第7話 観劇
(何がどうして、こうなった)
エリアノアの脳内には、それが浮かんでは、できる限り理論的な回答を探し、みつけられないまま、再び同じ言葉が浮かぶ。
数日前、サノファ第一王子から観劇の誘いがあった。今まで誘いをしてこなかったサノファが、今人気の芝居を見に行こうなどと、いわゆるデートの誘いをしてきたことに驚く。だが、それ以上に驚いたのは、手紙の続きだった。
『ぜひ、ミレイ嬢も連れてくるように』
その一文に驚き、話の続きを便箋の二枚目に探すが、どこにもない。理由も書かずにそう指示してきたサノファに、頭が痛くなるばかりだ。
だが、第一王子の指示。従わないわけにはいかない。行儀見習いの一環ということにし、ミレイも同行させることにした。
しかし。
(どうしてこの席の並びなのよ)
通常であれば貴賓席の上席側から、サノファ、エリアノア、ミレイと続く筈だ。それが、ミレイ、サノファ、エリアノアとなっている。
「私も殿下のお隣で、お話を伺いたいですぅ」
観劇中に話などするわけがないでしょう、と反論をしたくなる言い分に、何故か──何故かもなにもないのだろうが──サノファが理解を示し、この席順になったのだ。これでは他者への示しがつかない。せめてミレイとエリアノアを交換すべきと進言したが、サノファが頑として譲らずこうなってしまった。
(国王、大臣、メイド、でメイドが一番上座に座っている様なものよ)
貴族としての常識としても、さすがに民の中であってもありえないこと過ぎて、脳内でのツッコミが止まらない。
そもそも本質的に言えば、血筋的にはサノファよりもエリアノアの方が高貴である。サノファの父親は王であるが、母親は侯爵家の娘。一方のエリアノアは父親が王弟であり、母親はカイザラント王国に次ぐ規模の、ミンドリアル王国の第三王女だからだ。彼女にも、末位だが両国に王位継承権がある。
その為、万一サノファを中央に置く座席であれば、エリアノアを上座にするのは当然であった。それ以上に、行儀見習いにあがっている娘が、主家の娘より上席に座ることなどあり得ない。
(まぁ、殿下がそのつもりなら、仕方がないんだけど。あぁ、この感じ……。この先、嫌な予感しかないわ)
心の中で溜め息を吐きつつ、静かに舞台を見ることにした。
*
「サノファ様ありがとうございます。楽しかったです!」
「ミレイ。殿下、と」
「よい。ミレイにはそう呼ばせよう」
「……左様でございますか」
(これはいよいよ、頭が痛い)
「サノファ様、そう呼ばせていただけるなんて嬉しいです。それに、私初めてお芝居を観ました」
「それは良かった。エリアノアはこうした催しには連れてきてくれないのか」
「ミレイが来てからまだ日も浅いですから。そのうちに、とは思っておりましたが」
「なるほどな。また連れてきてやろう」
調子に乗って約束をするサノファを見て、これはもう末期だな、などとぼんやりと思う。
(ミレイの言動は、安っぽい媚を売る女のそれだけど、彼女は殿下を狙っているのか。それとも王妃という立場を狙っているのか。まぁ、王妃は、というよりも王子の妃という立場は、もう狙えないと思うんだけどねぇ。平民の物語とかだと、なれるものなのかしらね)
もしかしたら、王都などで平民から王妃になる夢物語が流行っているのかもしれない。そう考えてみるも、普通に考えて、それを現実にしようとする者がいるとはあまり思えなかった。夢物語は夢物語だからこそ面白い。
しかし、サノファがミレイを気に入っているのは明らかだ。確かにかわいらしい顔をしている。その上、貴族令嬢らしからぬ幼稚さが、サノファの劣等感を救い上げるのだろう。
(あんなに浮かれた顔をして。熱病に浮かされているような、そんな勢いね)
エリアノアと婚約した頃には、サノファもそんな顔をしていた筈だった。もうすでに遠い昔と感じる、あの頃。やわらかな表情の幼い少年の顔を、エリアノアに見せることはもうない。
(あの頃、少しだけ見たことのある顔に似てるわ)
わずかなノスタルジアに浸っていると、サノファから驚く言葉が綴られた。
「そうだ。今日の記念に、宝石でも買おうか」
「本当ですか?!」
「──殿下、さすがにこちらに宝石商を呼ばれるのは」
「ええー、せっかくサノファ様がおっしゃってるのに」
「ミレイ。お控えなさい」
エリアノアの表情に、ミレイは押し黙る。
「エリアノアは怖いな。別にこの部屋に他の者は入れない。構わないだろう」
王族用の貴賓室だ。少なくともミレイは同席することが許されない立場だが、連れ込んでいる。それを宝石商などという、どこの貴族の家にも出入りが可能な者に見せるわけにはいかなかった。
「王城のサロンでゆっくりと選ぶ方がよろしいでしょう。ここでものを広げるのは、落ち着かないのでは?」
彼女の言い分にサノファも納得したのか、素直に同意する。
「確かにな。ではこのまま王城に戻ろう。そちらに宝石商を呼んでおくように」
そう口にすれば、サノファ付きの側仕えが一人動く。これでどうにかこの場の体面が取り繕える。サノファとミレイ以外の人間が密かに安堵したことを、渦中の二人はまったく気が付いていなかった。
「失礼します。本日の座長と主演役者の挨拶でございます」
侍従が取次をする。二人の入室を許可する前に、ミレイの座る席を侍女の近くに移させた。
「えっ、私も役者さんの近くでご挨拶したいです」
「いけません。私の後ろに下がりなさい」
「ミレイ、今はそこで我慢してくれ」
エリアノアの強い口調に、サノファも強く出ることができない。
(ふぅん。今は、ね。もう少し口にする言葉に気を遣って貰えないかしらねぇ。本音が漏れすぎてる。第一王子として、情けない)
サノファはミレイを側に置くつもりだろう。それはそれで勝手にすれば良い、とエリアノアは思っている。ただし、正当な手続きを踏まえた上であり、あくまて妾という立場であればだが。
ミレイには、どう言って聞かせれば良いのか。
エリアノアは頭だけではなく、胃まで痛くなってきそうな気がしていた。
*
エリアノアが第一王子であるサノファと婚約したのは、彼女が五歳になった時だった。
「サノファだ」
そう名乗った彼はエリアノアより三歳年上の八歳。
「サノファ殿下、どうぞよろしくお願いします」
年齢以上と思える礼を美しく披露したエリアノアに、サノファはやわらかな笑顔を返した。
(なんてきれいなグレーの瞳。金色の髪の毛も素敵だわ)
「エリアノアは、きれいな髪の色をしているな。まるで水の女神カイアルファトゥールのようだ」
「おそれ多くも嬉しいことです」
「城の奥の、秘密の場所に連れて行ってやろう」
「ぜひお連れください」
小さなエリアノアの手を引き、城内の側妃の森の奥へと彼女を連れて行くサノファを、周りの大人たちはホッとしたような顔で見守っていた。
城の中であれば、衛兵が数多くおり、その上、側妃の森はごく限られた人物しか立ち入ることができない宮の、さらに先にある。
王子とその小さな婚約者のあとを追う侍従と侍女も、わずかな人数で問題がなかった。
「待って、待ってくださいませ殿下」
「あ、すまない。早かったか」
「追いつけず、申し訳ありません」
「よい。僕が急ぎすぎたんだ。早くエリアノアに見せたくて」
照れるように、顔をくしゃりと歪ませて笑うサノファに、エリアノアはまるで花がほころぶ様に笑いかける。
「殿下のそのお気持ちが、とても嬉しいです。遅れないように、ついていきますわ」
「ああ。エリアノアは僕がずっと守るからね。ちゃんと僕についてくるんだ」
「仰せのままに」
ゆっくりとカーテシーを見せるエリアノアの手の甲に、サノファがキスをした。まるでそれ自体が婚約の儀に見えるほど、美しい光景だ。
「母上が、エリアノアと結婚すれば、僕は王になれると言っていた。でも、僕はその為だけにエリアノアと婚約するわけじゃないから」
その言葉に、エリアノアが目を丸くする。
「まぁ。殿下、それはとても光栄なことです」
「……一目見て、きれいだって思ったんだ」
「殿下」
「その髪も、青い瞳も。まるでこの森の……あっ、そうだ。連れて行くから」
思い出したように、再び森の中へ入っていく。
子どもの足だ。さほど距離がなくとも、遠く感じる。そろそろだろうか、とエリアノアが思ったよりほんの数分の後。
「ここ!」
サノファが気に入っているという森の奥。美しい泉がそこにはあった。
この国が信奉している、水の女神カイアルファトゥールを象った彫像が中心に建っている。彼女の持つ水瓶から水が流れ、光を浴びて輝いていた。
「ほら。エリアノアの髪みたいだろう」
絶対に喜ぶだろうという顔でエリアノアを見る。純粋な傲慢さを、それとは思わずに彼女は愛おしく感じた。
「殿下の髪も、キラキラと輝いて美しいですわ」
彼女の言葉に、サノファは嬉しそうに笑う。思っている好意をどう伝えるべきか。王子として敬われ、愛されてはきたが、愛情表現の方法は、誰も教えてくれていなかった。
近くに咲く花を一輪摘む。
「エリアノア。僕はお前が好ましいと思っている」
花をエリアノアに手渡し、そう告げる。
精一杯の表現に、密かに控えていた侍従と侍女が目を合わせた。
──これで安心だ。
口にはしないが、二人とも同じように思ったのであろう。小さく頷きあい、再び王子と婚約者をそっと見守る。
「サノファ殿下。どうぞ私をお選び下さい」
花を受け取り、腰を深く落とす。エリアノアがゆるりと差し出した手を、そっと握る。青い瞳が映すサノファは、今まで浮かべたことがないほどの笑顔をたたえた。
「無論だ。僕の嫁になれ」
エリアノアの口にした言葉の意味と、サノファが受け取った言葉の意味の違いなど知る由もないまま、彼はエリアノアの手をとったのだった。
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