第35話 メイアルンでの日々

 晩餐会から数日。エリアノアの行う執務をラズロルがサポートしながら、穏やかに日々は過ぎていっていた。


「ラズがいてくれると、書類の処理が早く終わるわ。本当にありがとう」

「俺にできることをしているだけだよ。それにメイアルンの役人は、無駄がなくて良いね」

「そう言って貰えるの、本当に嬉しいわ。彼らはとても優秀なの。それにどんどん提案もしてくれる」

「それにはびっくりしたよ。ずいぶんと提案が多くてさ」


 書類の束をパラパラとめくりながら、楽しそうにラズロルが笑う。それらは、役人たちが始めてみたい、改善してみたいことへの提案書や企画書と予算計画書類だった。


「以前はそうでもなかったのよ。でも領内での成功があれば、同じ施策を国全土でも行える可能性がある、と伝えたら、皆やる気になってくれたの。書類に関しても、国に提案する時に基本資料に添付すると言ってあるわ」


 すでにいくつかの施策は、エリアノアの言葉通り、カイザラント王国の国政に取り入れられている。それは一子爵として、正式に会議を通したものであり、だからこそ領民たちにはやる気がみなぎっているのである。


「なるほど。だから、資料も見やすいのか」


 エリアノアが子爵としてメイアルンを継受した時には、まだ幼い少女が領主であることに不満が多く募った。当然であろう。当時彼女は11歳である。

 しかしわずか11歳の少女が、差し障りのない領地運営をしていた役人たちの問題点を切り出していった。ほんの一年で、エリアノアは領地の役人や有力者をうまく丸め込みながら、膿を吐き出していく。

 その中で彼らの不満を抑える為に口にしたのが、国政への展開であった。


「通常であれば誰も信用しない言葉だけど、その時私はもう第一王子の婚約者であったし、父は国政の要でもあった。私にとっての役者も、舞台も揃っていたのよ」


 あくまでも己の力量ではないと言うが、エリアノアの学びから得た知識と現地での観察眼、人柄、対応力、そうした全てのものが判断された部分が、実は大きい。

 また、エリアノアはそれまで家柄重視であった役人登用を、能力重視に切り替えていった。同時に、メイアルン出身ではなくとも、メイアルンに移住していれば役人になることを許可し、人材確保を明言。それにより、能力はあっても活躍の場がなかった者が、メイアルンに集まるようになった。


「第一王子は愚かだな」

「まぁ、今更どうして」


 そんなことはわかりきっているだろう、と言わんばかりの答えで微笑めば、ラズロルも笑う。


「こんなにも能力も品位も知性も高い女性を、己のプライドごときで手放してしまうなんて」

「ラズったら。……でも、私が彼のプライドを刺激しない女性であれば、第一王子の婚約者としては、不適格だったと思うわ」

「それもそうだ」


 暗に第一王子は愚鈍だ、とお互いに口にする。笑いながら紅茶を飲み、一息吐く。そろそろ書類のチェックも終了、というところで扉の外から執事の声がした。


「エリアノア様、よろしいでしょうか」

「ええ、構わないわ」

「領地地理部局のザワムク様が、至急エリアノア様にご面会を、と」

「なにかしら。構わないわ、お通しして」


 領地地理部局とは、領地内の土地を統括している部門だ。ザワムク・ムルシュは隣のジェノア領の農家出身だが、エリアノアの改革を知り移住してきた。役人として働き出したのは三年前だが、すでに領地地理部局の管理責任者を任されている。


「失礼いたします。エリアノア様、ガブシェざんの麓から温泉が湧きました」

「温泉が?」


 ガブシェ山は、北のサンドレイア帝国の一部に接している山である。その付近は新たに開墾しようと調査が入っているところだった。


「調査の為掘削していたら、湧き出したそうです。湯量は豊富で、温度は高く63度、成分は現在調査中です」

「ありがとう。すぐに現地に視察に行きたいのだけれど、問題ないかしら」

「至極当然にございます」


 突然のエリアノアの訪問であっても、格段の対応をする必要のないことは、この5年間で浸透させていった。しかし、それでも断りを入れることは必ずする。それが潤滑に遣り取りをする為の方策であった。

 エリアノアの目線に、ラズロルも頷く。すぐに執事グラーグスが三人が乗る為の船を用意し、乗り込んだ。

 領主の館からガブシェ山までは、川を50分ほど上る。途中で川が分岐し、ガブシェ山に端を発する支流へ入っていった。周辺は畑が多く、数多くの果実が収穫を待っている。船着き場に降りると、馬車が用意されていた。それに乗り、湧出地の間近で降りる。


「すごい熱気ね」

「あまり温泉のにおいはしないな」

「こちらでございます。足元にご注意くださいませ」


 ラズロルに手を預け、さらに近くに向かう。


「エリアノア様!」

「ようこそおいでくださいました。お足元にご注意ください」

「おめでとうございます。温泉です」


 エリアノアが近付くと、作業をしている領民が口々に喜びを述べながら頭を下げる。ご苦労さま、と声をかけながら彼女は笑いかけた。その笑みに、その場にいる領民は皆幸せそうな表情を浮かべる。


「きゃっ」

「危ない!」


 階段を降りる時に足を滑らせ、エリアノアが転びそうになった。触れていた掌を強く握り、ラズロルが引き寄せる。もう片方の腕がエリアノアの腰にまわり、片手で抱え込むようにして助け起こした。

 ふわりと足元が軽くなる。滑った時の宙に浮く感覚かと思ったエリアノアは、ラズロルに抱きかかえられていることに気付き、思わず赤くなってしまった。


「大丈夫?」

「あ……、え、ええありがとう」


 彼女を抱き上げて階下まで連れて行く。平坦な場所でそっと降ろした。その一連の所作に、その場にいた領民たちは惚れ惚れとする。第一王子との破談後、まだ婚約者の発表はされていないが、この男にならば大切な領主を任せても良い、そう各自が思っていた。


「エリーに怪我がないなら良かった。流れている湯で、滑りやすくなっているな」

「助かったわ。本当にありがとう──こんなところを見せてしまって、ちょっと恥ずかしいけれど」

「いや、俺としてはずっと抱き上げてても良いんだが」

「それはちょっと……」


 赤くなり、尻つぼみになる声。

 今まで厳しくも優しい女神のような存在だったエリアノアの思わぬ可愛らしい表情に、その場の皆は心を震わせた。


「皆も、手を止めさせてしまったわね。とても熱い湯が出ているので、怪我のないように──なんて、私が今言っても説得力がないけど」


 その言葉に、皆が笑う。エリアノアもラズロルも、また同じように笑った。



   *



 視察を終え、領主の館へと戻る。

 温泉の活用方法については、成分調査後に報告書とともに企画書を提出するということで決まった。それと並行して、エリアノア、ラズロル、そしてザワムクも加わり、先行案も検討していく。


「観光資源が生まれたわね」

「あれだけの湯量なら、いろいろなことに活用できそうだ」


 メイアルンの地図を広げながら、3人は思案する。ガブシェ山の麓の湧出した場所に赤いピンを立て、付近の地理を指でなぞっていく。


「先ずはあの湯温を、活用するべきだと思う」


 温泉リゾートを作ろうかと考えていた、エリアノアとザワムクが彼を見た。


「せっかくの湯量なんだ。湯温を水で薄めて下げるべきではない。例えば──そうだな。成分にもよるけど、木で樋を作ってそこを通す」

「なるほど、その間に温度が下がるわけですね」

「そう、そしてその樋を通したすぐ上に、温室を作る」

「お湯の熱で、温室を温めるということ?」

「そう。そこで作物を育てながら、温泉施設までお湯を運んでいく。採れた作物は、その温泉で供する。どうだろうか」

「それは良いアイデアです! 成分調査後すぐに、農林部局長と打ち合わせを」

「ああ、それだったら先に打ち合わせをしたあとに、企画案を作っている者たちにも共有して。そこから追加のアイデアが出るかもしれないから」

「確かにその通りでございます。他のアイデアを募集しても?」

「勿論よ。全ての企画書が出てきたら、全部署の責任者を呼んで会議をしましょう。他の専門部門からもアイデアが出る可能性があるわ」

「ワクワクするね。温泉を入浴以外で活用しているのは、他の領地では聞かない。これが前例となれば、国策に取り上げられる可能性が高いんじゃないかな」


 ラズロルのその言葉に、ザワムクの頬が紅潮する。それを見たエリアノアは、ザワムクの手をとった。


「エ、エリアノア様?」

「今の言葉を、皆にも伝えて頂けるかしら。きっと励みになるわ」

「勿体ないお言葉。必ずや申し伝えます」


 今にも泣き出しそうな表情で喜ぶザワムクに、二人は休憩を取ろう、と笑いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る