二献め:冷え切った台所と、湯気の立つおむすび
ふかふかの分厚い布団の感触に、あたしは思わず頬ずりした。実家の、せんべいみたいに薄くて硬い布団とは大違いだ。寝返りをうつたびに、上質な絹の擦れる音が耳に心地よい。
(こんなところで毎日寝られるなんて……まるで本物のお姫様みたいだ)
昨夜、鬼大名の前で腹の虫を鳴らすという大失態を演じた後、あたしは城の西の棟にある立派な一室を与えられた。何もかもが豪華で落ち着かなかったけれど、さすがに疲れていたのか、気づけば朝までぐっすりだった。
「……ん?」
むくりと体を起こすと、部屋の隅の
「小春様、お目覚めでございますか」
すっと襖が開き、侍女の
「こ、これは…?」
「政宗様からの下賜品にございます。どうぞ、お召しください」
政宗様から? あの鬼大名が、あたしに?
戸惑いながらも着物を手に取る。さらりとした手触りが気持ちいい。
(これを着て、今日も美味しいご飯が食べられるのか……)
ごくりと喉が鳴る。そう、大事なのは朝餉だ。あたしはいてもたってもいられなくなり、千代乃さんに手伝ってもらって早々と着替えを済ませると、城の台所へと向かった。
◇
「ひ、姫様! なぜこのような場所に!?」
黒瀧城の台所は、城の規模に比べてずいぶんと……活気がなかった。広々とした土間には立派なかまどがいくつも並んでいるのに、火が入っているのはそのうちの一つだけ。調理人たちも三人しかおらず、黙々と下ごしらえをしている。その顔には、料理を作る楽しさのようなものは微塵も感じられない。
あたしの登場に、
「昨日の魚、とても美味しかったです! 今日の朝餉はなんですか?」
「は、はぁ……」
あたしがにこにこと尋ねると、料理頭はますます困惑した顔になる。
「朝餉は……政宗様には白湯を、姫様には焼き魚と白粥をご用意しておりますが……」
「またお魚! 嬉しいです! でも、どうして殿は白湯だけなんですか? 朝からちゃんとお米を食べないと、戦はできませんよ?」
あたしの無邪気な問いに、台所の空気がずしりと重くなった。料理頭は、悲しそうに眉を下げてぽつりと呟く。
「……政宗様は、もう何年も、我らの料理を口にされておりません。触れただけで、腐ってしまうのですからな。我らにできるのは、こうして、ただ腹を満たすだけのものをこしらえることだけ……」
その横顔は、料理人としてこれ以上ないほど辛いものだろう。他の調理人たちも、悔しそうに唇を噛んでいる。
そうだ、昨日の夜、確かに魚は一度黒くなった。あたしが触れるまで。
あたしはきゅっと拳を握りしめ、高らかに宣言した。
「――よろしい! それならば、あたしが作ります!」
「へ!?」
「殿の朝餉も、あたしの分も! 全部あたしに任せてください!」
突然の申し出に、調理人たちが全員、あんぐりと口を開けてあたしを見つめる。
「し、しかし! 姫様のお手を煩わせるなど、めっそうもございません!」
「いいえ、これも契約のうちです! 殿に『美味そうに食事をさせる』のがあたしの仕事。だったら、自分で最高に美味しいものを作って、最高に美味しく食べるのが一番でしょう?」
それに、とあたしは付け加える。
「何より、あたしが美味しいご飯を食べたいんです! これが一番の理由です!」
あっけらかんと言い放つと、ぽかんとしていた調理人たちの口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
◇
「よし、まずは基本の『き』から!」
あたしは腕まくりをすると、大きな木のお
あたしが作ることにしたのは、「おむすび」だ。
シンプルだけど、握る人の気持ちが一番伝わる料理。今の政宗様に食べてもらうには、これ以上ないと思った。
「いいですか、おむすびの極意は『愛情』と『スピード』です!」
誰に言うでもなく解説しながら、あたしはまず手のひらに塩をぱらり。そして、湯気の立つご飯を素早く手に取った。熱い! でも、ここでひるんではいけない。
「ふん、ふん、ふんっ!」
外側はしっかりと、でも中は空気を含んでふんわりと。米粒を潰さないように、絶妙な力加減で三回だけ握る。
あれよあれよという間に、あたしの手の中で美しい三角形のおむすびが形作られていく。
中に入れる具は、台所の隅で見つけた立派な梅干しと、昨日の残りの焼き鮭のほぐし身だ。
湯気とご飯のいい香りが、冷え切っていた台所に満ちていく。いつの間にか調理人たちもあたしの周りに集まり、その手際を食い入るように見つめていた。
「できた! あたし特製、愛情たっぷりおむすびです!」
漆塗りのお盆に、ころんとしたおむすびを二つ。それから、豆腐とわかめのお味噌汁を添えて、あたしは政宗様の居室へと向かった。
◇
政宗様は、山のような書状を前にして、難しい顔で筆を走らせていた。やはり朝からお仕事らしい。
「殿、朝餉にございます!」
あたしが盆を差し出すと、政宗様は書状から顔を上げた。そして、盆から立ち上る湯気と香ばしい匂いに気づき、ぴたりと動きを止める。
「……それは?」
「心を込めて、握りました! あたしのおむすびは、日本一です!」
どーんと胸を張るあたしに、政宗様は一瞬だけ呆れたような顔をしたが、すぐに真剣な眼差しでおむすびを見つめた。
昨夜のことがある。彼は警戒しながらも、ゆっくりと、震える手であたしが握ったおむすびを一つ、手に取った。
呪いは、発動しない。
おむすびは、湯気を立てたまま、その形を保っている。
政宗様は、信じられない、という表情でおむすびとあたしの顔を交互に見た。その瞳に映るのは、困惑と、そしてほんのわずかな――期待。
何年も忘れていた、温かい食べ物の感触。
政宗様は、まるで宝物を扱うかのように、そっとおむすびを口元へと運んだ。
そして、小さな一口を、ぱくり。
「…………っ」
その瞬間、政宗様の大きな体が、小さく震えた。
口の中に広がる、お米本来の優しい甘み。きりりとした塩のしょっぱさ。そして、懐かしい梅干しの酸っぱさ。単純なはずの味が、乾ききった体に染み渡っていく。
政宗様の、鬼のように鋭いその瞳から、ぽろり、と一筋の涙が零れ落ちた。
「……うまい」
誰に聞かせるでもなく呟かれたその言葉は、けれど、あたしの耳にはしっかりと届いていた。
あたしは心の底から嬉しくなって、満面の笑みを浮かべた。
「でしょ!」
政宗様は、慌てて涙を袖でごしごしと拭うと、あたしから顔を背ける。その耳が真っ赤に染まっているのが見えた。
「……こ、小春。……明日からも、毎朝これを作れ」
小さな声。でも、力強い命令。
「命令だ」
その不器用すぎる言葉に、あたしはくすくすと笑った。
「はい、喜んで!」
この瞬間、北の鬼大名の凍てついた心が、湯気の立つ温かいおむすびによって、ほんの少しだけ雪解けを迎えたのかもしれない。
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