【完結】後宮冥妃は、冷骸陛下を死なせたくない

雨川 透子(最新話はなろうが最速)

第1話

 部屋中の赤い蝋燭に火が灯り、幻想的にゆらゆらと揺れている。


 部屋に焚いている特別な香は、現実と夢の区別がつかなくなりそうなほどに甘いものだ。室内には神聖な力で編んだとされる縄が巡らされている。


 後宮内にあるこの楼に立ち入りを許されるのは、現在ここにいるふたりだけだった。


 そこに跪くのは、朱色の鮮やかな髪色を持ち、煌びやかな衣服に身を包んだひとりの少女だ。


 実のところ、この部屋に焚かれた香も、神秘を強調させる蝋燭の火も、あやしげな力を連想させる縄飾りも必要ない。

 少女の目は淡く紫色に光っていて、彼女が望むだけで『力』を発揮することが出来る。


「恐れながら申し上げます。皇帝陛下」


 少女が跪くその先には、ひとりの青年が立っていた。


 少女の髪よりもさらに赤い衣服を身に纏い、同じく赤色の瞳を持つ青年は、静かで淡々としたまなざしを少女に向けている。


 少女は決して顔を上げず、跪いたまま言葉を続けるのだ。跪いた少女の視界に映るのは、青年の靴先だけなのだが、その上には『三十一』という数字が浮かび上がっている。


「いま見える皇帝陛下の死期は……恐れながら、本日より一月後です」

「…………」


 これを口にするのは、少女にとってとても勇気がいることだった。


(自分がいつ死ぬかを告げられて、動揺しない人間なんていないもの。ましてやそれが一ヶ月後なんて近い未来であれば、尚更だわ)


 恐れ慄くか、怒り狂うか。

 自分たちの死期が近いと分かると、歴代の皇帝たちはみんな『冥妃(めいひ)』に八つ当たりをしてきたのである。


(先代の皇帝陛下は、ご自身の死期を何度も私に読ませては、結果が変わらないことを知って私をぶったし……)


 少女はそっと目を伏せながら、そんな風に考える。


(先々代の皇帝陛下に死期を告げたお母さまは、ひどい罵声を浴びせられた。その前の陛下には、火のついた蝋燭を投げられて……!)


 顔を上げることは出来ないものの、少女は視界の端にうつる青年の、靴の先を見詰める。


(ましてや新しく皇帝になられたこのお方は、とても恐ろしい噂を聞くもの)


 彼はこの国の領土を広げた、偉大なる人物だ。皇太子でありながら自ら戦場に立ち、馬を駆り、戦いに身を投じたのだという。


(その際に見せた血も涙もない残虐性は、味方をも恐れさせたとか……戦場では冷たい表情で敵の骸に囲まれているから、陰で呼ばれる二つ名が冷骸れいがい陛下。そんな人が一ヶ月後に死ぬなんて言われたら、怒って私を斬り捨てるかも……!?)


 少女がむむむとくちびるを結び、自分の行く末を考えて口を開く。


「なにとぞご安心くださいませ、陛下……!」

「……?」


「死期というものは変えられます! 私は十七歳ですが、皇帝陛下の死期を見る『冥妃』として、先代陛下の死期を毎日拝見してきました! 雨の日の風の日も雪の日も、笑顔を絶やさず! 一日に何度『死期見』のご命令をいただいても、必ず笑顔でお返事することを目標にお役目を果たしてきた次第です!」

「…………」


「先代陛下の死期は、先代陛下がたくさんお野菜をお召し上がりになり運動をなさった際には伸び、悪いお酒をたくさんお召しになった際は短くなりました! かように死期とはご自身の行いによって変えられます!! ……という、可能性も、あります……」

「………………」


 ここで希望を持たせすぎては、それが叶わなかったときに叩かれるかもしれない。しおしおと声が小さくなっていく中で、この新たなる皇帝が口を開いた。


「お前、名前はなんと言う」


 お咎めの言葉やお仕置きではない、そんな問い掛けに少し驚く。まばたきをふたつ重ねたあと、母が死んでからは呼ぶ人もいなくなった名前を名乗った。


朱華しゅか、と申します」

朱華しゅか。……顔を上げることを許す」


 本来ならば恐れ多いと辞退するべきだが、うっかり朱華しゅかは顔を上げてしまった。若き皇帝に向けられた声音が、淡白ながらも穏やかだったからだ。


 そして目の前に飛び込んできたのは、絶世とも呼べる美丈夫の姿だった。


 切れ長の双眸に輝くのは、炎のような赤色の瞳だ。それでいて涼しげな二重の目に、通った鼻筋や薄いくちびる。短く切られ、毛先の跳ねた黒髪によく映える赤色の衣には、絢爛な金糸の刺繍が施されている。


(ひえ……)


 あまりにも美しいその青年、十八歳の新皇帝である緋央ひおうは、朱華しゅかに対して冷静に告げた。


「お前には、想い人はいるのか」

「……???」


 ますます訳が分からなくて、朱華しゅかは馬鹿正直に答えてしまう。


「おりません。ご存知かもしれませんが、私の一族の女性は触れた方の死期を見る体質です。その所為でたくさんの諍いを呼ぶため、一族の生き残りが私と母と祖母だけになったとき、先々代陛下のご慈悲によって後宮にお招きいただきましたが……」


 余計な争いを防ぐため、朱華しゅかたちが死期を見るのは皇帝だけに限定すると取り決めがされた。


 それが本当に諍いをなくすためだったのか、死期を見る能力を独占するためだったのかは分からない。けれども結果として、母が亡くなったあとの朱華しゅかが接触できるのは、『皇帝』ただひとりになったのだ。


「私は『死期が見える娘』として、後宮中に気味悪がられ、怖がられていましたので! 想い人どころか友人もおりません!」

「そうか。ならばちょうどいい」


 胸を張って自信満々に告げた朱華しゅかに対し、皇帝は目を眇めて、つまらないことでも告げるかのように言った。



「――お前、俺の妃になれ」


「…………は?」


 この国の頂点である皇帝に対し、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 こうして朱華しゅかは、この美しく残酷で『余命一ヶ月』とされる皇帝の、正妃に任命されたのだった。

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