勇者パーティー追放されたけど、推しなので影から助けていいですか?

寝転猫

本編

プロローグ

1.「追放と、涙と、推し活と」

「ナディア・ベルモント、パーティーを抜けてくれないか」


 その言葉は、私の世界を終わらせるに等しいものだった。

 勇者リカルド様。金髪碧眼、正義感のかたまり。私の推し。

 恋焦がれた彼の口から、まさか追放を言い渡されるなんて。


「……理由を、聞いてもいいですか」


 かすれるような声で問いかけると、すぐに返ってきたのは仲間たちの声だった。


「死霊術は、神の加護に背く“禁忌”なんです」


 そう言ったのは、聖女フローラさん。眉根を寄せ、祈るように胸元の聖印を握りしめている。


「なんていうかよ……なにしてるのかもわかんねぇしよ、正直、不気味なんだよ」


 ごつい腕を組んだまま、戦士のゴドフリーさんが視線を逸らす。顔にはあからさまな嫌悪がにじんでいた。


「……集中できないのよ。あんたが魔法を使うと、重くなるっていうか視界に靄がかかっている気がするっていうか、とにかく不気味」


 魔法使いのミランダさんは苛立たしげに前髪をかき上げて、私を正面から睨んだ。


「そう……だったんですか」


 皆とパーティーを組んで一年、私は今まで死霊術師として、戦場の後方から支援していた。

 崩れかけた陣形を補うため、死霊で壁を張って、皆を守ったこともある。危険地帯に潜む魔物を、死霊を使って事前に察知して皆に伝えたことも。


 すべて、パーティーの皆のためだった。


「……」


 言葉が出なかった。せめて、笑おうとしたけれど、口元が引きついて、うまくいかなかった。

 目の奥が熱い。まぶたが震える。


「そういうわけだ。それで――」


 リカルド様の口が開いた。

 きっと、この後に来る言葉は――聞きたくない。


「……今まで、ありがとうございました」


 怖かった。

 それを聞いてしまったら、何かが本当に終わってしまう気がして。


 次の瞬間、私はリカルド様に背を向けて、駆け出していた。


「おいっ――!」


 背後から名前を呼ぶ声が追ってくる。

 でも、振り返れなかった。振り返りたくなかった。


 だから私は、顔をそらして、声をふるわせずに、心だけで呟いた。


「……さよなら」





 森の奥まで走って、ようやく足が止まった。

 息が切れ、肩で息をしながら、私は木にもたれて座り込んだ。


「遠くまで来ちゃった」


 土の匂い、草のざわめき。

 あたりはすっかり暗くなり、賑やかな王都の雰囲気はない。


「どうしよう……」


 リカルド様は、もう私を必要としていない。

 あの仲間たちと一緒に、これから魔王を倒す旅に出るのだろう。


 でも、どうしてこんなに胸が痛いの。


 私は、そっとポーチに忍ばせていた小さなペンダントを握りしめた。

 リカルド様から初めて貰った、大切なもの。


「もう会えないのかな……」


 胸の奥にぽっかりと穴が空いているのに、涙は出てこない。

 代わりに、喪失感だけが、じわじわと広がっていた。


 でも、不思議だった。

 リカルド様と、これでもう二度と会えない、そんな気は、なぜかしなかった。


 あれほどはっきり、拒まれたというのに。

 あんな終わり方をしておいて、どうしてまだ希望を抱いてしまうのだろう。


「……そう思いたいだけ、なんだろうな」


 ぽつりとつぶやいたあと、私は木の根元に体を預けた。

 目を閉じれば、まぶたの裏にリカルド様の顔が浮かぶ。


 どれくらいそうしていただろう。

 気づけば、森の音も、土の匂いも、どこか遠くなっていた。


 目を覚ますと、頭上から木漏れ日が差し込んでいた。

 夜はとうに明け、どうやらまる一日が過ぎてしまったらしい。


 気だるい体を起こし、私はあたりを見回す。


「……寝ちゃってたんだ」


 このままなにもしないわけにも、いかない。


 ――だったら、戻ろう。


 心の中で区切りをつけるように、小さく呟いた。


 彼を見守るために作った、誰にも知られていない場所。

 かつて、推し活の拠点として使っていた、小さな森の隠れ家。


 死霊たちと共に生きる居場所。


「……ヴェル爺、いる?」


 何もない空間に問いかけると、奥の木々の影から、つばの深い帽子をかぶった老人の霊体が現れる。


「ここにおります、ずっと見守っておりました」


 彼は、生前”王国一の賢者”と呼ばれた老魔導士にして私の魔法の師ヴェル爺だ。


「隠れ家に連れて行ってくれる?」


「ナディア様が帰りたいと言えば、どこへでも。さ、手を」


「うん、ありがと」


 

 ◇



 ギィ……と軋む扉を押し開ける。


 薄暗い室内に、懐かしい香りが漂った。干し草、薬草。私がここで作った呪符や魔導具の残り香。


「ただいま……」


 呟いた瞬間、ふわりと冷気が集まり、小さな霊体たちが姿を現す。


「おかえり、ナディア様」

「おかえりなさいませ」


 よく喋る霊。無口な霊。肩に乗ってくる霊。そっぽを向く霊。


 皆、私の家族だ。

 生前、後悔を残して命を落としていった魂たちが、私の想いに応えて形を得て、こうして共にいる。


「どうして泣いているんだ?」

「ナディア様、どうして泣いてるんですか!」

「まさか、リカルド様の似顔絵入り手作りマフィンを渡しそびれたとか!?」


 おしゃべり好きな死霊たちが徐々に、駆け寄ってきた。


「違うわよ……。あれは渡す前に焦げちゃったし……それに、今回はパーティーを追い出されちゃったの」


 いつの間にか隣に来ていた死霊――ミーナがそっとハンカチを差し出してくる。生前は貴族のお嬢様だったミーナは、こういう時、いつも気が利く。


「……そりゃ、泣いても仕方ねえな」


 普段は笑いながら軽口を叩くバーンが、珍しく同情するように呟いた。彼の言葉に、他の霊たちも静かに頷く。


「みんなと一緒に居たかった」


 声が震えるのを止められない。

 私は、溢れる涙を拭うことを忘れて全てを吐き出した。


「だって、リカルド様は、私の全部なのよ。彼の笑顔を見ているだけで、私はどれだけでも強くなれるし、どんな辛いことでも乗り越えられる」


 霊たちが、静かに私の言葉を聞いている。誰も、遮ろうとはしない。


「笑顔が好き、泣いているときの表情も、力強く戦う姿も、優しく寄り添ってくれる気遣いも……全部好きなのにっ!なのに、もう、近くにいられないなんて……」


 感情を剥き出しに叫ぶと、心に渦巻いていたものが少しだけ軽くなった気がした。


「……ごめん、みんな。ちょっと取り乱しちゃった」


 ようやく冷静さを取り戻すと、私はそう言って一呼吸置いた。


「少し、話してもいい?」


 私はランプを付けて、小屋の片隅に腰を下ろした。

 月明かりが窓から差し込み、薄暗い室内を照らす。


 

 


 リカルド・エンブリオ。

 聖剣の加護を持つ勇者様。誰よりも強く、誰よりもまっすぐな人。


 初めて彼に出会ったのは、ギルドの依頼で魔物の残骸を片付けに行ったときだった。腐乱した死体を死霊と共に処理していた私に、彼だけが、偏見を持たなかった。


「一人でこんなことができる人が居るなんて、すごいな」


 あの一言で、私は初めて“死霊術師であること”を誇らしく思えた。


 以来、ずっと彼の背中を追っていた。


 一人でファンクラブを作り、依頼を覗き見し、魔法でこっそりファンレターを送ったこともある。

 彼が勇者として聖剣の加護に選ばれたのは、それからしばらくしてのことだった。


 彼なら勇者に選ばれて当然、自分のことでもないのに誇らしく思った。


 いつしか、私は彼のパーティーに誘われて、仲間として戦うようになった。

 戦場では、死霊を潜ませ、索敵や奇襲の補助をした。彼らの目と耳になって、誰にも届かない情報を探った。


 でも。


「見えないものを信じろなんて無理なことだもんね」


 生前に強い力や執念を持っていたごく一部の例外を除いて、ほとんどの死霊は他人には視えない。


 だから、仕方ないのだ。見えない死霊たちに助けられているなんて言っても、実感がない。私の魔法は、派手でもなければ、華やかでもない。

 どちらかと言えば、それらの対極にある。


 ただ静かに、死者と語り合い、彼らに安らぎを与え、彼らの力を借りるだけ。人はそれを不気味がり、時に恐れ、時に疎む。


 それでも、私は信じていた。リカルド様だけは違う、と。


「…それなのに、“抜けてくれ”なんて」


 言いながら、また目が熱くなる。


 あの言葉が彼なりの優しさだったのかもしれない。

 いつか私が必要とされなくなる未来も、ほんの少しだけ想像していた。勇者パーティーに死霊術師は、似合わないのかもしれないと。


 でも、そうだったとしても——。


「私は、あなたの助けになりたい」


 それが、本心だ。

 好きという気持ちは、時に力になる。

 この身を捧げても守りたい、絶対的な存在となる。


 思い浮かぶのは、やっぱり——彼。


「姉御、だったら、バレないように助けてやればいいんじゃねえか?」


 突然、軽い口調が背後から響いた。

 声の主はバーン。生前は爆弾魔として王国に名を轟かせた破天荒な霊だ。軽い口調だが、頭は切れる方で、爆裂魔法を使った戦闘や陽動など、隠れながら推し活をしていた昔はよく助けられていた。


「バレないように?……それって」


 私が呟くと、まるで合図のように、霊たちが次々と姿を現す。


「ナディア様が影ながら彼を支える……なんて尊いご覚悟でしょう!」


 初めに声をあげたのはルビアだった。生前は王国神殿に仕えていた高位神官であったらしく、今は私の“推し活”を熱心に応援してくれている。ちなみに、リカルド様ファンクラブの広報隊長を自称している。


「リカルド様にゾッコンなのは、我々も重々承知しておりますぞ」


 やや誇らしげに、杖を鳴らしながらヴェル爺も続く。

 ゾッコンなんて言われると恥ずかしいけれど、否定はしない。


「影から助ける、それもまた一つの騎士道精神であります」


 続いて、語るのはドレイコ。

 錆びた鎧を纏い、なぜか私を“姫様”と呼び、忠誠を誓い続けている変わり者な霊だ。


「ふふ、お嬢様のことなら手に取るように分かりますわ」


 ミーナが微笑んで言った。

 生前は王都でも名のある貴族の令嬢だったらしい。そのためか、勘が鋭くて、私の本心など、息をするように見抜いてくる。


「彼のこととなれば、ナディア様はどんな無理も通す女だろう」


 最後に言葉を継いだのは、クラウスだった。長剣を背に、隅で壁にもたれながら、冷静な声で告げる。

 生前は、軍指揮官であり、軍略やダンジョン探索、対魔族戦に長けた実力者だ。


 言葉が次々と重なるたびに、胸の奥のひりつきが少しずつ溶けていった。

 頬を伝った涙の跡を、そっと手の甲で拭う。


 ……なんて、調子のいい霊たち。


「ふふっ……ほんと、もう……」


 呆れ混じりにため息をつくけれど、私は自然と頬を緩めていた。

 奇妙で、どこか抜けていて、けれど、そのどれもが私にとっては愛すべき、そして何よりも信頼できる存在——家族だ。


 彼らの軽口が、どうしようもなく優しくて。

 張りつめていた心がふっと緩んで、私はつい、こぼれるように笑ってしまった。


「そうね、みんなの言う通りね」


 パーティーの仲間たちが見落とす罠も、気づかない危険も、私はすべて知ることができた。

 そして、私の死霊たちは、誰よりも忠実に、それを伝えてくれていた。


「やってやるわ!」


 勢いよく宣言すると、霊たちが一斉に歓声を上げた。


 自然と頬が緩んだ。

 私は改めて彼らを見渡す。


 隠れるように。気づかれないように。


 リカルド様が魔王を討ち果たすその日まで。

 その背中を守る、見えない影として。


 それが、私の推し活。

 死霊術師ナディア・ベルモントの、新しい役割。


「そうと決まれば……」


 改めて彼らを見渡す。


「みんな、また……付き合ってくれる?」


 自信満々の笑みで問いかける。


「当たり前よ!」

「当然ですとも。ナディア様の推し活は、尊き信念。我らはその巡礼者にございます」

「主様の推し活、我々が支えずして誰が支えるのか」


 皆が、私を信じてくれている。

 それがたまらなく、嬉しかった。


「ありがとう……」 


 私は深く息を吸い込み、そっと棚に手を伸ばす。

 取り出したのは、かつて使っていた仮面。漆黒の細工が施された、素性を隠すためのもの。

 

「さあ、推し活、再開よ!」

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