アイゼンの涙
S.HAYA
第一章:鉄の眠り
その冬、私はよく空を見ていた。
灰色の空はまるで、この土地にかかる古い夢の幕みたいだった。どこまでも冷たくて、どこにも届かない。
イスラエルからドイツに引っ越してきて三ヶ月。学校にもまだ馴染めず、話しかけてくれる子もいなかった。
父は「新しい土地で新しい人生を」と言っていた。
母は「いつか慣れるわよ」と笑った。
でも私は、心のどこかでずっと叫んでいた。私はまだ、この土地に降り立っていないって。
だから、私はよく歩いた。家の周りの畑を、森の端を、霜に覆われた小道を。
でも一つだけ、父に「絶対に近づくな」と言われた場所がある。納屋。古い鉄骨の倉庫だった。
彼は言った。「あそこにはナチス時代の古い機械が残ってる。危ないし、気味が悪い」
その言葉は、私にとっては鍵だった。危ないものには意味がある。気味の悪いものには記憶がある。
私は、どうしてもその“記憶”を見たくなった。
*
納屋の扉は重く、軋む音が背中を押した。
中に入ると、空気は何十年分もの埃と沈黙でできていた。
暗くはなかった。天窓から光が差していたけれど、それはまるで過去の残像みたいな光だった。
私の足元には、錆びた工具。割れたランプ。誰かの帽子。
それらを踏まないように進んだとき──私は、それを見た。
鉄の巨人。
巨大な鉄の塊。人間の形をしているけれど、あまりに不自然で、あまりに正確だった。
無数のリベット、剥がれた外装、裂けたコード。
肩のあたりには、ドイツ語で刻印が打たれていた。
EISEN 07
アイゼン。鉄。
私は思わず息を飲んだ。
その顔は、ただの機械の面構えだった。動かない、感情のない、鉄の仮面。
だけど、その目だけが……なぜか違った。
焦点を失った赤いレンズ。そこには光も命もなかったはずなのに、私には──そこに感情の形が見えた。
「……あなた、どうしてそんな顔してるの?」
気づけば私は、そう声に出していた。誰に届くわけでもなく、ただ、目の前の“何か”に問いかけるように。
私自身の心に向けて、言ったのかもしれない。
答えはなかった。もちろん。
けれど、その瞬間だった。
カチリ。
音がした。
それは部品が落ちた音でも、風が扉を揺らした音でもなかった。
機械が、動いた音だった。
私は一歩下がった。
巨人の目が──ほんのわずかに、赤く灯った。
呼吸を忘れて、ただ見つめる。
その赤い光は、じっと私を見つめ返していた。
まるで、何十年という時間を超えて、ようやく名前を呼ばれた者のように。
私はなぜだか、泣きそうになった。
この巨人は、ずっと誰かを待っていたんじゃないかって。
誰かが、「おかえり」って言ってくれるのを。
そして、それは──私じゃなきゃ、ダメだったんじゃないかって。
それからしばらく、私たちは何も言わなかった。
ただ、少女と鉄の兵士が、静かな納屋で向かい合っていた。
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