別れたら記憶を消すカップル
渡貫とゐち
別れたら記憶を消すカップル
「別れよっか」
「ああ、そうだね」
不倫したわけでもなく、些細な喧嘩ひとつで別れ話となった。
お互いの深いところにある意見をすり合わせることもなく、だ。
もっと話し合えば、和解できたかもしれない……
別れ話になることもなく、明日も愛し合うことができたかもしれないふたりなのだが……。
ふたりは手慣れたように、別れることに肯定的だった。
実際、カップルが別れることへのハードルが、低くなっているのだ。
なぜなら、別れたカップルは記憶を消すことができる――つまり、後腐れなく次の恋愛をすることができるのだ。
別れても嫌な思い出が残らないのであれば、別れることへの抵抗がなくなる……。ちょっと怪我をしたからもうやめる、みたいな人としての弱さが出てしまっているが、無理をして一緒にいるようなものでもない。
熱は冷める。恋愛なんて、その最たるものだ。
そして、そのカップルは付き合っていた当時の記憶を失った。
彼、彼女との思い出はなくなるが、当時、楽しんだことは経験値として残っている。ふたりでいった旅行はひとり旅のように、もしくはパートナーとは違う、同性と遊んだことのように。
記憶は消えるのではなく上書きされるのだ。
だから、記憶に空白は生まれない。
違和感を抱きづらいまま、元カップルはそれぞれ新しい恋を始めるのだ。
#
「……おねーさん、飲み過ぎたんじゃない?」
夜の公園、ベンチにはおっさんのようにえずいていた美人がいた。
すらりとした手足を持つ細い女性。
彼女――長い黒髪美人が顔を上げる。
口の端からよだれが垂れていたが、それだけでは美人は濁らない。
「……あぁ?」
「怖っ。……吐くなら、後ろの茂みの中にしてくださいよ」
「う、うひひ……今ならわたしのこと、襲いほーだい、なのに……なんもしねーのー? それでもちんちんついてんのかてめー」
「すげえこと言ってんな……それでも美人が崩れてないのは、さすが美人って感じだ」
こういうところを見ると、「美人は得だよねえ」と言う女性の気持ちがよく分かる。
言った人によって言葉の重さが変わるように、美人が言うと、その行為が悪質でも許せてしまう気持ちになる……、危ない誘導ではあるのだが……。
「あー、ねむぃ」
「ベンチで寝ると服を剝かれますよ……おれはしないっすけど。そこらへんにいる猿みたいな男は、おねーさんみたいな美人なら、連れていって味見しちゃうかもしれないっすね」
「ふーん……それで? 守ってくれないの? 保護してよおにーさん」
「あとで騒がれても面倒だから嫌です」
「あそ。今ここで騒がれるのとどっちがいいわけー?」
「……べつに、ここで騒がれてもおれはなんもしてないんで、」
「きゃーたすけてーレ◯プされるーっ!!」
「てめえこのやろう!!」
夜中なので周りに人はいなかったが……、叫ばれた時はゾッとした。
言った当人は目の前でけらけらと笑っているが……あぁ……殴りたい……。
強姦はしないが、暴行への抵抗は薄れてきた男だった。
「ねえ、連れてって。あなたの家のふかふかベッドで寝たいな」
「ふかふかとは限りませんが?」
「ふかふかにしろ」
「無茶ぶりすぎる……。はぁ、いいっすよ、じゃあ、連れていきますから」
ここでごねても、問題は解決しないと悟った。
彼女に話しかけてしまった自分が悪い、と反省し、男が彼女の手を引いた。
「やったぜふぅ!! あ、コンビニに寄ってもいーい? ビールが欲しいの」
「これ以上飲んでどうするんですか。うちでは絶対に吐かせないからな?」
女性に肩を貸し、男が自宅へ連れていった。
もちろん、やましい気持ちはなく、保護と介護という意味でだが――――
だが、その後、女性の暴走により、ふたりは大人の関係となった。
#
朝、ベッドに並んで寝ていた。
男は、心の中で頭を抱え、あぁ……夢じゃない、と現実を見るしかなかった。
隣に寝ていた、酔いが醒めたらしい女性が、男を見て優しく微笑んでいた。
酔うと乱暴になるが、普段はおっとりとしたモテそうな美人なのだそう――
酔っていなければ清楚で魅力的なおねーさんだ。
「昨日はありがとね……よくは覚えていないんだけど、きっと君が介護してくれたんでしょ? それと、ごめんね、襲っちゃって……責任、取るから」
「責任って……」
「お付き合いしよ。……君が良ければ、だけど……する……?」
「――する、します」
「ふふ……じゃあ、よろしくね」
こうして、ふたりは正式にカップルとなった。
”52回目”である。
付き合って、別れて、を繰り返し。
52回目となるお付き合いが開始した。
記憶がないからこそ――ふたりは互いに、またまた、惹かれ合う。
どれだけ別れたとしても、相性の良さは変わらないのだった。
… おわり
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