第38話 『咲良の視線、揺らぐ日常の均衡』

 十一月下旬。北風が吹き荒れ、冬の気配が本格化する頃には、県立富岳高校の三年生たちの間にも、目に見えない疲労と焦燥が広がっていた。大学入学共通テストまで二ヶ月を切る中で、誰もが追い込みの時期を迎えている。西山和樹も、自習室や予備校に通う日々を送っていたが、彼の日常には、初体験を共有した女子たちとの「秘密の癒やし」が、不可欠なものとして深く根付いていた。梓、遥、梨花、結衣、楓、五人の女子たちとの肉体的な繋がりは、彼女たちにとって受験ストレスからの一時的な解放であり、和樹にとっても抗いがたい悦びだった。


 そんな和樹の多忙な放課後の変化に、最も早く、そして鋭く気づいたのは、やはり月島咲良だった。彼女は和樹のクラス委員のパートナーであり、高校一年生からの腐れ縁だ。毎日顔を合わせ、和樹の行動パターンを熟知している彼女の勘は、他の誰よりも鋭かった。


 ある日の昼休み。和樹が自席で弁当を広げていると、咲良が、いつものように友人たちと賑やかに昼食を取りながらも、時折、和樹の方にちらりと視線を向けていることに気づいた。その視線は、以前のような「下僕」を見る目ではなく、何かを探るような、鋭い光を帯びていた。

 「ねえ、和樹」

 咲良が不意に、和樹に話しかけてきた。

 「最近、放課後、誰かと会ってるの?」

 その言葉に、和樹は思わず箸を止めた。心臓がドクンと大きく鳴った。

 「え?いや、別に……」

 和樹が曖昧に答えると、咲良は涼しい顔で、しかしその瞳の奥には探るような光を宿して続けた。

 「ふうん。なんだか、和樹、最近、顔つきが変わったわね。前よりも、自信ありげっていうか、ちょっと……色気が出た、って感じ?」

 その言葉に、和樹は顔が熱くなるのを感じた。まさか、そこまで見抜かれているとは。咲良の隣に座っていた佐々木梓が、咲良の言葉に一瞬だけ視線を泳がせたのを、和樹は見逃さなかった。梓もまた、和樹と咲良の間の緊迫した空気を察したのだろう。


 放課後、和樹が図書館で自習を終え、廊下を歩いていると、咲良が先に図書館を出て、彼を待っていた。

 「和樹、ちょっといい?」

 咲良はそう言って、人気のない階段の踊り場へと和樹を促した。夕暮れの光が差し込む踊り場で、二人は向かい合った。

 「最近、放課後のあなたの行動が、少し変わったと思わない?部活を引退したから、ってだけじゃないわよね」

 咲良の言葉は、確信めいた響きを持っていた。和樹は弁解の言葉が見つからず、沈黙した。咲良は和樹の沈黙を肯定と受け取ったのか、静かに続けた。

 「別に、あなたが誰とどこで何をしてるかなんて、興味ないわ。私の『下僕』として、ちゃんとクラス委員の仕事をしてくれればそれでいい」

 そう言いながらも、咲良の瞳は、和樹の奥底を見透かすように、鋭く光っていた。彼女の言葉とは裏腹に、その表情はどこか寂しげで、和樹への独占欲のようなものが滲んでいるように見えた。

 「ただ……」

 咲良は一瞬言葉を切り、和樹の顔をじっと見つめた。

 「あなたが、変な女に引っかかって、受験に失敗するようなことだけは、やめてよね。志望校、同じなんだから」

 その言葉は、和樹への釘刺しでありながら、同時に、咲良なりの「心配」と「期待」が込められているように和樹には感じられた。和樹は、咲良への変わらぬ愛情と、他の女子たちとの関係の間で、心の葛藤を深めた。


 翌日、昼休み。咲良の友人グループが、いつものように和樹の席の周りに集まっていた。

 「ねえ、咲良。和樹くんと何かあったの?なんか、最近、和樹くんのこと、じっと見てる気がするんだけど」

 山本結衣が、無邪気に尋ねた。結衣の言葉に、高橋梨花と伊藤楓も、興味津々といった様子で咲良を見つめた。

 咲良は、フォークをくるりと回しながら、涼しい顔で答えた。

 「別に。ただ、最近、和樹の様子が少し変わったから、気になっただけよ。受験生なのに、あんまり羽目を外しすぎないかと思って」

 そう言いながらも、咲良の視線は、和樹の隣で静かに弁当を食べている小林遥と、その遥の肩にそっと触れている佐々木梓に、一瞬だけ向けられた。和樹は、その視線が、単なる友人への心配ではないことを察した。咲良は、すでに何かに気づき始めている。

 「ていうかさ、咲良。和樹くんって、最近、女の子からすごくモテてるみたいだよね?」

 梨花が意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 「そうだよ、この前、別のクラスの子が『西山くんって、優しいし、なんか色気あるよね』って言ってた!」と楓も続く。

 咲良の表情が、一瞬だけぴくりと揺れた。

 「ふうん。そう」

 彼女はそう答えたが、その声には、わずかな動揺が感じられた。

 和樹は、咲良の鋭い勘に冷や汗をかいた。いつかこの秘密がバレるのではないかという不安が、彼の胸に影を落とす。しかし、同時に、彼は彼女たちの身体と心を癒やすという、自身の「役割」を捨て去ることはできなかった。咲良への愛情と、他の女子たちとの複雑な関係性の間で、和樹の葛藤は深まる一方だった。冬が近づき、受験本番が迫る中で、この複雑な均衡は、いつまで保たれるのだろうか。


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