第12話 春嵐 若葉揺らして 4月19日
四月十九日。水曜日。
青空には千切れ雲が点在する程度の静穏な晴れ模様で、ヒヨドリの甲高いさえずりが教室の中にまで転がっていた。
小学校の時に理科の授業でヒヨドリの生態について学ぶ機会があって、何となく鳴き声を聞き分けることが出来る。文字に起こせばキェーって感じ。小学校の教師からは感性が乏しいとの評価を受けたことがある。
昼休み。昼食を取り終えた後で練習の日程を伝えた夏帆の反応は「ギェー」だった。
「いざ近づくとやっぱ嫌だなぁ」
ぐだーっと上半身を机に放り出している。
「練習と大会、全日程を合わせても一週間足らずでしょう?頑張んなさい」
福島さんが激を入れるように夏帆の背中を叩く。
「どっちかあたしの代わりに出て」と美術部組を交互に見やる夏帆は、福島さんから脳天チョップを、雪乃からは冷笑を受けていた。
「大会、応援しに行ってあげるから」
尚もぐずる夏帆を見かねた様に福島さんが付け加えた。
「「いや、来なくていいから」」
がばっと顔を上げた夏帆と、その対面に座る私の声が被る。
何が悲しくて友達に醜態を見届けてもらわねばならないのか。全力で手首を横に振り、仕草でも拒否を示す。
慌てふためく弱小バレー部員二名を見て、私の隣に腰かける雪乃がニヤリと口を歪めた。
「絶対観に行く」
「――という訳で、大会には冷やかしが来そうです」
放課後。先輩とパス練習をしながら、昼休みの出来事を報告した。
先週の金曜日はサボったし、昨日も一昨日も雨だった為、思えば入部して初めての練習。
晴れた日だけ申し訳程度のパス練習やランニングをする。やっぱり部活として終わってるなーと思う。
快晴とはいえ、ぬかるんだ地面には雨の名残がはっきりと残っている。泥で汚れたボールには触れたくないので、落とさない様に慎重なボール運びとなる。
緩やかな弧を描いてやってきたボールをレシーブして、先輩がなるべく取りやすいよう同じく山なりに返す。
そんな配慮を双方に交わし合いながらの練習。
「熱心な応援が来るよりはいいんじゃないかな」
先輩の返答はいかにも興味がなさそうにあっさりしていた。
「まぁ……そうですけど」
しかし的を射てもいる。惨敗が確定しているのなら熱心に応援される方が余程辛く、案外冷やかされるくらいの方が気は楽なのかもしれない。
物事の捉え方の柔軟さに、私より二年分長く重ねた歳月を感じる。
ちゃんと先輩っぽいところもあるんだよなぁ。単なる気まぐれの回答で、私が課題に評価をしているだけなのかもしれないけど。
「おー、本当にやってんだ」
取りあえず家族には応援に来ないように念押ししておこうなんて思っていたところで、第三者の声が飛び込む。
なるべく他の部活の邪魔にならない場所を選んで練習している以上、声の矛先は私たちに他ならない。
しかし練習中に声を掛けられることなんて初めてのことで、周囲を全然意識していなかった。突然のことで肩が竦む。
パスは中断。ボールをキャッチして声の方を向く。知らない女子生徒が手をひらひらと振りながら歩んでくるところだった。
ウェーブの掛かったセミロングの髪。前髪はカチューシャでまとめている。
ブレザーの前を開けてリボンも外すという気崩し方も相まって、いかにも上級生然としている彼女は真っ直ぐ私の元へ。
――え?何?
「ひょー。可愛いじゃん新入生ちゃん!名前は?」
軽率にずいと近づかれると、先輩……二人いると紛らわしい。高身長の明智先輩にも匹敵していることに気付く。
しかし威圧感を感じさせない愛嬌のある丸顔と大きな瞳、そして全体的に纏う友好的な雰囲気が警戒心を和らげる。仮入部初日、先輩に迫られた時とは真逆の印象だ。
あと、あまりにもストレートに可愛いと言われたことの照れくささが、怯えを上回ったのもある。照れて耳の辺りがじんわりと火照るようだった。
「西藤深月、です。ええと……」
「深月ちゃんね!覚えたぜー!」
カチューシャ先輩(恐らく)の両手がにゅっと伸びて私の両手を掴む。
「お、おお?およよよ」
そのままぶんぶんと力強く上下に振られ、つま先が浮きそうになった。
何一つ情報を得られないまま勢いに揺さぶられる。がくがくと、振動が凄い。
「……柴田さん。後輩が困ってるよ」
「お?そだそだ、あけっちーに用があるんだった。ちょい待ち」
見かねた明智先輩がカチューシャ先輩に声を掛けた。
柴田先輩……でいいのだろうか。彼女から放たれた、【あけっちー】という呼び名に衝撃が走る。
親しみやすさ前回の愛称が先輩と面白いくらいに符合していない。失礼かしら。
パッと両手がいきなり放されて、つんのめった私は難なく彼女に抱きとめられた。
「むが」
柔らかかったです。ええ。
「ごめんね深月ちゃんや。私は三年で、バレー部副部長の柴田硝(しばたしょう)!宜しく宜しく」
私を解放したカチューシャ先輩もとい、柴田先輩とようやく適切な距離で対面した。
女子バレー部に二人いる三年生。その片割れ。
部活動紹介の時、ニコニコと友だちに向けて手を振っていたのがこの人だったかもしれないと、朧気ながら記憶と一致するものがあった。
「よろしくお願いします、柴田先輩」
「見た目はふわふわ系な割に固いねえ。私のことは、しばっちゃんとかしょーちゃんとか、もっと気楽に呼んでくれたまへ」
私の模範的な挨拶を受け、おどけて仰け反っている。
――そう言われても。
二歳上、それも初対面の先輩を馴れ馴れしく呼ぶのは気が引ける。こういうのは夏帆の方が向いているだろうなぁと、とっくに帰宅した級友の顔が浮かぶ。
人と距離を空けがちな私にとってはむず痒い物があるのだ。しかしキラキラと期待に満ちた眼差しからは逃れられない。
「じゃぁ……しばっちゃん、先輩で」
下の名前をもじるのは憚られて、苗字由来のあだ名を取った。
しかし口に出して呼ぶときはともかく、私の中での認識は柴田先輩の域を超えないだろう。
「先輩もつけなくていいのに。しかしそんなところも初々しくてよきかなよきかな」
腕を組んでうんうんと頷く柴田先輩と、愛想笑いをする私。
「てかハーフアップいい感じだねぇ。自分でやってんの?」
柴田先輩が私の髪を指さす。
「あ、ありがとうございます。雑誌の見様見真似、ですけどね」
運動する時は後ろ髪が邪魔なので纏めるようにしている。アレンジを利かすには長さが足りないのでヘアゴムで結んだだけの簡単なものだけど。
きつく結びすぎると可愛くないし、緩すぎれば解けてしまう。絶妙なバランスを取るのに少しコツがいるのだ。
そういうひと手間に気付いて貰えるのは素直に嬉しい。
「先輩の髪もエアリーで可愛いですよね。手入れ大変そう」
「えっへへ、ありがとー!元がくせっ毛だから、やり過ぎると爆発すんだよね。深月ちゃんも結構癖が付く方じゃない?」
「分かります?雨の日とか大変ですよね――」
気が付けば普通に談笑を交わしていた。高めの弾むような声と、屈託のない笑顔、そして何より盛り上げ上手で、警戒があっという間に解かれていく。
きゃいのきゃいのとやり取りをしているところに、乾いた咳払いが横入りした。
「柴田さんは、私に用があるんじゃなかったかな」
先輩が柴田先輩の横に足を運ぶ。いつもの貼り付けたような笑顔を浮かべているけど、一瞬私に寄越した視線には非難が込められている気がした。
「ああ、そうそう。そうだったあけっちー」
あけっちー。字面だけ受け取れば親しそうだけど、特段仲が良い訳ではなさそうなのは先輩の態度が物語っていた。
柴田先輩は誰に対しても垣根を易々と越えて接することが出来る人なのだろう。
所謂『陽キャ』ってカテゴリーのど真ん中に位置しそうだとぼんやり思った。眩しい。
「大会前に練習するなんて久しぶりじゃん。どしたのさ急に」
外で練習をしている以上、どうしても外部活動の生徒や通りかかった生徒に見られることがある。
地味に噂になっていて、それを聞きつけてきたのだろうか。地味に恥ずかしい。
「深い意味はないよ。ただの気まぐれ」
「おー、ジャパニーズキマグレ」
「何故片言。ええと、それを聞きにここへ?」
「ん?ああ、それはついで」
柴田先輩はふるふると首を横にふり、先輩の首はかくんと傾く。普段マイペースな先輩が、完全に主導権を握られていて面白い。
「後輩ちゃんを見に来たのと、練習の話で一応確認しとこうと思って。来週の火曜から、十六時に市民体育館でいいんだっけ?」
「あー……うん」
「おっけー。そんじゃ二年と先生には連絡しとくね」
「宜しく」
あからさまに早く会話を切り上げたい様子で、先輩の返答は短く淡々としている。
いつもの飄々とした雰囲気を出せずにいるのが新鮮だけど、むしろ普段はこんな感じなのかもしれない。
柴田先輩の方は当然そんな事情など露知らず。「任されたぜ」と胸を叩いて請け負っていた。
「という訳でみづきち」
「は、はい?」
即席感溢れるあだ名が付けられた。びっくりしたんだなも。
「みづきちにはあけっちーがいるから必要なさそうだけど、一応なんかあった時の為に連絡先おせーて」
そういいながら携帯電話が差し出される。副部長として部内の連絡は柴田先輩の役目なのだろう。
他者と関係を築きたがらない先輩よりも適任なのは間違いない。
断る理由もなく、いそいそと部室に戻り、取ってきた携帯をかざし合って連絡先を交換する。
中学卒業と共に買ってもらったスマートフォン。連絡帳に連なっているのは同級生と中学の後輩たちで、家族以外の年上が加わるのは新鮮だった。
「あけっちーを宜しくね」
「え?」
頭上から降る囁きに画面から目を離す。柴田先輩と私の間にしか聞こえないであろうボリューム。顔を上げれば、人差し指を口元に手を当てて内緒を示す柴田先輩がいる。
……今のは、どういう。
「さて、そんじゃ私は帰るわ!来週また会おうぞー!」
私が言及するよりも先に背を向け、後ろ手を大きく振りながら去って行ってしまった。
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