第5章 公爵令嬢、幸せの糸を掴みます
42. 手は抜かない①
二日間の休日が明け、マリエットは朝から王宮の厨房に姿を見せる。
テオドールとの婚約という衝撃的なお話が広まったばかりだが、料理人達の態度に変わりはない。
侍女達の態度は大きく変わっていただけに、厨房に入ったマリエットは安堵の表情を浮かべていた。
「マリエットさん、明後日の夕食をお願いしても良いかな?」
「はい、大丈夫です」
「ありがとう。今回も期待しているよ」
さっそく料理長から仕事を任されると、マリエットはレシピスキルを使う。
すると頭の中に色々な料理が浮かんだ。
どれも美味しそうなものばかりだけれど、中には王族の口に合わなさそうな料理もあり、すぐに一つに決めることは出来ない。
「マリエットさん、メニューは決まりそう?」
「ええ。二つまで絞れました」
どちらも味付けは似ているが、調理方法が全く違う。
作り方を見れば食感も想像できるものの、どちらが良いかの判断は難しかった。
「何と何で迷っているのかしら?」
「ステーキにするか、ハンバーグにするか迷っているのです」
マリエットの言葉にアンナは驚いてしまう。
今までのマリエットは聞いたことがない料理ばかり作っていたが、今回はどちらも有名だ。
けれど、この一年で王家に出されたことはない。
だから飽きられていることは考えにくく、どちらを選んでも良い結果が思い描ける。
「……どちらでも良さそうだけど、私は食材の味が活かせるステーキの方が良いと思うわ」
「王家の方はステーキを好みそうですね。今回はステーキにしましょう」
ハンバーグよりもステーキを選ぶのは、王族に限った話ではない。素材の良さを生かした料理を好むのは大抵の貴族に言えること。
マリエットもステーキの方が好きだけれど、ハンバーグの魅力も知っているから決めかねていたところ、アンナの後押しもあってステーキに決めた。
「マリエットさんのステーキ、楽しみだわ。さっそく食材の発注をしましょう」
「今回は殿下に教えながら作るので、多めに注文したいです」
「噂には聞いていたけれど、本当に教えるの? 殿下には包丁を握らせない方が良いと思うのだけど……」
アンナはテオドールよりもマリエットの心配をしている様子。
高位の貴族はほぼ必ずと言っていいほど、大怪我も治せるような治癒スキルの使い手を雇っているため、包丁で手を切るくらいの心配は要らない。
けれど、怪我をさせること自体は問題になることが多く、良くてもお叱りを受けることになる。
今の国王は暴君ではないから処刑まで行くことは考えにくいものの、アンナが心配するのも理解出来た。
「怪我をしないようにしっかり教えるので、大丈夫です。それに、殿下なら上手く扱えると思いますわ」
「マリエットさんがそう言うなら、大丈夫そうね。次の料理も楽しみだわ」
そんな言葉を交わし、マリエット達は食材の発注に取り掛かる。
発注といっても、いつも王宮に食材を卸している貴族に手紙を送るだけのこと。
手紙を書くことに慣れていない人では時間がかかる作業だけれど、公爵邸に居る頃から似たようなことを何度もしていたマリエットにとっては全く難しくない。
「発注も終わったので、賄いを使って殿下に包丁の使い方を教えてみますね」
「分かったわ。私に手伝えることがあったら、いつでも声をかけて」
「ええ、ありがとうございます」
マリエットがそう口にすると、タイミングよくテオドールが姿を見せる。
予定よりも早いため料理人達は大慌てだけれど、彼女だけは動じなかった。
「テオドール様、少し早過ぎますわ」
「すまない。待ち切れなくて、来てしまったよ」
視線を背けながら発せられた言葉に、マリエットは苦笑いを浮かべる。
「子供ではないのですから、時間まで我慢してください。私達にも準備があるのです」
「……返す言葉もありません」
強気のマリエットを見て、料理人達は冷や汗を流す。
もし機嫌を損ねたら……マリエットは王宮から姿を消すだろう。そして自分達の責任も問われるかもしれない。
けれど、そんな嫌な想像が現実になる気配はなく、揃って胸をなでおろす。
「少し早いですけれど、始めましょう。
マリエットはとっても良い笑顔なのに、テオドールの表情は引き攣っている。
「お手柔らかにお願いします……」
「お断りします」
今度はテオドールが冷や汗を流す番になったらしい。
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