狂おしいほど愛しています。なので他所に嫁ぐことに致します

ちより

第1話 公爵の婚約者

 あぁ、エル様がこんなにもお近くに。初めてお会いした時からずっとお慕いしておりますわ。ようやく貴方様をお招きする機会が出来ましたわ。


 エル・ニシェード・ブラン様。今日も素敵な立ち振る舞いですわ。所作も姿勢から指先まで、なんて優雅な身のこなしでしょう。


 おそらくは10mは離れているだろう距離から、視線に気づかれないようその美しい姿を目に焼きつける。


「カレン、いけないな。婚約者のエスコートを受けている最中に他の男性を見つめるなど」


「あら……ウェイド様こそ。ブラン伯爵夫人のお美しい微笑みに釘づけになっていたではありませんか。扇で顔を隠せる私とは違って、殿方の視線はすぐに周りに気づかれやすいもの……公爵様ならもっとお気をつけるべきではありませんこと?」


 片腕をエスコートに差し出し、穏やかな声でそっと耳打ちしてきたこの男は、公爵家に生まれながら数多くの事業を手がけ、既に一代で築きあげた財は一国に並ぶほどとも言われている。20代という若さで爵位を継ぐ異例の快挙に、王ですら彼の機嫌を損ねないよう気を配っているのだとか。



 次々に挨拶をと声をかける他の貴族達を相手にしながら、この男の頭は愛しのエル様の妻、ニーナ伯爵夫人でいっぱいなのだろう。


「…………」


「あら、図星でしたかしら」


 本当は彼の視線が彼女に向いていたかなど興味はない。


 こちとら久しぶりの生身のエル様を拝んでいるんですから他の方の視線なんて気にしている場合ではありませんのよ!!


 だが、彼の反応を見る限り図星だったのだろう。すました顔をしているようで、耳がほんのり赤くなっている。


 『仮面の公爵』なんてあだ名がつくほど、彼はその表情を崩さない。まぶしい笑顔をもつエル様とは違って、無表情で何を考えているかなんて分からない男だ。だが、その圧倒的な財力と地位、そして整った顔立ちからか、公爵になるやいなや以前にも増して縁談話が押し寄せた。王族が絡む前に終止符を打つ為、私は彼の婚約者として選ばれた。


 まぁ、私の侯爵としての無難な家柄も理由の1つでしょうが、絶対に自分を好きにならないと見抜かれたのが大きいでしょうね。


「お耳、赤くなっていますわよ?」


「…………」


 公爵様に挨拶をと近づく者が来る前に、持っていたワインを彼に手渡す。


「なんだか私には強かったようですわ。代わりに飲んでもらってばかりで申し訳ありません」


「……そのようだな」


「ははは、ウェイド君もずいぶん飲まれたようですな。珍しく顔が赤いようで。おっと、失礼。もうリドル公爵様でしたな」


「かまいません。まだまだ若輩者ですから」


 明らかにもっと酔っているであろう、どこぞの年配者が割って入る。隣で息子らしき青年が顔を青ざめながら必死で父上と言って距離を取らせようとしている。


「それにしてもお似合いの2人だ。まさかお相手が侯爵家のご令嬢とは意外でしたが」


「意外とは?」


「あなた様なら王族からでも選び放題だったでしょう。そうすれば4家紋の公爵家の中でもっと格差をつけられましたのに」


「…………」


 公爵家は4つの家紋からのみ成り立っている為、公爵家同士の婚姻は許されていない。その為、多くの公爵家はその次の身分である侯爵から相手を選ぶことが多い。だが、彼ほどの実力があれば、当然王族から迎え入れ、一気に箔はくをつけようとする方が自然だ。



 確かに、他の方から見れば私との婚姻に大きなメリットはないですわ。まさか彼に想い人がいるなんて誰も想像できないですもの。愛のない結婚なんて貴族ならよくあることですけど私には分かりますわ!! 夫婦として過ごす以上、他に愛する人がいることを欺くなんて無理ですもの。同じ結ばれない想いを持つ同士として、私は彼の形だけの妻役、全力でこなさせてもらいますわ!! とりあえずこの失礼極まりない男の無礼にも黙ってやり過ごすのがリドル家としては1番いいはずですわ。



「……当然、家柄も重視しますが」


 ん? 無視しない、のですか?


「僕は彼女が(形式上の夫婦を演じてもらえるのに)最もふさわしい相手だと思ったから婚姻を申し出たまでです。これでも人を見る目は多少あると自負しておりますので」


 っ!? 


 さっきまで相手にしないって対応していたのに急にどうしたんですのっ!? もちろん、私には省いた部分がちゃんと分かりますけど、そんな言い方をしたらまるで私に好意をもっているように聞こえますわ!?


 ウェイドの顔は冷ややかだ。


「あっ、いや……お熱いことで。ははは、そうだ。ご婚約おめでとうございます。是非今後とも我が家紋とも……」


「今後も引き続き良い関係を保ちましょう。ノヴェル侯爵」


 言い方は丁寧ですけど、今後も距離を縮めるつもりはないってはっきり言ったも同然ですわね。それにしても侯爵でもあまり聞いたことのない家紋なのに、ご存知だなんて。


 公爵とは異なり、他の貴族は数えきれないほどいる。


 有名どころを覚えるだけでも大変だというのに、この男はどこまで把握しているのかしら。


「はは。そんなことはおっしゃらずに。そうだ、今日は私の倅せがれを連れて来てましてな。まだこういった場には不慣れですが、若者どうし是非今後ともお近づきに」


「あぁ、別に紹介は結構です。彼なら5才の時のパーティで挨拶は済ましておりますので」


「っ!? そうなのか?? お前なぜ前もってそのことを」


「父上、そのような昔のことはさすがに……」


「……そういうことですので、失礼致します。優秀な人材と交流を深める時間は有限ですので。さぁ、行こうか」


「えっ、えぇ」


 まぁ、幼かったと言っても、公爵、王族との関わりを覚えていないって言ってるくらいならあの家もおしまいですわね。


 ウェイドはその場を去るように歩く。


 って、え。その方向は……まさか……


「こっ、公爵様!! あの……本日はご招待いただきましてありがとうございます」


 エル様!?

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