2つの王国(3)
今日は暑さがさほど厳しくない。午後の最も暑い時間帯に差しかかろうとしているのに、気温はなんと25度しかない。心なしか、午後に入っても歩いている巡礼者の姿がいつもより多い気がする。涼しいのは助かるけれど、リュックの左右に差し込んだ2本のペットボトルの中身が全然減らない。そのせいで、肩ベルトが両肩に食い込んで痛い。
前方にアジア系の女性巡礼がひとりで歩いている。追いついて「ブエン・カミーノ!」と声をかけると彼女も笑顔で返してくれた。何気なく「どこから来たの?」と訊ねると「台湾からよ」という答え。今回のサンティアゴ巡礼で出会った3人目の台湾人。僕が日本から来たと言うと、
「初めて日本人の巡礼に会った!」
やっぱりそうだよね、僕だっていまだにひとりも日本人に会っていないんだから。
彼女は日本を旅行で訪れたことがあり、行った場所は東京、京都、北海道とのこと。あれ? どこかで聞いたような? そうか、この3か所はスチュアート夫妻とまるっきり同じ組み合わせだ。僕の頭の中では、東京、京都、ときたら、次は大阪が続くはずなんだけど、どうも最近は違うらしい。
カミーノで出会った巡礼者たちは、僕が日本人だと知ると、決まって日本をベタ褒めしてくれる。文化の奥深さ、ホスピタリティの素晴らしさ、テクノロジーの進歩ぶりなど、聞いているこっちが恥ずかしくなってしまうほどだ。そして、実際に日本を訪れたことがある人は、必ず具体的な思い出まで熱心に語ってくれる。そんな話を聞くのは嬉しいし、誇らしい気持ちにもなるのも事実だ。
でも、ふと20年後のことを想像してしまう。その時、彼らは今と同じように日本を絶賛してくれるだろうか? 残念ながら、僕には答えに確信が持てない。
地方はどんどん勢いを失い、見るべき物は何もかもが都会に集中していく。でも、大都会なんてどの国もほとんど似たり寄ったり、というのが僕の持論だ。ハイブランドが立ち並ぶファッションビルを目当てに日本を訪れる観光客なんて、そのうち減ってしまうだろう。たぶん、日本が本当に誇れるものは地方にこそ眠っているはずで、それを失ってしまえば日本の魅力も薄れていってしまう。
それに、地方をないがしろにしたままでは、都会の魅力すら持続できない気がする。ふと、東京・外苑地区の再開発が話題になったことを思い出した。多くの人に愛された自然や景観を壊し、個性のない大型商業ビルを建設するという計画だ。見るべきものが減っていく東京を、20年後も「特別な街」と思ってくれる外国人は、果たしてどれほど残っているだろう。
しばらく一緒に歩いた後、小さな村で彼女とは別れた。ここから今日のゴールまではあと1時間ほどの道のりだ。甲冑に身を包んだ巡礼騎士のブリキ像が道の途中に立っていた。
午後3時前にモラティノスの村に到着。今日は30キロ以上歩くつもりだったから早めに出発したものの、結局7時間ほどで歩き切ってしまった。一日中涼しかったおかがで疲労感もほとんどないし、なんだか拍子抜けした気分だ。
モラティノスは人口100人ほどの小さな村。村の中心に、ブランコや滑り台が備え付けられた公園がある。公園の四隅に立つ木々の間にロープが渡され、そこにカラフルなタペストリーが国旗のように揺れていた。近づいてみると、それらは少しゴワゴワとした、厚手のウールのような生地で編まれていた。
イタリア人の家族が経営するアルベルゲの入り口に、7つの言語で「裏庭からお入りください」と書かれていた。一番下には日本語表記まである。日本人の巡礼者が泊まることもあるということだ。
チェックインを済ませ、まずは部屋に向かおうとすると、廊下の壁に額縁入りの賞状のような、A4大の紙が飾られているのが目に留まった。そこには「Shiatsu-do」の文字が見える。イタリア語の文面は理解できないものの、どうやらこの宿の主人は指圧の先生でもあるらしい。もしかして、お願いしたらマッサージしてもらえたりして。
ちょうど出くわした主人に、指圧の証明書を見たと伝えたけれど、どうにも反応が薄い。「指圧?なんだそれ?」みたいな感じで、話が通じていない。僕の発音が悪いのか、それとも「Shiatsu-do」に何か別の意味があるのか。ちょっと戸惑いながらも、それ以上突っ込むのはやめておいた。
手早くシャワーを浴び、Tシャツやズボン、下着を水洗いして干す。気温はそれほど高くないけれど、天気が良いから乾くのも早いだろう。
しばらくベッドでぼんやりとしていると、じきに夕食の時間になった。
夕飯はイタリアンパスタ。それとやっぱり赤ワイン。8人ほどの宿泊客でひとつのテーブルを囲み、旅の話に花を咲かせる。
その中に、英語がまったく話せないブラジル人の巡礼者がいた。その代わり、彼はスペイン語が流暢だったので、僕はカタコトのスペイン語で会話することになった。でも、そうなのだ。英語ができなくても、スペイン語さえ話せればカミーノでは不自由しないのだ。
プロボクサーだというドイツ人の男が、スマホの画面をこっちに向けて見せてきた。カミーノで出会った巡礼者の国籍を「コレクション」しているとかで、国名がずらりと並んでいる。今のところ17か国集まったそうだが、僕も彼のコレクションに貢献したことは言うまでもない。
彼は英語が苦手で、スペイン語もからきしだったけれど、話に詰まるとスマホにドイツ語で話しかけ、翻訳アプリの画面を周囲に見せる。なるほど、カミーノを歩くのに言語力は必ずしも重要じゃないのかもしれない。歩きたい。旅の途中で出会う人々と何かを共有したい。その気持ちさえあれば、どんな方法でも意思疎通はできるのだ。
ワインのボトルが次々と空いていく。パスタを平らげた後も、テーブルの会話は途切れることがなかった。
* * *
サアグンの町の手前で、マイケルに再開した。3日前の「ビールの宴」でビールはいくら飲んでも問題ないという持論を披露していた、あのドイツ人だ。彼はこの町で少し寄り道して、「カミーノ巡礼中間達成証明書」を発行してもらうつもりらしい。
そういえば、昨夜のディナーの席でも誰かがそんなことを言っていた気がする。あの時は適当に聞き流していたけれど、マイケルと話しているうちに、なんだか僕も「中間達成証明書」が欲しくなってきた。
「僕も一緒に行っていい?」
「もちろんさ!」
マイケルは商用でバレンシアに長く滞在していたとかで、スペイン語が堪能だ。通りがかりのおばあさんに、証明書を発行してくれるナントカいう教会の場所を尋ねたら、早口のスペイン語で答えが返ってきた。僕は全然聞き取れなかったけれど、マイケルはしきりと頷きながらスマホで場所を確認している。
そこから教会までは思ったよりも距離があり、40分ほど歩くことになった。この場所はカミーノのルートから外れているので、僕ひとりだったら絶対に来なかったはずだ。マイケルと再会できたのはラッキーだった。
小高い丘の上に構えた教会の建物は、正面から見ると大学の校舎を思わせる風貌で、壁はややピンクがかった茶色をしている。
扉を開けて中に入ると、すぐ横が受付だった。スタッフにパスポートと巡礼手帳を見せると、手早く証明書を発行してくれる。証明書を折らずに保管できるよう、紙筒も一緒に受け取った。もちろん、どちらも有料。合計で4.5ユーロという金額には教会内に併設された博物館の入場券が含まれているのだが、正直なところ、博物館はパッとしなかった。なるほど、これは「抱き合わせ」にしておかないと苦情が出るかもしれない。
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