第31話 夜

 温かさに包まれて私は目を覚ました。

「起きましたか」

 すぐ横に先生がいて、私は驚いた。見慣れないベッドの中にいて、私は服を着ていない。

「あ…」

 喉が渇いて声が出ない。先生はベッドから出ると、部屋を出ていった。ぼんやりと思い出す。

 夕日を海で見ると言ったものの、結局、それを見ることもなく、私は先生の家に行きたいと自分で言った。

 いつまでも先生の胸の中で泣いている自分が嫌だった。そうして何だかずっと誰かに甘えている自分は何一つ変われない気がした。

 黙って駐車場まで戻り、私は車に乗った。無言で先生も車を走らせる。正直、怖くないわけではなかった。でもふと妊娠することはないということが、こんな時には安心材料に変わるということが少しおかしかった。

「どうかしましたか」

 微かに微笑んだのを見られた。

「先生…。ごめんなさい。わがまま言って」

「いえ。…でも」

 その後の言葉は続かなかった。結局、車内は沈黙が充満していた。

 小綺麗な先生の部屋についても、私は実感がなかった。でも自分で服を脱いだ。リビングの煌々とした蛍光灯の下で、夏なのにあまり日焼けしていない肌をさらす。それより泣いて、その後、化粧直ししなかったことが恥ずかしかった。

 じっと先生を見た。私の体は薄くなった手術痕がある。でも成長とともに薄く大きく伸びた。暑かった部屋はエアコンが少しずつ効いて来て、肌を冷やした。私が二の腕に左右の手を置くと

「寒い?」と先生が訊いた。

 頷く前に体が浮かんで隣の寝室に運ばれた。

 ベッドの上に私を置いて、寝室のエアコンをつける。私は目を瞑った。先生に抱かれるのと、あの犯罪者に乱暴されるのとは大きく違うだろうと思いながら、でもすることは同じというのが不思議に思えた。

 結局、セックスはしなかった。先生はずっと私を抱きしめながら

「どうしたら君の傷は癒えるんだろう?」と誰に言うでもなく呟いた。

 傷は消えない。

 でもいつか癒えるのだろうか、と私は思った。

「もう…痛くなくて」

 そう私は言って、先生の背中に手を回した。シャツが少し汗ばんでいた。

「傷があるのかも分からないです」

 先生の顔が私の上にあるから、涙が私に落ちて来た時は驚いた。

 そしてその上に優しくキスをされた。

 少しも嫌じゃなかった。

 愛が無くても、温かさが心地いい。

 誰かに優しくされるのって、嬉しいことだな、と思って、先生の髪の毛に指を差しこんだ。

「ありがとう…ございます」

 そう言って、彰吾君はどうして私にありがとうと言ったのかまた考えてしまう。私を守っていながら、どうして私に感謝をしたのかと考えても考えても分からない。

「どうして…ありがとうなんて」

 先生が私が考えていることを口にする。

「だって…優しくしてくれたから。嬉しくて」

 そこからずっと抱きしめてくれるだけで、私はその暖かさで眠ってしまった。


 先生がコップに水を入れて戻ってきてくれた。

「君の携帯が鳴って…伯母さんという表示だったから。出たよ」

 水を飲みながら、私はどう説明したのか気になった。

「具合悪いようで、少し眠ってもらってます。起きたら本人から連絡させますと言っておいたから。遅くても電話して」

「すみません」と私がベッドを出ようとすると、先生はシャツを貸してくれた。

 それを羽織って、電話をする。遅いのに伯母さんは出てくれた。

「空ちゃん、大丈夫?」

「あ、ごめんなさい。連絡できなくて」

「帰ってくる?」

 その声を聞いたら、帰らなければいけない気がした。時計を見ると、夜中を過ぎていた。

「…伯母さん。今日は遅いから」

「でも…」

「大丈夫。あの…大丈夫だから。あ…。後、彰吾君のことだけど」

「え?」

「彰吾君は私のこと、何か言ってた?」

「何か?」

「私、すごく迷惑しかかけてなかったから」

 しばらく沈黙して、伯母さんは言った。

「あの子はあなたがいてくれたから…生きてられたのかも」

 そんなことはない。私の方が、と思いながら、続きを待った。

「でももう遅いから…。帰るならタクシーをお願いして。起きて待ってるから」

「伯母さん、大丈夫。明日の朝帰る。だから…もう寝て」

 中途半端に会話が切れた。

「おやすみなさい」と挨拶だけは最後にお互いにした。

 壁の時計は一時に近づいている。

「送りましょうか?」

 先生が後ろから声をかけて来た。

 私は首を横に振った。私が帰るとなると伯母さんも起きて待つことになるし、先生も大変だ。

「ごめんなさい。今日はここで」

「どうぞ」

 先生はそう言って、寝室のドアを開けてくれた。

「僕は少し、仕事します」

 そう言って、私とすれ違おうとする先生に私は甘えたくなった。そんなことをしてはいけないと手をぎゅっと握って、そのまま寝室に向かう。隣の部屋から漏れるキーボードをたたく音を聞きながら、目を閉じた。

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