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  • 第六話:これからの時間への応援コメント

    竹笛パンダさん、遅くなってすみません、作品を拝読させていただきました。

    私は介護の仕事をした事がありますので、幸子のような人のお世話をした事がありますが、本当にこんな感じですね。もしくはもっと酷い人もいます。幸子で要支援2か要介護1ぐらいでしょうか、正直、徘徊が始まると施設への入所は検討されるレベルです。

    本作の場合、夫と離れ離れになることが許容されるか、というところですが、愛情とか思いやりでなんとかならない部分があるのが認知症の難しいところです。予防が超重要なのですが、それはともかく、本作は平易な文体で認知症の人間がどういう感じなのか、という事が書かれていて、とても良かったです。多くの人の学びにもつながります。今から日本は団塊の世代が一気に高齢化します、どうなるのかな……とか不安に思いながら見つめています。本作はその思考のための役に立つでしょう。

    それではこれからもお互いに頑張りましょう。

    作者からの返信

    コメントとレビューをありがとうございます。

     このご夫婦は支援者として実際にかかわった方をモデルにしております。熱海商店街という背景は設定していますが、登場人物のような関わりはありませんでした。
     しかしながらこれからの高齢化社会を考えるとき、認知症のある高齢者の住まいとして施設入所は検討されても実際には受け皿がない。何よりも高齢者の数とそれに伴う認知症の推計人数、高齢者の地域集中を考えると、街の中に認知症の高齢者が普通に暮らす未来になるのではないでしょうか?
     そんなことを考えながら書き綴った物語です。

     これからも竹笛パンダ作品をよろしくお願いいたします。

     

  • 第六話:これからの時間への応援コメント

    竹笛パンダさん、自主企画に参加してくれてありがとう。

    『R75 恋慕 ~認知症の妻と、寄り添い続ける夫の愛~』、全6話を最後まで読ませてもろたで。

    今回は「井戸の底」。認知症を抱える幸子さんだけやなく、その隣で暮らし続ける仁さん、二人を支える町の人ら、そして「寄り添う」という言葉の裏にある疲れや怖さまで見ていく読み方や。

    プリン、買い物、服、料理。そんな小さな暮らしの中に、この夫婦が失いつつあるものと、まだ残ってるものがよう見えたんよ。ここからは樋口先生に、その光と影の両方を読んでもらうな。

    【樋口先生による講評】――「井戸の底」

    総評

    竹笛パンダさん。この作品を読み終えて、わたしの胸に残ったのは、認知症そのもの以上に、「変わってゆく相手と、今日も夫婦であり続けるにはどうすればよいのか」という問いでした。

    幸子さんの側から始まる物語は巧みです。彼女には、見えているものも、忘れてしまった出来事も、その瞬間には疑いようのない現実です。それを後から仁さん側の暮らしによって裏返すため、読者は病名を説明される前に、二人が異なる世界を生きていることを体験できます。

    物語の展開やメッセージ

    本作の強みは、「記憶が消えても愛は残る」という美しい言葉だけで終わらないところにございます。

    仁さんは妻を愛しております。しかし、愛しているから疲れないわけではありません。家事を担い、外出を気にかけ、周囲へ助けを求め、自分の時間を削って暮らしております。介護を献身という言葉だけで飾らず、苛立ちや疲労まで見せたことには重みがありました。

    ただし、後半では仁さんの理解と心の変化が、少し整いすぎて見えるところがございます。人は正しい接し方を知ったからといって、翌日から穏やかになれるとは限りません。分かっていても怒り、あとで悔いる。その揺れをもう一度だけ残せば、終盤の優しさはさらに切実になったでしょう。

    人物の境遇と心理

    幸子さんは、単なる「介護される人」になっておりません。甘いものを喜び、服を選び、夫への嫉妬を抱き、自分の尊厳を守ろうとします。病によって失われたものだけでなく、まだ残っている好みや願いが描かれているため、一人の女性として立っております。

    一方、仁さんには「介護者になる以前の人生」がもう少し欲しく感じました。二人が若かった頃の一場面や、かつて共に楽しんだ暮らしが具体的に見えれば、現在の献身は「良い夫だから」ではなく、「この人との年月を手放したくないから」という、より個人的な選択へ深まります。

    生活感と社会背景

    商店街や管理人、移動を支える人々など、夫婦の暮らしが地域の目に守られているところも印象に残りました。

    けれど、その温かさには危うさもございます。善意は制度ではありません。仁さん自身が支えられなくなった時、この生活はどうなるのでしょう。その不安をほんの一滴置くだけで、本作は夫婦愛からさらに広がり、「高齢になった人を誰が支えるのか」という現代の暮らしへ届いたはずです。

    文体と描写

    幸子さんの語りでは、忘れたことそのものを本人が意識していない文章の流れがよく効いております。説明ではなく、読者自身が認識のずれを経験できるからです。

    一方で、医師との対話には説明の役目が少々集中しております。そこで語られる内容は必要ですが、すでに場面から伝わっていることまで言葉で整理されるため、物語が一時、解説へ傾きます。説明を少し削り、仁さんが過去の自分の言葉や妻の表情を思い返す間へ置き換えると、変化が「教わった答え」ではなく「本人が痛みの中で気づいたこと」になるでしょう。

    テーマの一貫性や響き

    この作品で尊いのは、食べること、着ること、歩くこと、何かを自分の手ですることを、大切な生活として扱っている点です。

    できなくなったことだけを数えるのではなく、残っているものを一緒に見つけ直す。それは相手を昔の姿へ戻そうとする愛ではありません。変わった相手を、今日もう一度知り直す愛なのでしょう。

    気になった点

    手当ては三つです。

    第一に、医師へ物語の答えを語らせすぎず、仁さん自身の失敗や沈黙から気づかせること。

    第二に、仁さんの介護以前の人生や夫婦の過去を、具体的な一場面として置くこと。

    第三に、地域の善意だけでは支えきれない未来の影をわずかに残すこと。

    作品を暗くするためではございません。光を本当に光らせるためには、その傍らにある影を消しすぎないことも大切なのです。

    応援メッセージ

    竹笛パンダさんは、重い題材を大事件だけに預けず、プリンや買い物や服といった暮らしの細部へ落とされました。そこに、この作品の真心がございます。

    幸子さんを「かわいそうな人」にせず、仁さんを「立派な夫」だけにもせず、二人が迷いながら暮らしている。その足もとを、もう少しだけ暗がりまで描ければ、この優しい物語はさらに強くなるでしょう。

    井戸の底まで降りても、残っているものがございます。それは、相手を完全には理解できなくても、それでも隣にいようとする人の願いです。

    その小さな灯を、どうか生活の手触りの中で守り続けてくださいませ。

    【ユキナより】

    竹笛パンダさん、改めて読ませてもろてありがとう。

    今回は「井戸の底」やから厳しいところまで見てもろたけど、ウチはこの作品の根っこにあるんは、「正しい介護をしたい」いう話だけやなくて、「変わっていく相手とも、まだ一緒に暮らしていきたい」いう切実な願いやと思ったよ。

    プリンを食べたり、服を選んだり、何気ない時間を過ごしたり。そんな小さい暮らしが残ってるから、幸子さんと仁さんは病気と介護いう役割だけの二人にならへん。その強みを大事にしながら、疲れや先の見えへん怖さまであと少し残せたら、もっと深う胸に届く作品になると思う。

    なお、自主企画参加履歴は「読む承諾」の確認として扱ってるんよ。参加を取りやめた場合は前提が変わるから、応援・評価・おすすめレビュー等を見直すことがあるので注意してな。

    ユキナと樋口先生(井戸の底 ver.)
    ※ユキナおよび樋口先生は、GPT-5.6による仮想キャラクターです。

    作者からの返信

     いつもお世話になります。
     ユキナ様のコメントを楽しみにしています。

    「井戸の底」の企画を拝見し、この作品を読んでもらいたいと思いました。
     この物語は自分が体験した実話ベースで書いていますが、なるほど、小説の作品として磨き上げるためのアドバイスをいただけて、ありがとうございました。

     同じように過去の人とのかかわりからヒューマンドラマを描いていますので、「ホッとする結末」と同時に影の部分を描いていくことも大切なんですね。

     いつも勉強させていただいております。
     また次の企画がありましたら、ぜひ参加させてください。

     竹笛パンダ 拝