記憶喪失の私、路地裏の図書館で「失われた感情の栞」を拾う ~秘密を抱えた司書さんと、未解決事件の記憶を巡る都市伝説~
@ruka-yoiyami
第一部タイトル:記憶の空白、秘められた真実
第1話:空白の私と、忘れられた声の栞
アスファルトの熱気が肌にまとわりつく、真夏の午後だった。蝉時雨が耳障りなほど降り注ぐ大通りから一本入った途端、そこだけ時間が止まったような静寂に包まれた。古い木造家屋が肩を寄せ合う路地裏。湿った空気と、どこか懐かしい埃っぽい匂い。私は、スマートフォンの地図アプリを睨みつけながら、何度目かのため息をついた。
「また、道に迷ってる……」
記憶喪失になってから、これが日常になってしまった。半年前、交通事故で頭を打ち、意識を取り戻した時には、自分の名前と、大学の学生証に記された顔写真が自分だということ以外、何も覚えていなかった。家族も友人も、趣味も好きだったものも、まるで白い霧の中に消えてしまったかのようだ。心にはぽっかりと穴が空き、それが常に冷たい風を吹き込んでいるような、そんな感覚が私を苛んでいた。
焦燥感に駆られ、適当な路地へ足を踏み入れると、ひっそりと佇む一軒の建物が目に留まった。古びた木製の扉には、店名らしい看板すら見当たらない。ただ、硝子窓の向こうに、古書の背表紙がびっしりと並んでいるのが見えた。図書館? こんな場所に? 不思議に思いながらも、まるで何かに吸い寄せられるように、私はその扉に手をかけた。
ギィ、と鈍い音を立てて扉が開くと、ひんやりとした空気が肌を撫でた。中は薄暗く、埃と、紙と、そして微かに甘い、花のようなくすんだ香りが混じり合っていた。奥には、天井まで届くほどの本棚がそびえ立ち、その間を縫うように、古めかしいテーブルと椅子が点在している。どこか懐かしいような、それでいて一度も来たことのないような、不思議な既視感が私を包んだ。
「いらっしゃい、佐倉アオイさん」
突然、背後から声をかけられ、私はびくりと肩を震わせた。振り返ると、そこには背の低い、皺の深い老婦人が立っていた。彼女は、私の存在に全く驚いた様子もなく、ただ静かに微笑んでいる。その瞳は、人生の全てを見透かすかのように深く、私の心の空白すらも全て知り尽くしているかのようだった。
「どうして、私の名前を……?」
混乱しながら尋ねると、老婦人は何も答えず、手にした一冊の古書を開いた。そして、その中から、一枚の古い栞を取り出した。それは、まるで透明な琥珀の中に、何かの感情が閉じ込められているかのように、微かに輝いていた。
「あなたが探しているのは、これでしょう?」
老婦人は、栞を私の方に差し出した。まるで、それが私自身の失われた記憶であるかのように。恐る恐る、私はその栞を受け取った。すると、指先に触れた瞬間、冷たいような、温かいような、奇妙な感覚が走った。そして、脳裏に一瞬だけ、鮮烈な「映像」がフラッシュバックした。
──雨の音。誰かのすすり泣く声。そして、強く握りしめられた、小さな手のひらの感触──。
「っ……!」
私は、思わず栞を取り落としそうになった。何、これ? 今のは一体……?
「それは、『記憶の栞』。人々の失われた感情や、誰にも読まれることのない秘密の物語が、結晶化したものです」
老婦人は、淡々と説明した。彼女の声は、どこか遠い過去から響いているようにも聞こえた。
「そして、あなたには、この『宵闇文庫』で、その栞を整理する仕事を手伝ってほしいのです。そうすれば、きっと、あなたの探している『空白』も、見つかるはず」
私の失われた記憶が、この場所にある? 老婦人の言葉に、私の心は激しく揺さぶられた。不気味さと、抗いがたい期待が、胸の奥で混じり合う。まるで、ずっと探していたピースが、今、目の前に提示されたような感覚だった。私は、この不思議な図書館に、そして、謎めいた老婦人の提案に、強く惹きつけられていた。自分の空白を埋めるために。そして、あのフラッシュバックの真の意味を知るために。
私は、無意識のうちに頷いていた。これが、私の新しい日常の始まり。そして、誰かの、そして私自身の、忘れられた物語を巡る旅の始まりになることを、この時の私はまだ知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます