第四十四話『思い出の料理』
次に向かうのは北の対にある
ここになにか手がかりがある。呉乃はそう思い厨の戸を開けた。
「あぁ、あんたは確か少将様の」
声をかけてくれたのは中年の
他にも六人ほど膳夫がいたが、皆なにをするわけでもなく座り込んでいた。
「宴席での手伝いをしておりました呉乃と申します。お訊ねしたいことがございまして……膳夫はここにいる皆さまだけですか? 先ほどまでもっと多かったような……」
「あぁ、配膳とか下膳の者は別の場所にいるよ。それで訊きたいこと? もしかしてあれかい? 毒殺騒ぎのことかい?」
中年の膳夫が声を絞って逆に訊いてくる。今彼らが仕事もせずただ厨にいるだけなのは先ほどの騒ぎで宴の席が中断されたからだ。しかも毒が仕込まれているかもしれないとなると誰も迂闊に動けないのだろう。
呉乃は他の膳夫の反応を窺いつつ「えぇ、まぁ」とだけ答える。
「毒があるかないかに関わらずどんな料理があったのか把握しておきたいのです。まだ残っていますか?」
「あぁ、全部ではないけどほとんど残ってるよ。宴はもう少し続くって話だったし。ほら、あそこに」
膳夫が顎で後ろを指し示す。厨の奥には確かにまだ作り途中だったりすでに出来上がったものの出せずじまいとなった料理が並んでいた。
とにかく情報を集めるしかない。呉乃は中年の膳夫に頭を下げて残っている料理を確認する。
(これは……鴨か? 塩焼きだ。鹿もある。肉料理はこれだけ。魚は……鯛の湯引きに
肉と魚だけでもかなり豪勢な料理の数々だ。臣籍降下したとはいえ嵯峨帝の血筋は名ばかりではない。
豪華な品々に呉乃は若干の胃もたれを覚えながらも作業を進めていく。
(何十人も来るからだろうけどすごい数の餅だ。唐菓子も見たことないやつばっかり。あとは……)
視線を巡らせると副菜が目に入ってきた。普段なら流し見する程度だがその豪華さと珍しさに呉乃は思わず引き寄せられる。
(これって……もしかして
「それは
野菜が盛り付けられた器を見つめていると横から突然声が聴こえてきた。
いきなりのことに呉乃はびくりとその場で跳ねる。動揺を隠すように胸を押さえて振り向くと、先ほどとはまた別の膳夫が立っていた。
随分と
おそらくこの厨で一番年配の膳夫なのだろう。呉乃は息を整えて背を正し、料理へ視線を戻しつつ訊ねる。
「茄と胡瓜、ですか? それはいったいどういう……」
「唐からの渡来の品じゃ。唐物が好きな大殿が大層気に入っておったでな、庭で育てておいたのをつこうて儂が作ったのじゃ」
「唐からの……そうですか、どうりで見たことのないものが」
言いながら呉乃は改めて料理の数々を眺める。今日の宴席は唐風の立食形式。唐からのものが饗されるのは至極当然だが、それにしたって肉も魚も野菜もすべて豪勢だ。
(酒も甘味もいいものばかり。それにひとつひとつの量が多いな……ん? あれは?)
視界の端に妙なものが映り込む。気になって近づくと高級そうな器になんとも控えめな料理が盛られていた。
(銀杏の白和え……? まぁ、宴の席に出てもおかしくはないけど……なんとも素朴というか、地味というか……)
先ほどまでの豪華な品々と比べるとどうしても格が落ちてしまう。あまりにも地味すぎて逆に違和感を覚える。
「それは銀杏じゃ。白和えにしておる」
じっと見ていると年嵩の膳夫が再び説明してくれた。さすがに銀杏くらいは分かるので呉乃は思わず小さく笑う。
「えぇ、そうですよね。これも貴方が?」
「いや、儂じゃない」
返事と共に年嵩の膳夫が後ろを振り向く。視線の先には若い膳夫がいた。
居心地が悪そうに隅に収まり小さくなっている若い男。見た感じ新人かもしれない。
呉乃と年嵩の膳夫の視線に気付いたのか、若い膳夫がのそっと立ち上がりゆっくりとこちらへ歩いてきた。
「あの、なにか御用ですか?」
若い膳夫が低い声で訊ねてくる。随分疲れているようで声に覇気がない。
「この銀杏の白和えを作ったのは貴方ですか?」
「は、はい。私が作ったものです。あの……なにかありましたか?」
不安の色を隠さず若い膳夫が訊ね返してくる。毒殺騒ぎからの調べだ。なにか疑われていると思われても仕方がない。
「あぁ、いえ。そういうわけでは。ただ……他の料理と比べるとやや控えめというか、簡素な料理だったので。この宴席の献立はどなたが作られたのですか?」
「大殿じゃ。儂もお手伝いさせてもらったが主に大殿が作られた」
呉乃の問いに答えたのは年嵩の膳夫だった。意外な返事に呉乃は眉を跳ね上げる。
宴席の献立を主宰が作るのは特段おかしくはない。むしろ見栄っ張りや目立ちたがりの貴族だとかなり細かいところまで口出しをする場合もあるくらいだ。
まず主宰が大まかな方向性を決めて、細部を家司や熟練の膳夫が決めていくといったものだ。そういう意味ではこの宴席の献立の作成はよくある形と言える。
(斐様が作った? 他の料理は分かる。たいそう雅なお方で唐が好きでまさしく貴族の中の貴族って感じの人だ。豪華で派手で珍しい料理の数々。そういうものだろう。でもこれは? なぜこんな地味な料理を……あれ?)
斐の性格を把握している上で呉乃は疑問を抱く。そうして地味な一品に視線を注いでいるとあることに気付いた。
「この料理、どうして器が二つに分けられているんですか?」
そう、呉乃が注目した銀杏の白和えは器が二つあった。どちらも綺麗に盛られていたが片方はそれなりの量で、もう一方はやや控えめな量に見える。
「あぁ、それは大殿のお話を聞いて私が作ったのです」
「斐様の? お話というのはどういう……」
呉乃が疑問を呈すると若い膳夫が困ったように口をつぐむ。黒目が左右へ落ち着きなく動く。
言うべきかどうか迷っているのだろう。ここで下手なことを言ってしまえば自分の主人が毒殺騒ぎの犯人かと疑われてしまうかもしれない。
家人としては正常な反応だ。だが呉乃としてはここで諦めるわけにはいかない。矛先を変えて年嵩の膳夫へ視線を寄越すと若い膳夫も続いた。
二人からの視線を受けて年嵩の膳夫は薄いひげを撫でる。そして若い膳夫を見上げ鷹揚に頷く。
話してもいいということなのだろうか。若い膳夫は躊躇いながらも口を開いた。
「この白和えは大殿が各地を遊行中に食べた料理だそうです。なんでも、山に迷い込んで今にも彷徨い朽ち果てようとしたところを近くの寺の僧に助けられ、そこでもてなしとして出された料理だったとか」
「なるほど、遊行中の思い出の料理だったのですね」
「はい、それで翌日寺を出立するときに僧から餞別の品としてこの銀杏を貰ったらしく」
「……もしかして料理が盛られた器が二つに分けられているというのは」
「とりあえず貰った銀杏を使って作ったのですが、それだけだと宴の席に出すには足りなかったので、後からこちらで銀杏を用意しました」
若い膳夫からの説明に呉乃は小さな手で口元を隠し目を細める。銀杏の白和えが盛られた二つの器を近づいて観察する。
これが遊行中の思い出の料理というのならあの豪勢な品に混ざっているのも理解できる。貰った分だけでは足りないから別で作ったというのもそうだ。おそらく斐は宴の席で控えめに盛られた銀杏の白和えと共に思い出を語るつもりだったのだろう。
(……これは)
箸で銀杏を摘まむ。貰った銀杏と用意した銀杏。二つを小皿に並べ、鼻に寄せて匂いを嗅ぎ、まとわりついている和え衣をそぎ落とす。
二つの銀杏の姿形を見て呉乃は眉間に皺を寄せた。
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