どうしてあんな所で倒れてたの?」


「いやー、お恥ずかしながら、食料が尽きたけどまだいけると思ってたら予想より早く動けなくなっちゃってさ」


 マインは照れたように頭を掻く。


「燃費は良い方なんだけどねぇ」


「ふふ、だからと言って雑草食べちゃダメよ」


 リータは席を立つと、炊事場で煮え立つ鍋を確認する。


「でもこんな山裾の寂れた村に旅人なんて珍しいから、びっくりしちゃった」


 リータは沸かしたお湯をカップに入れてテーブルに出してくれた。


「ごめんね、こんなものしか出せないけど」


 マインはカップに息をふきかけながらひと口すする。


「一食の恩義があるからね、力仕事とかあれば手伝うよ? なんでも任せて」


 腕を曲げてアピールするマイン。

 その姿にリータは優しく微笑む。


「じゃあ少しだけお願いしようかしら」



「ええー!?」


 驚きの声をあげたのはリータだった。


 家の裏に積み上げられた薪の山。

 斧の先を地面につけて満足そうに頷くマイン。

 汗ひとつかいていないようだ。


「え? 薪割り……してたよね? どうやって、こんなに早く?」


 口元に手をあてて、信じられない様子で尋ねる。


「どうって……こうだけど?」


 丸太を切り株の上に置き、斧を素早く正確に振りかぶり落とす。カコン! と軽妙な響きを上げて真っ二つになる。


「同じ動作繰り返すだけ。簡単だね」


 よそ見をしながら次々薪を増やしていく。


「あわわわ」


 リータは目の前の光景に動揺するばかりだった。



「薪運びまで手伝ってもらっちゃってごめんね」


 作りすぎて乾燥棚に入りきらなかった薪を村の皆に配って歩き、いくばくかの食料を分けてもらった。

 今はその帰り道だ。


 夕刻も近いからと、リータの好意で一晩だけ休ませてもらうことになった。


「力仕事は得意なんだ。お役に立てて嬉しいよ」


「ううん、結果的に私の方が助けられちゃったな。ありがとうね」


「リータはさ、あの家で一人で暮らしてるの?」


 マインの質問に少し寂しそうな瞳をするリータ。


「両親は随分前に他界しちゃって……ムーアって言う弟がいるんだけど今は出稼ぎで遠くに行ってるの。ちょうどマインくんと同じぐらいの背丈ぐらいかなぁ?」


 マインの身長は、リータより頭半分ほど低い。

 リータは手のひらをマインの頭あたりで水平に動かす。


「この村も昔は鉱山で賑わってたんだけど、数年前にあった事件で閉山して、みんな居なくなっちゃった」


 山あいに沈む夕日を目で追うリータ。


「ふぅん? それって、どんな事件?」


「身体はミイラのようにやせ衰え、全身の肌が焼け焦げた身元不明の死体が、何十体も鉱山の出入口で折り重なるように倒れてたって」


 視界の先にリータの家が見えてくる。リータは話を続ける。


「鉱山から、毒ガスが噴き出したとか、吸血鬼が現れたとか、そんな変な噂がたって、そのまま廃坑になっちゃった」


「へぇー、そんな噂があったんだ? 吸血鬼? 面白いね!」


(なんだか、猫みたいだわ)

 怖がるかと思ったのに、興味を持つ少年を見てリータも表情が柔らかくなる。


「そんなに面白い話かしら? 村の皆も怖がっちゃってるもの」


 リータは扉を開け、マインを中へと招き入れた。

 部屋の奥、石を積み上げて作られた炉に薪をくべ、火打ち石で火を起こす。

 くすぶる煙の向こう、揺れる炎が壁や天井を柔らかく照らし、沈んでいた部屋にふたたび温もりが戻ってくる。


 リータは薪と交換してもらった芋や山菜で夕食を用意する。


「今日はたくさん薪切ってくれてありがとうね」


 余剰のおかげで食料にもありつけた。そういう意味も含まれているのだろう。


 マインはスープ皿を差し出すリータの手を見つめる。

 肌は荒れ、マメが潰れた跡もある。女手一つでは何かと苦労してきたのだろう。


「じゃあ、この夕食のお礼も考えなきゃね」


 マインは笑顔で煮込まれた芋を口に放り込む。


「そんな、気にしなくていいよ」


 リータは慌てて手を振る。


「それより、マインくん旅のお話聞かせて欲しいな」


「そうだねぇ……何を話したものかなぁ。

 ずっと夜しかない世界の話が良い? それとも暗ーい暗ーい地下の王国? 最近だと、ユグドラシルの樹海なんかも行ったけど。

 まぁあんまり楽しい話は無いけどね」


 そう言いながら渋そうな顔をする。


「えー? どれも面白そうだけど。実はマインくんは旅人じゃなくて吟遊詩人だったりするの?」


「違うよ……さすらってるだけの、旅人さ」



 まだ夜が明ける前の漆黒の帳。

 黒い四足の獣と自分の頭を重ねる人影。


「そう、わかった。情報ありがとう」


 闇を纏った獣は軽く頷くと、黒い世界に溶け込むように姿を消す。



 窓からさす朝日が眠るリータの顔を撫でてゆく。まぶたの奥に光を感じリータは、ベッドからゆっくりと身体を起こす。


 昨日はまるで弟が帰ってきたような気がして、久しぶりに楽しい時間を過ごした。


 ふと部屋を見渡すと──座ったまま壁にもたれかかり眠る少年の姿。

 寝る時は床に敷いた布団の上で横になっていたはずなのに。寝相の悪さにクスッと笑みを漏らす。


 リータが動く物音を聞き、マインも目をゆっくり開いていく。


「おはよう、リータ」


 あぁ、朝ってこんな感じだったな。弟がいた時の風景を思い出し、安らぎをおぼえると共に寂しさも感じるが、一度口をキュッと結ぶと、つとめて笑顔でいるように気持ちを切り替える。


「おはようマインくん。朝はパンだけどいいかしら」



 パンをひとちぎり。口に運ぶ。


「マインくんはこれからどうするの? また旅に出るの?」


「実は欲しい物が手に入ったから、帰るところなんだよねー」


 マインはちびちびと水を飲みながら答える。


「へぇー、そうなんだ。それって何か聞いても良いのかな?」


 マインは少しリュックに視線を向けて、またリータに向き直る。


「別に良いけど、神酒ソーマって言ってわかる?」


「ソーマ?」


 リータは少し天井を仰いで首を傾げる。

 その様子をみて、マインはニタリと口角をあげる。


「美味しいお酒」


「え? お酒? マインくんまだ子供でしょ!? ダメだよ!」


 リータは慌てて手を振る。


「あははは! まぁ正確に言うと、神酒ソーマを作るための原料だね。それを手に入れたんだ。野盗に狙われたり、苦労したよ」


 軽い口調で続けるマイン。


「本当に苦労したの? でもお酒飲んじゃダメよ?」


「リータは厳しいねぇー。さて、長居しちゃったし、僕はそろそろ行こっかな」


 跳ねるように椅子から立ちあがる。


「もう行っちゃうの?」


 またひとりの時間が来ると思うと、引き止めたくなる。でも、流石にそれはできない。


「うん、一日だけでも楽しかったよ。……あ、そうだ」


 マインはしゃがみ込むと、小さな金属がついたリストバンドをリュックから取り出して、そっとリータの腕に巻いた。


「夕食のお礼ってわけじゃないけど、迷惑かけちゃうからね。良かったら貰ってくれると嬉しいな」


 それだけ残して、マインは朝のひかりの中へ、音もなく溶けていった。



 ふわりと消えた少年の面影。

 久しぶりに家の中が賑やかだったな。弟がいた時の事を思い出す。


 懐かしさにかられて戸棚を開く。

 中には、弟──お金のために兵に志願して出ていったムーアからの手紙がしまわれていた。


 リータは手紙を取り出し、テーブルの上にそっと並べる。


「……ムーア元気にしてるかなぁ」


 テーブルに頬杖をつき、リータはため息をもらす。

 兵になって稼ぐって言って出ていったきり、たまに来るのは事務報告みたいな手紙とお金。


 いつも明るく元気な弟だったのに、手紙になると素っ気なくなっちゃうのかな。

 それともやっぱり軍隊は厳しいのかな。

 手紙の隅に指を置き、くるくると回す。


 再び手紙を手に取ると、顔の前まで持ち上げてじーっと眺めてみる。


「たまには帰ってきなさいよ」


 そう言って、手紙をおろすと。


 隊服を着た少年がそこに居た。土と泥で汚れた姿。髪の毛も汚れてボサボサだがひと目でわかる。

 戸口には朝日が差していて、逆光の中に立つその姿は、少しだけ別人のようにも見えた。

 背だけは高くなっちゃって。思い出の中の弟はマインと同じぐらいの背丈なのに、いつも間にか自分を追い越していた。


「どうしたの、ムーア。おかえり」


 思わず瞳が潤む。


 だが、ムーアの眉間には皺が刻まれ、厳しい表情をしている。そして力強くリータの腕を掴んだ。


「姉貴、この辺で白い髪の子供を見なかったか?」


 リータは背筋にゾクリとするものを感じた。



「どうしたの? なんでそんなこと聞くの?」

 

 弟の手を振り払う。思わずテーブルをはじいてしまい、皿が転がり派手な音を立てる。

 ムーアは床に落ちた木の皿をじっと見つめる。

 そして、テーブルの上も。


「皿が二つ出ている……。ついさっきまで誰か居たな?」


 ムーアはリータを睨みつける。


「昨日分を片付け忘れただけよ」


 リータはしゃがみ込むと、皿を拾い上げてテーブルの上に戻した。


「盗人を庇うのか!?」


「……盗人?」


 リータの問いも、もはやムーアの耳には届いていなかった。


「あれは、俺の手柄だ。持っていかせはしない!」


 弟の鬼気迫る表情に思わず声を呑み込む。


 ムーアは扉を乱暴に開けると、外の兵に向かって叫ぶ。


「まだ近くに居るはずだ! 探せ! 殺しても構わん!」


 ムーアが怒声を上げて飛び出していく。それと入れ替わるように、一人の男がするりと室内へ足を踏み入れた。


 白銀の刺繍が織り込まれた濃紺の礼装服。手袋を外しながらゆっくりと歩を進める姿は、どこか芝居じみた優雅さをまとっている。


 浅く浮かんだ笑み。だが、眼鏡の奥の瞳は氷のように冷たく、感情の色は見えなかった。


「……失礼しました。ムーア軍曹のお姉さん、でいらっしゃいますか?」


 張り付いたような笑顔。笑っているように見えて相手を見下すような、そんな嫌な印象だ。


「あぁ、あまり畏まらないでください。私はハロルド・メッサー。階級は少尉です。ムーア軍曹の上官にはあたりますが、どうか、お気になさらずに」


 リータは身をすくめながら1歩後ずさる。


「なんなんですか、いったい? 弟は、ムーアは何をしようとしてるんですか!?」


 ハロルドは大袈裟に天を仰ぐと眉間に指をあてた。


「いや実は私たちが遠征で大変な思いをして手に入れた物を、白髪の少年に盗まれてしまいましてね。ほとほと困っておるのですよ」


「それが私となんの関係があるんです?」


「関係があれば都合がいいだけです。ただまぁ、村人の皆さまからはこちらにお住まいのリータさんが、白髪の少年と共に薪を配って歩いてたとのお話も聞いておりますので」


 ハロルドは笑顔のまま、リータに顔を近づける。


「無関係ってことは──ありませんよねぇ?」



 リータの家の周りには兵がぐるりと取り囲み、辺りの警戒をする。

 そして家の中では後ろ手に縄で縛られ、地面に座らされたリータの姿があった。

 リータの前では、外部から持ち込んだ金装飾の赤い肘掛椅子に腰をかけたハロルドがグラスを傾ける。


「私はあの子の行先なんて知らないし、こんなことしてもあの子は出てこないわ!」


 振り絞るように声を出す。


「別にそれならそれで構いません。ただの余興ですからね。どのみち、この村は地図から消えるのですし」


 リータの顔が青ざめる。


「な、何を言ってるの!?」


「退屈しのぎに少し教えてあげましょうか。この村では鉱山が閉鎖される騒ぎがありましたよね?

 そこにあった異常な死体を回収して検査したのが軍の研究所なんですが──」


 鉱山から這い出でるように積み重なった数多の死体。

 干からびたような、燃え尽きたような。奇妙な死体の山。

 毒ガスから逃げてきた者たちかもと言う噂もあり、安全性の確認のためにも軍の研究所が遺体を引き取っていった。


 表向き理由はそうだが、実際は軍事利用を目論んでいたらしい。


 そして数年。出てきた調査結果は毒ガスの関与では無く、吸血鬼に関するものだった。


 死体はどれも「日光で」全身が焼けただれていたが、奇妙な事に死因は熱傷死ではなく、失血死と思われた。どの死体にも体内に血液が一滴たりとも残されていなかったが、鉱山前に血の跡は無かったという。


 吸血鬼に血を吸われたのか? それとも吸血鬼の同族の争いか? という憶測が飛び交ったが、国王が興味をもったのは、吸血鬼のような本来「死を超越する」ような化け物がいるのであれば、捕らえて研究すれば「不老不死」に行き着くのではないか、と言うことだった。


「なので、炭鉱のあるこの村の人間を片っ端から捕らえて化け物かどうかの『調査』をする予定なんですよ」


 調査という響きに隠された恐ろしい行為が、みなまで聞かずとも伝わり、リータは身震いした。


「あぁ、そうだ。ムーア軍曹は、お姉さんのために最後まで頑張っていたんですよ。

 別で不老不死伝説の神酒ソーマを作ればいいと考えて研究者たちと文献を調べ、

 材料になるらしいという『ユグドラシルの樹液』を、わざわざ危険な樹海まで採りに行って。

……それを白髪の少年に『あっさり』持っていかれたそうでして。ふふ、なんともお労しい話ですよねぇ?」


 ハロルドは愉快そうに声を出して笑う。

 

 リータは弟の想いに安堵する反面マインが奪ったというのも信じがたく、頭が混乱する。

 何も出来ない悔しさに静かに涙し、肩を震わせた。



 ムーアは配下の兵と共に村を散策したが、何も成果は得られなかった。


 あの少年の姿は見えない。けれど、どこかでこちらを見ているような気がして、背筋に汗が伝う。


(もはやここまでか……)


 どちらにしても今更『ユグドラシルの樹液』を取り戻したとて、軍がこの村の制圧を終えるのに間に合わない。


 この村に吸血鬼がいる? くだらない妄言だ。

 居ない者を見つけるための調査? 馬鹿げている。

 届いた指示書には、こうあった──『手段を選ばずに調査せよ』。

 否応なく悟る。これは、調査ではない。

 殺して死ねば人間。死ななければ化け物。……ただの殺戮だ。


 そんな事のために、姉を犠牲にするわけにはいかない。


 あまりにも腹立たしく、思わず拳を民家の壁に打ち据える。


 それでもなお震える手を、もう片方の手で強く握り締める。


 両親亡き後、自分を育ててくれたのは姉だった。姉に苦労させたくなかった。幸せになって欲しかった。

 そう思い兵に志願し、ガムシャラに成果を求め、地位を築いてきた──だが、何を犠牲にしてでも、姉だけは逃がす。


 ムーアは決意を固めた。

 その時にはもう、手の震えは治まっていた。



 夜も更けて、ハロルドは「こんな汚いところでは寝られません」と別の所へ移っていった。

 ひとり床に転がされたままのリータ。そんな中、扉を開いて入ってくる者がいた。ムーアだった。


「姉貴……」


 リータの後ろ手に縛られた縄をナイフで切り裂く。


 リータはようやく自由になった手首をさすった。片手はリストバンドのおかげで痛みはマシではあったが。


「逃げてくれ」


 ムーアは短くそれだけ告げる。


「ムーアは? 一緒にいくよね?」


 静かに首を横に振る。


「なんで? 一緒に逃げよう?」


「俺はここで追っ手を食い止める」


「そんなのダメ! 絶対ダメ! じゃあ私も残るわ!」


「こんな所に居たら、どんな目にあわされるか! いいから逃げろ」


 押し問答していると不意に後ろから声がかかる。


「喧嘩中のところ悪いんだけど……ちょっといいかな?」


 部屋の隅の闇から現れたかのように、いつの間にか白髪の少年がそこに居た。


 その姿を目にしたムーアは、怒声を上げながら手に持ったナイフで踊りかかる。

 鈍い音が響く──だが、マインはその刃を「手のひら」で受け止めていた。


 驚愕に固まるムーアの隙を突き、マインは掌底で手首を打ち、ナイフを奪い取る。

 くるりと身を翻し、ムーアの背後へ。ナイフの切っ先が、首筋にぴたりと触れた。


「マインくんやめて! 私の弟なの!」


 姉の鳴き声に、ムーアは大人しく両手を上げる。


「言っとくけど、僕が仕掛けたんじゃないからね?」


「お前が! 『ユグドラシルの樹液』を持ち去らなければ!」


 ムーアが怒鳴りつけようとするが首筋の冷たい金属感に声を止める。


「あれだって僕が先に見つけて採取したんだよ? 野盗のように追いかけて来たのはそっちだよね?」


「……なんとしても、成果をあげなければならなかったんだ」


神酒ソーマを作るって話? 作り方知ってるの? あれだけだと原料も足りてないよ?」


「材料の目処はついていた。あとは研究所でどうにかしたさ……」


「行き当たりばったりだなぁ。ほらこれ」


 マインはナイフを引っ込めて代わりに液体の詰まった瓶を差し出す。


「……これは?」


「ご待望の神酒ソーマだよ。さっき家で作ってきた。調合に夜までかかっちゃった」


 そこで目線をリータにうつし、


「来るのが遅くなってゴメンね」


 と片目を閉じる。


「……本物なのか?」


「本物だけど、飲んでも不老不死になんてなれないよ?」


 それを聞きムーアは愕然とする。


「まぁ疑うなら、一から神酒ソーマを作ってみて、自分が『本物だ!』と思うもので試してみたら? 結果は変わらないけどね」


 ムーアはその場に崩れ落ち、肩を震わせる。

 自分がやってきたことは無駄だったと嘆くばかりだった。

 リータがその背をそっと撫でる。


「まぁでも、ここからは国王軍とやり合うことになるのかぁ。骨が折れるなぁ」


 マインは腕組をして困った顔で首を傾ける。

 その余裕を感じる仕草に戸惑いつつもリータが声をかける。


「マインくんも一緒に逃げよう?」


「気持ちは嬉しいけど、僕は『ここ』を離れられないんだよね」


 旅人がおかしな事を言うものだ。

 リータは言葉の理解に苦しむが、不思議とマインのことはそのまま受け入れることが出来た。


「とりあえず軍隊には帰ってもらってもいい??」


 ムーアに尋ねてるらしい。


「たったひとりで何が出来る。いつだってお前は逃げ回ってばかりだったではないか」


「そりゃ遠かったからね? でもここは僕の手が届く領域だから──」


窓から次々と、音もなく漆黒の獣が飛び込んでくる。狼や猿、鳥のような姿。闇の中で白く瞳を光らせる異形の獣がマインの周りを囲んだ。


「たくさん操れるよ?」



「撃退は出来るんだけど、そうすると二陣三陣と次の部隊が来るだけだから根本的な解決にはならないんだよね。君たちや村の皆が逃げれるための時間作りぐらいしかできない」


 どうであれ、この村は放棄するしかないと言う事だった。


 ムーアは水を注いだカップをリータに手渡す。

 リータが飲み干したのを見届けると、手を貸して立ち上がらせた。


 そして手を繋いだまま家の扉を潜る。

 数名の兵が倒れていた。


(見張りの兵士たち……死んでいる? いや、気絶か?)


 生死の確認をしている暇は無い。姉の手を引き、物陰から物陰へ、慎重かつ足早に村の外へ向かう。


 しかし、訓練された兵を相手に手加減する余裕があるのか。

 しかも物音なく、だ。

 実力差を思い知らされる。敵わないわけだ。


 村の中心部より獣の遠吠えが聞こえたような気がした。


 マインが囮として屋根の上で兵を引きつけるという話になっている。


 ハロルドの兵たちは「吸血鬼を捕える」ことが目的だからきっとそちらに集中してくれるだろう。


 とにかく村の外へ。その後はそれから考える──



「どうやらちゃんと外に向かってるようだね」


 屋根の上、片耳に手を当ててマインが呟く。

 リータのリストバンドトランスミッターはちゃんと役目を果たしてくれてる。

 聞こえなくなる距離まで無事離れてくれれば、一安心。と思うけど。


「とりあえず、僕の方は目の前の鬼さんたちを何とかしなきゃね。あれ? 鬼さん吸血鬼役は僕だっけ。まぁいいか」


 マインはときおり屋根に掛けられる梯子を蹴り飛ばしながら村の様子を眺める。矢も飛んではくるが避けるか掴めばいいから大したことはない。


 さて、争いが起こらない条件は二つ。全てが等しく平等な環境になるか、もしくは圧倒的な力を持つものが統べるかだ。


 統率に興味はないけど、ここは力の差知ってもらっておかえりいただこう。


 黒狼ウルフライクは、兵たちを囲み脅しをかける。一応殺さないように加減はしてるけど……勇敢な者が居たら仕方ないかも。


 兵の相手をしている間にも、昨日薪を配って歩いた家には、黒猿モンキーライクを送り、村人を強制的に村の外に運び出している。


 黒鳥バードライクは、空から情報収集だ。定期的にマインの手元に戻り、額で接触する事により情報共有をする。

 

 ちょうど黒鳥バードライクが戻ってきたので額を合わせる。


 その瞬間、背後からマインの首筋に鉄の刃が振るわれた。


「とった!」


 確かな手応え……のハズだった。

 切断面からは一瞬銀の液が吹き出したかと思うとすぐに治まり、少年は片手で頭を抑えながら、ゆっくりと振り返る。


「へぇ、お兄さん、気配消すの上手いじゃん」


 まるで何事もなかったかのような笑顔。


「ひ、ひぃ、化け物!」


「ほら生かしておいてあげるから、ちゃーんと皆に『化け物が居るぞ!』って伝えるんだよ?」



 それから兵たちは恐怖の悲鳴をあげながら、ちりぢりに逃げ出していった。


 マインはあらかじめ黒狼ウルフライクたちに、兵を脅かしつつも殺さず、逃げ道を“誘導”するよう命じていた。

 もちろん、その進路がリータたちの脱出ルートと交差しないように。


「今日のところはこんな物かな?」


 屋根から飛び降りると首をさすりながらマインは周りを見渡す。


 片手を耳にあてる。リストバンドトランスミッターからの音は聞こえない。どうやら無事村から離れられたようだ。

 安堵するマインに黒鳥バードライクが報告に戻る。


「なるほど、間に合うかな……」


 黒鳥バードライクの視界を通じ、郊外で剣を構えるムーアたちの姿を捉える。

 視界情報を断ち切ると、マインは村の端に目を向けた。

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