第36話 告白




 赤黒い魔法陣が天を衝く光の柱となり、倉庫の天井を突き破った。

 次元の狭間が引き裂かれるようなおぞましい音と共に黒い光が凝縮され、やがて巨大な影が空間に現れ始める。


 それはこの世ならざる存在――――『神・ヴァニタス』の顕現けんげんだった。


 その瞬間、世界中のあらゆる場所でまるで顕現したヴァニタスに呼応するかのように争いが勃発した。


 些細な誤解が血みどろの喧嘩へと発展し、長年の友情が憎悪へと変わり、国境では小競り合いが全面戦争へとエスカレートしていくのは火を見るよりも明らかだった。


 ヴァニタスが放つ嫉妬と不信、猜疑の波動が瞬く間に世界を混沌の渦へと引きずり込んでいく。


「アハハハハハハハハハッ!! ハハハハハハハハハハハッ! これだ! この光景が見たかったんだ! これでこのクソみたいな世界は終わる!」


 ライアットは狂気に沈んだ顔で高らかに笑い、顕現する『神・ヴァニタス』を見上げた。

 彼の体が精霊の力の依り代であるかのように、黒い光を放っている。

 ヴァニタスはまだ完全な形を持たないにもかかわらず、その存在感だけで周囲の全てを歪ませていた。


 その光景を目の当たりにしたガレンとフェリックスの顔に、焦りの色が浮かぶ。


「ゼフィラさん! 今ならまだ間に合います! ライアットから切り離すことができれば完全に具現化しないはず!」


 フェリックスが叫んだその時、別の者たちがその場に飛び込んできた。


「無事か!? お前ら!」

「本当に大変な事になっているな」


 そこに現れたのはドワーフ族長ドランと、エルフ族長ラーンだった。



「ドラン殿! ラーン殿も来てくれたんですね!」


 ラーンとドランが、それぞれの種族の精鋭たちを引き連れて現れた。

 その中にリーファとバルドの姿もあった。


 フェリックスは最悪の事態を想定し、密かに彼らを呼んでいた。


 影牙衆えいがしゅうとの争いは両種族とも難色を示していたが、ライアットが魔石を大量に集めて何か大変なことをしようとしているということをフェリックスが話した。


 来るか来ないかは分からなかった。


 しかし、来てくれた。


「大量の魔石を使うなんてろくなことじゃないと思っていたが、予想以上に酷い」

「俺たちがこなかったら終わっていたなぁ!」


 ヴァニタスの支配力が倉庫全体を覆い尽くそうとする中、ゼフィラの愛の精霊キューピットに影響された者たちはその支配に多少の抵抗を見せ、かろうじて自我を保っているようだった。


「話は聞いている! 貴様の好きにはさせんぞ、ライアット!」


 ラーンが鋭い弓を番え、ドランは巨大な鉄槌を構える。


 彼らは顕現しつつある『神・ヴァニタス』へと一斉に攻撃を開始した。

 エルフの放つ精霊魔法とドワーフの放つ重い打撃が、光の柱へと叩き込まれる。


 しかし、その攻撃はヴァニタスの力をわずかに揺らがせる程度でしかなかった。


「ゴミクズどもがぁっ! 無駄なんだよ!!」


 ライアットの冷たい声が響く。

 彼は『神・ヴァニタス』の力を自らの身に宿し、その膨大な魔力を振るってラーンやドランの攻撃を弾き飛ばした。


「ライアットォオオオオオオオオオ!!!」


 ガレンは迷わずライアットに向かって突進した。

 彼の拳が黒い光をまとったライアットに挑みかかる。


 ライアットの動きはもう常人の域を逸脱しており、ヴァニタスの力がガレンの動きを阻害する。


「結局その程度かよ!?」

「ゼフィラさんを解放してくださいっ!」

「あいつは自分の意思でここにきたんだよ!!」


 拳と黒い輝きが幾度も激しく交錯するが、ライアットの攻撃はまるで影のように捉えどころがない。


「弱すぎんだよぉっ!!」


 ライアットの黒い魔法剣がガレンの腹部にめり込んだ。


「がっ……はぁ……」


 ヴァニタスの黒い力がガレンの肉体を蝕み、彼の力を根こそぎ奪っていく。


「大人しく死んでろよ」

「っ……!」


 ガレンは血を吐き、その場に崩れ落ちた。

 それをライアットが乱暴に蹴り飛ばし、外壁に強くガレンは身体を打ち付けた。

 深手を負い、もはや立つことすらできなかった。


「ガレン!」


 ゼフィラは思わず叫び、動けなくなったガレンのもとへ駆け寄った。

 彼の顔色は青ざめて意識が遠のいている。


「っ……ゼフィラさん……」


 力なくガレンはゼフィラの名前を呼ぶ。

 涙をこぼしながらガレンの身体を抱き起すゼフィラを見て、ガレンはより一層ゼフィラを愛おしく思う。


「これが……もう、最期になるかもしれないので……言います……」


 ガレンはか細い声で、それでも真っ直ぐにゼフィラの瞳を見つめた。


「私は……ゼフィラさんが、好きです……」

「!」


 ゼフィラは泣いている目を驚きで見開いた。

 ガレンの告白はこの絶望的な状況で、彼女の胸に深く突き刺さった。


 そしてまた大粒の涙を流しながらゼフィラは言葉を詰まらせながらガレンに返事をする。


「あたしは……まだよくわかんねぇけど……でも、多分あたしもガレンが……好きだ……」


 それを聞いてガレンは安堵した表情で微笑んだ。

 そして最期の謝罪を口にする。


「……結局……救い出せずに、申し訳ない……」


 ガレンの声は途切れ、彼の体から徐々に力が抜けていく。

 瞳から光が失われその場に横たわった。


「ガレン……?」


 ゼフィラは力なく倒れて返事をしないガレンを何度も揺さぶった。


「ガレン! 目ぇ覚ませ! おい!!」


 それでもガレンは目を開けなかった。


 ――ガレン……死んだ……?


 ゼフィラの脳裏に打ち付けられたかのような衝撃が走った。

 目の前で自分を慕ってくれた相手が命を落とした。


 ライアットの狂気、ヴァニタスの顕現、そして大切な者の死。


 その瞬間、ゼフィラの心の中で何かが弾けた。

 怒り、悲しみ、ライアットを止められなかった自分への悔恨かいこん


 そして『真実の愛』。


「ふざけんな……ふざけんなよ、ライアット!!」


 彼女の全身からそれまでとは比べ物にならないほどの強い光が溢れ出す。

 それは彼女が宿す愛の精霊キューピットの力が真に覚醒した証だった。


 ゼフィラの身体から出るキューピットのオーラが、この一帯を支配するヴァニタスの邪悪な黒い力を押し返し始める。

 空気が震え床に散らばっていた魔石が共鳴するように輝き出した。


「ゼフィラさん……! ガレンはまだ死んでいません! 私が死なせませんから!」


 フェリックスが重傷のガレンの身体に治癒魔法を全力でかけた。


「他の誰でもない、あたしがライアットを止めないと……!」


 ゼフィラの瞳にはもう迷いはなかった。

 狂気に染まったライアットを、そして顕現した『神・ヴァニタス』を自身の全てをかけて止める。


 ライアットの全てを受け止める。


 ライアットがこの世界を絶望で包み込むなら、その世界ごと全てゼフィラの「愛」で包み込む。

 それがゼフィラの覚悟だった。



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