第16話 ドッグズ・ノーズ

 それが……『katharsis』

 胸に響く言葉だった。


 淳史さんがカウンターの中へと入って来ると、僕の隣に並んだ。

 どうしたのかと淳史さんを見る僕に彼は言う。

「片付け、手伝うよ」

「あ……うん」

「圭介さん、気を利かしてくれたんだな……客が引いた時点で、店、閉めてくれてたんだよ。戻って来た時に気づいた。『close』の下げ札出てたんだよ。まあ……杜嵜と話の最中に一人も客が来なかったから、そうかなとは思ってたけど。圭介さん、勘が鋭いし、先読み出来る人だから……だからあの時も圭介さんに甘えた」

「あの時……?」


「亮二がショウさんと出会ったのは、偶然なんかじゃなかったんだよ」


 淳史さんのその言葉に僕は驚く事はなかった。

 だから僕はこう答えた。


「そんな気がしてた」

 淳史さんも僕の言葉に驚く事なく笑みを見せたのは、察していたからだろう。

「やっぱり勘がいいな、ユウ」

 淳史さんは、僕にカウンター席に座るよう促した。

 僕はカウンターの中から出ると、淳史さんを前に座る。

 淳史さんは、グラスやボトルを片付けながら話を始めた。


「俺の依頼の先に亮二がいた。調査を進めていくうちに行き当たったんだ。それは聞き込みの為にだが。亮二は被害者なんだよ」

「亮二さんが……被害者……」

「だが……俺は亮二に聞く事もなく、調査としての接触はしなかった」

「何故……?」

「明らかだったんだよ、俺が知りたかった事そのものが、亮二の行動でな」

「明らか……」

「亮二は俺に気づいていたのかもな……」

「尾行していた事に?」

「ああ」

「どうせまた、気づかせるような尾行してたんでしょ?」

「いや……そうじゃないんだ。尾行しているのが『探偵』だって事に亮二は気づいていた」


 ……そうか。そうだよな……。

 尾行されている事に気づいても、それが誰なのか、何の目的があるのかまでの確証は持てない。

 それが探偵、なんて思い浮かぶのは、関わりがあるものがない限り中々に稀な事だろう。

「自分に何があったのかを見せるようだった。あいつの酒の飲み方は、ね……」

 淳史さんの話は、圭介さんの話に繋がっていた事だった。


「浴びるように酒を飲んでいた亮二に、俺がこの店を紹介したんだ。いい店があるから行ってみろってな」

「それで……オーナーが亮二さんに声を……」

 淳史さんは、ニッと笑みを見せると言う。

「『katharsis』のオーナーはショウさんだから、ね?」

「成程ね……」

 淳史さんは、ビールを取り出し、ピルスナーグラスに注ぎ始めた。

「どうぞ、ユウ」

 僕の前にグラスを置く。

「飲むのを止めたクセに飲ませるの?」

「全部飲めとは言ってない」

「なにそれ……」

 僕は苦笑したが、次の淳史さんの言葉に真顔になる。


 淳史さんはグラスを指差して言った。


「亮二の事を知りたいなら、それの方が分かる」


 グラスを手に取り、一口飲むと淳史さんに目を向けた。

 淳史さんは、僕の表情の変化に静かに頷く。

「……淳史さん……コレ……」

 僕は、グッとグラスを握り締める。


「苦いだろ?」

「……うん」

「だが……ただビールが苦いだけじゃない」

「……分かってる。ジンを入れただろ?」

「ああ。ジンを入れたからな」

「ビールにジン……『ドッグズ・ノーズ』……か。ビールにジンを入れた事によって犬が鼻を離さなかったっていう逸話があるカクテルだろ」

 そう言いながら、苦味を味わうようにまた飲んだ。

「はは。よく分かってる」

 淳史さんは僕からグラスを取ると、それを飲む。

「亮二がコレを飲む事はないが、亮二が抱えたものって……それだけに苦味を加えられてんだよ。だからこそ、亮二は追い続けるって訳だ」

「……そうなんだ」

 だから……闘うんだ。



「ねえ、淳史さん……杜嵜に撒かれたって、見失っても彼を見つける事は出来るんだろ?」

「そう思うのは?」

「南条と神崎の間にいる人物……それって杜嵜 緋色、彼なんじゃないの? 彼がその一人って言った方がいいか」

「お前のを聞こうか、ユウ?」

 興味深そうな淳史さんの目を真っ直ぐに捉えながら僕は答える。


「瞭良さんの話にあっただろ。探偵に接触されてはマズイ関係者……彼ならその理由を一番に知っている。初めにこの依頼を受けたのは彼なんだから」

「じゃあ、それが杜嵜だとして、亮二の話では南条は彼を覚えていないという。依頼を担当した探偵を覚えていないのはおかしいんじゃないか?」

 ニヤニヤと笑みを見せながら言う彼は、明らかに僕を試している。

「じゃあ、訊くけど」

「なんだ?」

「この依頼……淳史さんは今、僕のパートナーだよね?」

「ああ。亮二は南条の方を抱えているからな」

「依頼を受けたのは僕だ。依頼の契約を交わした後、淳史さんは依頼人に会った? 会ってないよね? 彼女の事は知っているだろうけど、会ってないし、調査に入った段階でわざわざ淳史さんを彼女に紹介する必要もない」


 探るような目線を向ける僕に淳史さんは、ふっと笑みを漏らした。

 淳史さんが察した事を確認すると、僕は話を続ける。

「それと同じだよ。調査を一人でやるとは限らないだろ。現に今、僕がそうしているように。だけど、この案件のメインは僕だからね……依頼人と主に顔を合わせるのは僕になる」

「それで?」

「杜嵜は僕たちを探していた。この案件に関わる探偵をね。そもそも、彼の探偵生命を左右した案件だろ。探偵でなくなった今も追っているものがあるのは、彼を見ていても明らかな事だった。淳史さんだって気づいた事があったから、瞭良さんを呼んだんじゃないの?」

「まあ……そうだな。事務所を変わっていない瞭良になら、なにかしらのアクションが得られるのは予想がついていた事だ」

 淳史さんはドッグズ・ノーズを飲み干すと、グラスをカウンターに置いた。


 亮二さんの事を知りたいなら……か。


「ユウ、お前の結論を聞こうか」


 クセのあるパスティス。苦味のあるジン……。


「淳史さん……杜嵜の過去と亮二さんの過去に同じ人物が絡んでいるんだろ。そしてこの依頼にも……ね」


 僕はネクタイを外し、立ち上がる。

「突き止めるよ。僕は『探偵』だから」


 意を決して椅子から下りたはいいが、ふらりとよろめき、カウンターに手をつくと呟く。

「あー……やっちゃった……」

 頭を垂れて唸る僕に淳史さんがケラケラと笑う。


 ……酔いが回ってる。

 ウォッカを数杯飲んだ後で、ドッグズ・ノーズ……ビールにジンを加えた事でアルコール度数は当然、高くなる。


「調査は少し寝た後で、な? ユウ」

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