第9話:それぞれの「あがき」と、記憶の果て
◇シーン1:蘇る記憶と、加藤の「呪い」◇
『盗作サークルの密約』の続きを読んだ雄大は、一生分の記憶を辿ったような疲労で座り込んでいた。
美琴が心配そうに隣にいる。
ノートの記述はとにかく濃厚な日々の積み重ねだった。
大学時代の友人、中村翔と加藤明奈とのサークルでの楽しい日々。
そして、その時期にそれぞれが応募した脚本コンテストでの自らの最優秀賞受賞。
当時の雄大は、着実に脚本家の道を歩んでいた。
夢破れて高校教諭になった中村は小説へのアドバイスを雄大に求め、それが結果的に彼の小説家デビューにつながった。
そのことは互いに喜ばしいことだったが、白石の姉、美波との縁談が決まったあたりから、様子は一変する。
中村はさらにアイデアを他者に依存するようになり、明奈は美波より中村に取り入りたいという気持ちからの焦りを強めていく。
明奈はアイデアを求めて雄大をそのいびつなシステムに取り込んだのだ。
当初はゴーストライターもお金のためならそう悪くないと思っていたが、アイデアを絞り出すうち、次第に自らの作風も気力も失い、気づけば「書けない」という絶望の淵に辿り着いていた。
読み終えた雄大は、あの痛みと屈辱に満ちた真実に苛まされていた。
「嘘だ…こんなこと、俺が…」
雄大は震える声で呟く。
「岡山さん…」
美琴は彼の肩にそっと手を置く。
雄大は戸惑いながらもその手に自らの手を重ねた。
その頃、雄大の記憶回復の兆候を察知した明奈は、焦りを募らせていた。
美琴とノートを読み終えた頃、明奈はそれを知っていたかのように彼の部屋を訪れる。
「岡山さん、お元気でした?」
明奈はにこやかに部屋に入ってくるが、その目は鋭い。
「加藤さん…またいらしたんですね…」
雄大は警戒を隠さない。
「なぜって?あなたのカウンセラーですもの。精神状態をチェックしに来たのよ」
「いや、もうその必要はないですよ、明奈さん」
明奈は雄大のその言葉を聞いて、確信を得たように口角を上げた。
「そう、記憶が戻りつつあるのね。でも、それは良いことばかりじゃないわ」
明奈は、カバンから一冊の古いノートを取り出す。
それは、雄大が記憶喪失になる前に書いた、彼自身が「駄作」と称していた情けない作品たちだった。
「これ、あなたが一人で書いた作品よ。あなたの、本当の力量ね」
明奈は冷たく言い放つ。
「見てご覧なさい。あなたが一人で書いたら、所詮この程度だったのよ、岡山さん。あなたには中村先生の支えが必要なの。それがあなたにとっての幸せなのよ。あなたは『自分では書けない』人間なの」
明奈は、優しい言葉の裏に鋭い刃を隠し、雄大の心に再び「書けない」という呪いを吹き込もうとする。
美琴は怒りに震え、明奈を睨みつけて反論する。
「たしかに最近の作品とは違うかもしれません。でも、どれも独創的で、光り輝いています!」
明奈はその言葉に余計に激昂したかのように、美琴に向かって溜めていたであろう不満をおもいきりぶつける。
「何もできないあなたは黙ってなさい!あなたたち姉妹こそ、雄大にも翔さんにも必要とされてない人間なのよ!」
◇シーン2:翔の新たな裏切りと、ブーメランの絶望◇
***
一方、ハワイの中村翔は、雄大の記憶が予想以上に早く回復していることを知り、焦燥感に駆られていた。
電話の向こうの明奈に苛立ちを露わにする。
「どういうことだ、明奈!あいつがこんなに早く記憶を取り戻すなんて聞いてないぞ!」
「すみません、翔さん…でも、私がどうにかします。あいつをもう一度、あなたの支配下に…」
「もういい!俺が動く。お前は準備を進めろ。あいつが思い出しても、結局俺の言うことを聞くしかないと思わせる状況を作るんだ!」
中村は、自身の立場を守るために、最後の手段に出ることを決意していた。
その頃、明奈の呪いの言葉に苦しむ雄大は、さらに衝撃的な事実を知る。
美琴が独自に調べていた中村の過去から、彼には自分以外にも複数のゴーストライターがいたことが判明したのだ。
美琴は苦しそうに、しかし真実を伝えるために雄大に告げる。
「岡山さん…中村先生は、他にもゴーストライターを使っていました。私の姉も…」
雄大は目を見開いた。
「美波さんが…?まさか…」
「はい…。姉は、中村先生に頼まれて、彼の作品の一部を書いていたことがあったようです。ごく短期間ですが…」
「そして加藤さんもゴーストライターをやろうとしていたようですが、中村先生はあまり出来に満足してなかったようで…」
これらの事実は、雄大にとって大きな失意ではあった。
「明奈まで…。俺は…中村を支えていたのは、自分だけだと…それなのに…」
自身の苦悩と犠牲が、相対化されたことへの虚無感が雄大を襲う。
しかし、その失意はやがて、奇妙な解放感へと変わっていく。
「…そうか。だったら別に、俺がいなくても、あいつはやっていけるんだな…」
中村という存在が、自分の創作人生から切り離されたことで、初めて見えた自由だった。
同じ頃、明奈は、中村からの新たな指示と、美波もゴーストライターだったという事実を美琴から突きつけられ、絶望の淵に突き落とされていた。
中村は苛立ちを全て明奈にぶつけていた。
「お前のせいでこんなことになってるんだ。お前の脚本なんて見れたもんじゃない!美波に頼んでた頃のほうがよっぽどマシだった!」
明奈はそこで美波の名前が出てくるとは思いもしなかった。
「嘘よ…そんなはずない…!私と岡山さんのシステムが、一番完璧だったのに…!私が、翔さんを支えていたのに…!」
これまで中村のために尽くし、雄大をコントロールしてきた自分自身に、ブーメランのようにその裏切りが返ってきた。
明奈の顔から血の気が引き、それまでの自信と冷徹さが消え失せ、深い虚無感が漂う。
彼女の目の光が失われていた。
◇シーン3:過去の整理と未来への決意◇
***
記憶の断片が繋がり、明奈の精神的な攻撃と中村のさらなる裏切りを知った雄大は、激しい葛藤の中にいた。
喪失後の新たな記憶としての『売れっ子脚本家としての成功体験』と、今蘇る『ゴーストライターとしての屈辱的な過去』の間で激しく揺れ動く。
「俺は…どっちの俺なんだ…?」
雄大は頭を抱える。
「たぶんどちらもあなただと思います」
美琴は優しく言った。
「でもそれは、これからどう生きるかは、あなたが決めるということでもあるんだと思います」
美琴の献身的な支えと、中村が自分がいなくてもやっていけるという事実が、雄大に新たな視点を与える。
「…そうか。記憶がなくなったことは、決して悪いことではなかったのかもしれない。過去は過去だ。これからの自分が、何を為すのかが大事なんだな…」
雄大は、過去を清算し、本当の『自分』を取り戻すために、そして未来へと進むために、このすべてを書き記す必要があると決意する。
雄大の目には、強い光が宿っていた。
◇シーン4:新たな旅立ちと「二人」の物語◇
***
雄大はこのすべてを、『最後の作品』として書くことにした。
それは、過去の自分を清算し、真に『自分の言葉』を取り戻すための、最初で最後の戦いとなる。
「白石さん…」
雄大は美琴に向き直る。
「俺は、このノートを書ききる。そしてこれからは、誰の言葉でもない、俺自身の物語を書きたい!」
「私も、それがあなたの願いだと思っていました」
美琴は優しく微笑む。
それを成し遂げるためにも、雄大と美琴は、過去を知る人々から一時的に距離を置くことを決意する。
「ここじゃない、どこか別の場所で。仕事としての脚本じゃなくて、私たち、お互いのために、本当の物語を書きませんか?」
美琴は提案する。
雄大は美琴の目を見つめ、深く頷いた。
「ああ。そうしたい。俺たち二人で、新しい物語を」
二人は、誰にも知られることのない、新しい町に身を隠す。
そこで雄大は記憶を整理しながら、美琴と共に、自身の人生の集大成となる「無題ノート」の物語を紡ぎ始める。
それは、彼らの、そして彼の周り全ての人々の真実が描かれる、最初で最後の脚本となるのだ。
(第9話 終)
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