2-3
…
祝日を挟み、その次の日も相変わらずの雨天だった。
朝の教室では同級生たちが「靴下が濡れてやだ」とか「いつになったら部活できんだよ」なんて思い思いにぼやいている。僕も同感だ。曇り空自体は嫌いではないけど、こうも続くとマンネリ化して、生活が濁ってしまうような倦怠感を覚えてくる。
「浦野は気楽そうでいいよな」
いつも笑みを浮かべているせいか、そんな僕の気分とは裏腹に同級生の一人からそうした心ない一言を浴びせられた。声には聞き覚えがあったけど、生憎と名前までは思い出せない相手。僕は手をひらひらと振って応えておく。これもいつものことである。
「でもさっき職員室の前通りがかったら浦野の名前が聴こえてきたけど、お前またなんかやったの?」
おまけになんとも不穏な予告までしてくれた。
「いや、身に覚えがないね」と、僕は答えを濁した。
「───シラを切るな、このあほたれ」
生徒指導の菅間に睨まれつつ、諌められる。
案の定というか、昼休みに呼び出しを受けてしまった。場所は二階の空き教室。余った机やら椅子やらが後方に寄せられ、中身不明のダンボールがとりあえず適当な位置にいくつも放って置かれていたりと、ごちゃごちゃとした印象だ。しかし普通の教室と比べると、中身が空っぽという真逆の印象さえ抱いてしまう。
呼び出しを受けた理由は、一昨日の昼間、アーケード街の裏路地をうろついている姿を、付近の主婦に見られていたらしい。主婦は警察に通報、不良少年の溜まり場とされる廃墟ビルの匿名の通報がその後に続いた。両件が組み合わさった結果、この高校にも連絡がいき、対応せざるを得なくなったとか。他はどうか知らないけど、僕が通う私立
太ももの上できゅっと折り畳まれた手。椅子の高さが合ってないせいか、爪先立ちのようになっていて、少し不機嫌そうにしている。
とりあえず、後者の通報は僕達とは無関係であると処理されるそうだ。
「……何も異性交友を取り締まるつもりはない。好きにすればいいが……ただ場所は選べという話だ。最近は何かとあの辺もきな臭い。家出少年たちに対する暴行事件もそうだが、昨夜だって薬物絡みの殺人がその近辺で起きたと報道されたばかりだ」
ぴくり、と碧菜の肩が揺れ動いたので、僕はつい彼女の頭を横目に見下ろした。
「───それに薬物取引で何件も逮捕者が出ているのは、さすがのお前たちだって知っているだろう」
こうして列挙されると、なかなかの治安の悪さだ。つい一昨日まで関心の埒外にあったんで、僕がもちろんと頷いたところで空虚に響いた。菅間は胡散臭げな目で僕のことを眇めている。
「……お言葉ですが、菅間先生」碧菜が無愛想に口を開く。「私、弥月くんとは付き合ってません」
菅間が面食らったように閉口した。
「……いや、正したい気持ちは汲むがね。お前たちの付き合ってる付き合ってないはこの際どうでもいいのだよ」
と、菅間が時計を気にし出す。しかし空き教室という事もあり、置き去りにされっぱなしの時計は拗ねたように秒針を止めていた。
「で、そこの二人。一昨日はあの辺りで何してたんだ?」
眉根を寄せ、睨みを利かす菅間。どこか義務的な響きを持った詰問。こっちを納得させられるだけの作り話を今すぐに言え、と細められた瞳に暗にせっつかれるようだった。
僕ら二人は示し合わせたように答えた。
「あそこ近道なんだ、バイト先通うの」
「共通の友人のお見舞いです」
息はまるで合っていなかった。
菅間が痛むように眉間の皺を揉み、大きく息を吐いた。
「バイト。ああそういえば五月頭あたりに許可証を出してやった覚えがある。……ん? しかし、お前のバイト先って確か、
「そこは言葉の綾で」
すると、何かを察したのか、今度は眉間ばかりでなく首まで凝りが回ったようで、菅間が目を覆うように首を振った。考える人の像の亜種みたいな姿勢になっている。
「お前はアレだ。口が達者なようで誤魔化しは下手だな。もう少しマシな嘘はつけんのか」
教員の指摘とは到底思えないセリフが飛び出す。
「昔から嘘とは反りが合わなくて」
「……納得はするが、お前の口から出た言葉だとは認めがたいな」
菅間は僕から目線を切ると、今度は碧菜のほうへと向き直った。
「共通の友人というのは、例えばどんなだ? 大雑把でいい」
どうやら厄介になりそうな真実はほっぽり出して、碧菜の尤もらしい嘘を起点に話を詰めていくことにしたみたい。
今回は大事の中に小事なしとし、適当な辻褄合わせと事情聴取、それから厳重注意を教育指導のもと行われたという程でひとまず落着させる運びとなった。
諸々の口裏合わせを終え、やっとのことで空き教室を出る際、菅間に釘を刺された。
「学校の中での問題なら俺がすべて面倒を見てやる。だから学校の外では慎ましくしててくれ。特に浦野、お前に言ってるからな」
「了解しました。これからは、問題はできるだけ校内に持ち込むことにします」
「……お前と話してると、こめかみが震えてくるよ」
どちらかというと、いま震えているのは声のように思う。
それから菅間とは空き教室の前で別れ、僕と碧菜はその場を後にした。
ずっと不機嫌通しだった碧菜とも途中で別れ、階段を登る。すると教室までの一本道の廊下で梓乃を見かけた。相手も僕に気がついたようで、目が合った途端に梓乃がつかつかと歩み寄ってきた。
あくまで走らず早歩きを崩さない。すらっとした姿勢。背まで伸びた黒髪を揺らし、凛とした目つきは曇り空のもとでも明朗な輝きを放っている。
「菅間先生に何の理由で呼び出されたの?」
「おっと。梓乃の耳まで届いてたんだ」
「……バカなの? 思いっきり放送で呼ばれてたでしょ。うちのクラスでまた弥月が呼び出し受けてるって話題になって、こっちはかなり恥ずかしい思いしたんだから」
相変わらず身内の恥みたいな扱いだ。
「別に大したことじゃないよ。一昨日は先輩とデートしてたんだけど、場所が立ち入り禁止区域だったもんで注意受けてた」
「……ほんとにそれだけ?」
「誓って嘘は言ってませんとも」
こちらの都合で細かい説明は省かせてもらったけど。
梓乃との仲は物心がついた頃まで遡ることができ、難儀なものでお互いの嘘はなんとなく肌で感じ取れてしまうから、こうして変な癖が染みついてしまっている。
「なら、いいけど……。先輩っていうのは、碧菜先輩のこと?」
「そうだよ」
「……ふしだら」
「いきなり罵倒するね」
「否定しないんだ」
「その後に説明を求められても答えられないしね」
「……あっそ」
と、梓乃はそっぽを向く。この話題に関しては二ヶ月以上も平行線を辿り続ける一方だから、苛立ちがかなり募っている様子。
高校に上がる前まではこうして面と向かう事もなく、お互いの事情には無関心でいられた。そもそも知る機会が少なかったのも関係しているかもしれない。しかし、いざ現実の姿を前にすると、意識せずにはいられないものらしい。長く心を通わしてきた僕らだからこそ、相手の不可侵が気に障って仕方がないのだろう。
それでも僕の思いは一度だってぶれたりしていないのに。
「───弥月のそういうとこ、ほんっとに苦手」
梓乃はそう吐き捨てるように言い残すと、自分の教室にさっさと戻っていった。痴話喧嘩か、なんてどよめきが梓乃が入っていった教室の中から微かに聞こえていたけど、おそらく梓乃の耳には届いていまい。
夜になれば結局気まずい思いをするのは向こうなのに、梓乃も難儀な性格をしている。
廊下に立っているのは、気がつけば僕一人だけとなっていた。
残り少なくなった昼休みをどう過ごそうかと考えつつ、僕も自分の教室に足を向ける。生憎の雨天とあり、廊下は一段と薄暗く、活気は持て余すようにして教室の中に封じられている。教室に入る手前、掲示板に『薬の乱用はいけません』と謳った張り紙を横目にするけど、廊下の影に埋もれ、どことなく精彩を欠いていた。
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