二献め:冷え切った台所と、湯気の立つおむすび

 ふかふかの分厚い布団の感触に、あたしは思わず頬ずりした。実家の、せんべいみたいに薄くて硬い布団とは大違いだ。寝返りをうつたびに、上質な絹の擦れる音が耳に心地よい。


(こんなところで毎日寝られるなんて……まるで本物のお姫様みたいだ)


 昨夜、鬼大名の前で腹の虫を鳴らすという大失態を演じた後、あたしは城の西の棟にある立派な一室を与えられた。何もかもが豪華で落ち着かなかったけれど、さすがに疲れていたのか、気づけば朝までぐっすりだった。


「……ん?」


 むくりと体を起こすと、部屋の隅の衣桁いこうに、新しい着物が掛けられているのが見えた。桜色の地に、可憐な小花の刺繍が施されている。あたしが今まで着ていた、継ぎはぎだらけの着物とは比べ物にならない。


「小春様、お目覚めでございますか」


 すっと襖が開き、侍女の千代乃ちよのさんがお水の入ったお盆を持って入ってきた。歳はあたしより少し上くらいだろうか。昨日から身の回りのお世話をしてくれている。


「こ、これは…?」

「政宗様からの下賜品にございます。どうぞ、お召しください」


 政宗様から? あの鬼大名が、あたしに?

 戸惑いながらも着物を手に取る。さらりとした手触りが気持ちいい。


(これを着て、今日も美味しいご飯が食べられるのか……)


 ごくりと喉が鳴る。そう、大事なのは朝餉だ。あたしはいてもたってもいられなくなり、千代乃さんに手伝ってもらって早々と着替えを済ませると、城の台所へと向かった。



「ひ、姫様! なぜこのような場所に!?」


 黒瀧城の台所は、城の規模に比べてずいぶんと……活気がなかった。広々とした土間には立派なかまどがいくつも並んでいるのに、火が入っているのはそのうちの一つだけ。調理人たちも三人しかおらず、黙々と下ごしらえをしている。その顔には、料理を作る楽しさのようなものは微塵も感じられない。


 あたしの登場に、料理頭かしららしき白髪の男性が目を剥いて駆け寄ってきた。


「昨日の魚、とても美味しかったです! 今日の朝餉はなんですか?」

「は、はぁ……」


 あたしがにこにこと尋ねると、料理頭はますます困惑した顔になる。


「朝餉は……政宗様には白湯を、姫様には焼き魚と白粥をご用意しておりますが……」

「またお魚! 嬉しいです! でも、どうして殿は白湯だけなんですか? 朝からちゃんとお米を食べないと、戦はできませんよ?」


 あたしの無邪気な問いに、台所の空気がずしりと重くなった。料理頭は、悲しそうに眉を下げてぽつりと呟く。


「……政宗様は、もう何年も、我らの料理を口にされておりません。触れただけで、腐ってしまうのですからな。我らにできるのは、こうして、ただ腹を満たすだけのものをこしらえることだけ……」


 その横顔は、料理人としてこれ以上ないほど辛いものだろう。他の調理人たちも、悔しそうに唇を噛んでいる。


 そうだ、昨日の夜、確かに魚は一度黒くなった。あたしが触れるまで。

あたしはきゅっと拳を握りしめ、高らかに宣言した。


「――よろしい! それならば、あたしが作ります!」

「へ!?」

「殿の朝餉も、あたしの分も! 全部あたしに任せてください!」


 突然の申し出に、調理人たちが全員、あんぐりと口を開けてあたしを見つめる。


「し、しかし! 姫様のお手を煩わせるなど、めっそうもございません!」

「いいえ、これも契約のうちです! 殿に『美味そうに食事をさせる』のがあたしの仕事。だったら、自分で最高に美味しいものを作って、最高に美味しく食べるのが一番でしょう?」


 それに、とあたしは付け加える。


「何より、あたしが美味しいご飯を食べたいんです! これが一番の理由です!」


 あっけらかんと言い放つと、ぽかんとしていた調理人たちの口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。



「よし、まずは基本の『き』から!」


 あたしは腕まくりをすると、大きな木のおひつに満たされた、炊き立てのご飯の前に立った。湯気と共に立ち上る、甘くて優しいお米の香り。これだけでご飯三杯はいける。


 あたしが作ることにしたのは、「おむすび」だ。

 シンプルだけど、握る人の気持ちが一番伝わる料理。今の政宗様に食べてもらうには、これ以上ないと思った。


「いいですか、おむすびの極意は『愛情』と『スピード』です!」


 誰に言うでもなく解説しながら、あたしはまず手のひらに塩をぱらり。そして、湯気の立つご飯を素早く手に取った。熱い! でも、ここでひるんではいけない。


「ふん、ふん、ふんっ!」


 外側はしっかりと、でも中は空気を含んでふんわりと。米粒を潰さないように、絶妙な力加減で三回だけ握る。

 あれよあれよという間に、あたしの手の中で美しい三角形のおむすびが形作られていく。

 中に入れる具は、台所の隅で見つけた立派な梅干しと、昨日の残りの焼き鮭のほぐし身だ。


 湯気とご飯のいい香りが、冷え切っていた台所に満ちていく。いつの間にか調理人たちもあたしの周りに集まり、その手際を食い入るように見つめていた。


「できた! あたし特製、愛情たっぷりおむすびです!」


 漆塗りのお盆に、ころんとしたおむすびを二つ。それから、豆腐とわかめのお味噌汁を添えて、あたしは政宗様の居室へと向かった。



 政宗様は、山のような書状を前にして、難しい顔で筆を走らせていた。やはり朝からお仕事らしい。


「殿、朝餉にございます!」


 あたしが盆を差し出すと、政宗様は書状から顔を上げた。そして、盆から立ち上る湯気と香ばしい匂いに気づき、ぴたりと動きを止める。


「……それは?」

「心を込めて、握りました! あたしのおむすびは、日本一です!」


 どーんと胸を張るあたしに、政宗様は一瞬だけ呆れたような顔をしたが、すぐに真剣な眼差しでおむすびを見つめた。

 昨夜のことがある。彼は警戒しながらも、ゆっくりと、震える手であたしが握ったおむすびを一つ、手に取った。


 呪いは、発動しない。


 おむすびは、湯気を立てたまま、その形を保っている。

 政宗様は、信じられない、という表情でおむすびとあたしの顔を交互に見た。その瞳に映るのは、困惑と、そしてほんのわずかな――期待。


 何年も忘れていた、温かい食べ物の感触。


 政宗様は、まるで宝物を扱うかのように、そっとおむすびを口元へと運んだ。

そして、小さな一口を、ぱくり。


「…………っ」


 その瞬間、政宗様の大きな体が、小さく震えた。


 口の中に広がる、お米本来の優しい甘み。きりりとした塩のしょっぱさ。そして、懐かしい梅干しの酸っぱさ。単純なはずの味が、乾ききった体に染み渡っていく。


 政宗様の、鬼のように鋭いその瞳から、ぽろり、と一筋の涙が零れ落ちた。


「……うまい」


 誰に聞かせるでもなく呟かれたその言葉は、けれど、あたしの耳にはしっかりと届いていた。

 あたしは心の底から嬉しくなって、満面の笑みを浮かべた。


「でしょ!」


 政宗様は、慌てて涙を袖でごしごしと拭うと、あたしから顔を背ける。その耳が真っ赤に染まっているのが見えた。


「……こ、小春。……明日からも、毎朝これを作れ」


 小さな声。でも、力強い命令。


「命令だ」


 その不器用すぎる言葉に、あたしはくすくすと笑った。


「はい、喜んで!」


 この瞬間、北の鬼大名の凍てついた心が、湯気の立つ温かいおむすびによって、ほんの少しだけ雪解けを迎えたのかもしれない。

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