第三十一話『母との思い出』
「隠せば探される。逃げれば追われる。ならば死んでしまえばいい。死ねば真相など誰も追及できない」
呉乃はそう言って是実に策を説明した。
死を偽装して行方を晦ますことで事態を無理やり解決する。それが呉乃の考えた策だ。
「まず紗弓様には遺書と赤子の遺品を用意してもらいます。名雪様にも協力してもらい、夜半に抜け出しましょう」
「まずは時高の親族を騙すわけだな。だが時高はどうする? 今は役目もあって常陸にいるはずだ」
「紗弓様が『身を投げた』のと同じ日の夜に、紗弓様に扮した者が時高様のもとへ向かい、その姿を見せましょう。そして潔白を証明するため身を投げたことを仄めかすのです」
「妙な夢を見た後に報せが届き、時高は急ぎ都へ戻るというわけか。そしてそこには妻の遺書だけが置かれた空の部屋がある」
是実に名雪へ文を出してもらい、後の手筈は主人に任せて呉乃は常陸へと向かう。
紗弓の遺書が見つかる日と時高の邸に忍び込む日がずれないか、それだけが不安だったが、呉乃は道中厄介ごとに見舞われることなく予測したおおよその日程通りで常陸に到着した。
そしてその日の夜に時高の邸へ忍び込み、赤子が持っていた錦の飾り刺繡が誂えた手布を置いていく。
後は時高が動くのを待つ。彼が呉乃の予想通りに動いてくれれば――離れ離れになっていた家族が再び出会えたそのとき、呉乃は肩の荷が降りた気がした。
「そういえば呉乃」
着替えを手伝っていると是実に呼ばれた。呉乃は主人の大きな背中に衣をかけて「なんでしょうか」と返事をする。
「紗弓殿に扮して時高のもとを訪れたとき鬼火を用いたらしいな。あれはいったいどういうことだ?」
「あぁ、あれですか。そう難しいものではありません。酒に銅の粉を混ぜて火をつければそれらしく見えます」
「なんと、そんなからくりがあったとは。どこで知ったのだ?」
「母が教えてくれました。その後書物で同じものを見つけ、実際に試しました」
説明をしながら呉乃は思い出す。下男や下女には内緒で邸の土蔵で試したが、思っていた以上に火の勢いが大きくなり、呉乃は慌てて逃げ出した。
そしてそれを見つけた母が慌てて火を消し、呆然としている呉乃を抱きしめたのだ。
母はひどく動揺していて、その顔を見て呉乃もまた動揺し、結局泣いてしまった。
その後しばらく火を使うことは禁止された。仕方がないし、むしろ寛大な処置と言えるだろう。
「そうだったのか。ならば此度のことはも母君の教えが役に立ったというわけだな」
「そうですね、別れてもなお、母には助けられてばかりです」
「母親というのは偉大なものだ。私も母上がいた頃はよく叱られていてな――」
是実が懐かしそうに過去を語る。呉乃は主人の話を聞きながらも、心は母のことを思い出していた。
母は優しくて穏やかな方だった。怒られたところも、誰かに怒っているところも見た記憶がない。
(私を庇って息絶えたあのときですら、母上は穏やかだった。ゆっくりと、諭すように私へ逃げるよう、一人で生きていくように言って、そして、別れを告げた)
血を流しながらも呉乃へ語りかける母の姿を思い出す。
同時に、逃げ惑いながら草葉の陰で見つけたあの男――藤原宗通の顔も浮かんでくる。
絶対に許さない。血がにじむほどに唇をかみしめ、憎悪の炎を燃やした。
今も心の中心にはあの男への憎しみが渦巻いている。
母の仇を取り、自分の人生を取り戻す。それが呉乃の復讐だ。
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