乙女ゲームのヒロインは推し活がしたいのです

ひよっと丸 / 久乃り

第1話 やっぱりそうですよね


 目の前で、一人の男子生徒が派手に転んだ。ピカピカな廊下は多分大理石か何かでできているのだろう、まるで高級ホテルの入口のようだ。とにかく広くて天井の方から自然の光が差し込んでいて、床からの反射が物凄かった。


(うわぁぁぁ、痛そう)


 そんな感想を胸に抱きつつ、おいそれと駆け寄っていいものではない。なにしろ相手は侯爵子息のクラウディオ・アルディルモなのだから。

 周りにいる他の生徒たちも目線を落として見ないふりをしている。高位貴族の侯爵家の嫡男、跡取り息子である彼の失態を見てしまうだなんて不敬である。だからと言ってあからさまに無視をする訳にもいかない。処世術で何とか切り抜けなくてはならないわけなのだが、まだ学生、貴族の子弟の立場であるからそこまでうまく対応する術を持ち合わせていないのだ。


(やっぱり、あれはクラウディオ様)


 目の前で起きた光景に目を奪われていたが、前髪をかきあげあらわになった顔を見て確信した。


(やっぱりここは乙女ゲームの世界なんだ)


 今まで何となくそんな感じがするなぁ。程度で過ごしてきたけれど、ここに来てようやく納得せざるを得ない状態になってしまった。自分の名前が平民としてはなかなかご大層な名前だとは思ってはいたけれど、平民なのに学校に通えるようになった時、なんだかこんな展開を知っている気がする。と妙な胸騒ぎを覚えたものだ。

 一応は転生者として前世の知識があったから、アレコレ詮索はしてみたものの、所詮は平民の家に生まれたしがない存在である。親に聞いても大した事は分からないし、調べ物をしようにも、図書館に入るにはお金が必要だったから、自分が今どこに住んでいるのかさえ分からない状態が随分と続いた。何しろ平民はそんなことなんて気にして生きてなどいないからだ。せいぜい知っているのは住んでいる街の名前と治める領主の名前ぐらいだ。それだけ知っていれば何も困ることなどない。

 そんな状態であったから、第二の人生ぐらいの気持ちでのびのびと楽しい異世界ライフを送っていたある日、教会で読み書きの勉強をしていた時に転機が訪れた。そう、学校への入学試験のお知らせだ。いままで学校には貴族の子弟しか、通えなかったのだが、近年平民でも商人の子どもが学校に入学するようになり、その流れで優秀な平民の子供を学校に入学させよう。ということになったのだった。

 学校を卒業すれば平民であっても役人になれたりするので、だれもがこぞって子供を学校に通わせたがった。だから試験は教会で平等に受けることができた。その試験を受けた時、うっすらと前世の記憶が開きかけたのだが、何の知識なのか完全に思い出せないでいたのだ。

 そして、今ようやく記憶の扉が開いたのだ。


「お怪我はございませんか」


 記憶を取り戻した途端、行動は早かった。いやもはや条件反射、骨髄反射の域で体が動いていた。

 周りにいる他の生徒が微動だにせず息を殺して佇んでいる中、天井からの光を浴びてキラキラとした金髪には天使の輪が現れ、宝石のような緑の瞳が細められている。そんな彼の元に駆け寄る自分だけが切り取られたかのように生きていた。そう、まるでドラマのワンシーンのように。


「不敬だぞ」


 素早く膝を着いた頭の上に低い声が降ってきた。まだ少しキーの高い変声期を終える前の少年の声だ。


「申し訳ございません。平民ゆえのご無礼をお許しくださいませ」


 そこまで言うと、今度は深いため息が聞こえてきた。


「許そう」


 そう聞こえた時、肩にグッとした、重みがかかった。


「お怪我がなくて何よりです」


 頭を下げたままそう言うと、今度は小さな咳払いが聞こえた。


「名乗ることをゆるす」


 どこに向かって発言しているのかわかりにくかったが、自分に向けて言われていることぐらいはわかる。


「アンジェリーナと申します」


 平民なのに随分とご大層な名前である。何しろ「天使」という意味だ。平民の平凡な女の子に付ける名前ではない。貴族が我が子の誕生を祝福するためにつけるような名前だ。今更ながら、恥ずかしい。


「……良い名前、だな」


 弱冠の間があったのは、やはりご大層な名前のせいだろう。前世の記憶があるからこそ、アンジェリーナは顔から火が出るほど恥ずかしかった。何しろこの名前は前世の世界で大層有名な俳優の名前だったからだ。それだけでも不相応だと思うのに、更には天使なんてどこの世界でもどの時代でも神聖な存在として扱われる対象の名前が自分の名前なのである。おこがましいにも程がある。


「使え」


 目の前に出されたのは一枚の白いハンカチ。白地に白い糸で刺繍が施されている。あまりにも近いからこそ縫い目まで見えてしまう。


「あ、ありがとうございます」


 恭しく両手で受け取るが、さて、どうしたものかと考える。


「返す必要は無い」

「は、はいっ」


 受け取ったハンカチを頭上に掲げた。


「良く、励めよ庶民」


 そう言い残し、クラウディオは去っていった。

 そこでようやくアンジェリーナは立ち上がり、クラウディオの体重がかかった時分の肩に手を置いた。既にその、体温を感じることはできないが、それでもここにクラウディオの手が乗ったのだ。


 (推しが尊い!)


 手にしたハンカチで口元をそっと隠す。もちろん、自分の口元が歪んでいるのを察したからだ。周りにいるお貴族様に見られるわけにはいかない。


 (推しのにほひ頂きましたーー)


 ハンカチでかくしながら勢いよく鼻で浅い呼吸を繰り返す。もちろんクラウディオから受け取ったハンカチの匂いを嗅ぐためである。


(ダメすぎる。推しが、推しが推しすぎる)


 アンジェリーナの思考はもはやクラウディオで埋め尽くされていた。なぜならば、クラウディオこそがアンジェリーナが生前最推しとしていた存在であったからなのだ。だからこそ、前世の記憶が開花した途端、秒で体が動いた。クラウディオの元に素早く駆け寄ったのだ。もちろん、乙女ゲームの世界でも、アンジェリーナは確かにクラウディオの元に駆け寄った。ただし、体勢が違う。ゲームでのアンジェリーナは、腰をかがめた姿勢で転んだクラウディオの頭上から声をかけてしまったのだ。当然不敬である。

 それゆえに、クラウディオに与えた印象が最悪だったのだ。まぁ、そこは乙女ゲームゆえに「平民ゆえに失礼を致しました」とか言って事なきを得たのではあるが、そのスチルを見ていたからこそ、アンジェリーナはそのような不敬をしてはならないと膝をつき顔を下に向けたのだ。これで不敬にはならず、ついでに顔を見られることも回避した。推しを推すためには壁にならなくてはならない。壁に徹してこそ推し活である。自分という存在を推しにアピールするなんてとんでもないことなのだ。そもそも推し、クラウディオ・アルディルモは攻略対象者ではあるが、最難易度である。なぜならばクラウディオは公爵令嬢アルテマ・ロドリゲスに恋慕の情を抱いているからである。しかもアルテマはこの乙女ゲームの世界において悪役令嬢である。何かにつけてヒロインの前に立ちはだかるライバルであり、最終目標の攻略対象者の王子の婚約者候補として名前の上がる完璧な貴族令嬢なのである。

 つまり、そんなアルティマに恋慕の情を抱いているクラウディオは友好ポイントが0所ではなく、マイナス100ぐらいから始まるぐらい難易度が高いのである。プライドも高く話しずらい、見た目は金髪に宝石のような緑の目で完璧なのだが、惜しむらくはショタである。

 そう、クラウディオ・アルディルモはショタ枠なのだ。

 攻略難易度が高い上にショタ、好みがものすごく別れる攻略対象者なのである。だがしかし、前世のアンジェリーナにとっては大好物であった。何しろ合法ショタだ。見た目は子ども、中身は……、と言うやつである。

 半ズボンを履いてもらいたいところではあるが、ここは学校、残念ながら制服に半ズボンはない。女子生徒の制服のスカートも足首近くまである清楚なデザインである。

 周りの様子を確認しながら、アンジェリーナは推しから渡されたハンカチを握りしめ、周りに頭を下げてからそそくさとその場を立ち去ったのであった。

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