第十六話『呪いと祈り』

「みなさま少し落ち着いてください」


 静かな声で女たちを制する呉乃。静謐な空気が漂う部屋を歩き、再びみなの前に立つ。


「私はただ、ゆな殿が騒ぎを引き起こしたのか確認しただけです。姫様に呪いをかけたなどと、一言も言ってません」

「し、しかし……そなたは呪いを調べるために邸中を歩いていたのであろう」

「呪いを調べるため、ではなく、それが本当に呪いかどうかを調べていただけです。優秀な皆々様ならばご承知の上かと存じますが、私はこれまでの説明で一度も『呪い』があったなどと言っていません。あくまでも呪いのようなもの、そしてそのようなことがあったらしいと、そう話しました」


 呉乃の発言に対する女たちの反応は様々だった。皮肉を言われて悔しがる者、苛立ちを抑え込んでいるもの。しっかりと理解できず首を傾げている者もいる。


 怪訝そうに眉をひそめている千波の奥には困惑しっぱなしのゆながいた。


「瓦が落ちてきたり鼠の死骸が見つかったりなんてものはただの偶然でしょう。生きていればそういうこともあります。しかし呪符とやらは違う。自然に作られることはありません。誰かが仕込んだのです。獣の骨もそうです。ひとりでに動いて勝手に門前で吊るされるなんてことはありえない。そうですよね? ゆな殿」


 呉乃が改めてゆなを問い詰める。袖から回収した和紙を取り出して広げて見せつける。


「女房の千波殿によると井戸に浮かんでいたらしく、血で言葉が書かれていたと」


 風で和紙がひらりと揺れて鮮やかな赤い文字がみなの目に留まる。


 当然女たちはそれを見てざわめく。ひと固まりとなって呪符から距離を取った。


「呪いだなんて。そんな、おらそんなことしてねぇよ。姫様のお幸せをお祈りして」


「ならばこの赤い文字はなんだ! そなたが血を使って書いたのだろう!」


 千波が怒りを露わにして責め立てる。ゆなはすっかり委縮してしまい、また小さくなってしまう。


 これでは話が進まない。呉乃はゆなを庇うように間に入った。


「いいえ、これは人の血ではありません。人の血は伸びが悪く、筆に馴染みづらい。もしゆな殿がこの長さの文を血で書いたとしたら今ここにはいません。臥せっているか、最悪の場合死んでいます」


 呉乃からの返しの言葉に千波は思わず黙り込んでしまう。周りの女官は互いに身を寄せ合って「どうしてそんなことを……」なんてひそひそ言って引いている。


(どうしてって、以前試したからだけど……まぁ、ここで言うことではないか)


 人はどれだけ血を流したら動けなくなるのか。是実のつてを頼りに読ませてもらった唐伝来の医学書で学び実際に試した。いざというときに知恵として使うために。


「それにこの文字には血だけではなく墨も混ざっています。獣の血と墨を混ぜれば問題ないでしょう」


「ど、どうしてそんなことが分かるというのですか」


 千波とは別の女官がおそるおそる訊ねてくる。呉乃は彼女からの視線を受け止め、淡々とした口調で答えた。


「確認したのです。水を滴らせて和紙を濡らし、舌で舐めました」


 質問してきた女官だけではなくその場にいた女が全員身を引く。


 さすがに恭子も動揺が隠せないようで、帳の奥からこわばった表情で身を乗り出した。


「く、呉乃よ。舐めたとな、本当に?」


「はい、獣と墨の味がしました。あぁ、大丈夫です。そのあとしっかり水で口の中をすすいで清めましたから」


 そういう問題ではない。誰もがそう思いながらもなにも言えず、沈黙が停滞する。


 空気が変になってしまったが、呉乃は特に気にすることなく話を進めた。


「これは獣の血と墨を混ぜて書いたもの。さらにこの和紙には姫様のお名前も書かれていました。血の文字と主君のお名前。千波殿はこれを見て呪符だと思ったのでしょう。ですが、ここをよく見てください」


 女たちへ一歩近づいて和紙の一部分を指さす呉乃。だが残念ながら彼女たちは呉乃が近づいてきたことに驚き、怯えて後ずさるだけだった。


「……滲んではっきりとは分かりませんが、かすかに名前が読み取れます。姫様の子という文字とさらに様とも書かれています。おそらく恭子様と書かれているのでしょう。おかしいですね。これから呪いをかける相手に対して様なんてつけるでしょうか?」


 あえて訊ねると女たちは顔を見合わせる。呉乃は各々の反応を観察しつつ和紙を折り畳んだ。


「つまりこれは呪符ではない可能性があります。呪いではないなにか。むしろその逆の祈りかもしれない」


「祈りだと? なにをおかしなことを! 獣の血で書かれているというのに!」


「獣の血と言っても様々です。神仏に祈りを捧げるため、獣の血を贄として使ったり、神事に持ち込んだりするのもない話ではありません。私がそう思ったのは門前であるものを見つけたからです」


 和紙を袖にしまい、呉乃は歩いて庭に出る。先ほど持ってきてもらった獣の骨を集めたものと、鹿の角を持ち上げてみなが見れるよう敷いておいた布の上に置いた。


 割れたり欠けたりしている獣の骨を見て女たちは息を呑む。呉乃はそのうちのひとつを取り上げる。


「門前にはこの獣の骨と鹿の角が吊るされていたそうです。兎、鶏、猪の骨なんか混じっています。不思議なのは鹿の角です。これだけ大きさも違うし、松脂で塗られてしっかりと磨かれ、さらに煙で燻されていました」


 呉乃の説明にみなが首を傾げる。一体それがなんだというのか。事件のからくりを聞いているときの是実と同じ顔に呉乃は気にせず話を進めていく。


「松脂で塗ってさらに煙で燻すのは野犬避けに有効な手法です。対してこの骨は汚れていたり割れていたり、あまり質がいいとは言えません。さらにこの匂い。鶏は煮炊きの匂いがかすかに残っていました。もし呪いに使うとしたらそれ用の骨を用意するはずです」


「鹿の角と獣の骨は本来の使い道とは違うということか? なぜそんなことをしたのだ」


 帳の奥から恭子の声が聴こえてくる。呉乃は振り向いて袖を合わせ不敵に笑った。

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