第2話 プロローグ②
「それで先輩、これから何をするんですか? 僕たち、山にでも登るんですか?」
「ううん、もっと楽しいこと」
「えっ、えぇ……?」
山岳部員がそんなこと言っていいの? 山登り、否定しちゃってない?
姫路先輩の言葉に僕は戸惑い、小戸森さんも苦笑を浮かべている。
しかし僕たちの困惑など気にせず、姫路先輩はどんどん進んでいく。
校舎を回ってしばらく歩くと、先輩が目指している場所が見えてきた。校庭だ。
だが何をするのかまったく予想がつかない。
満開の桜並木をぼんやり眺めながら先輩の後ろを歩く。
「ここってほんとに綺麗ですよね」
僕が呟くと、先輩は振り返って満面の笑みを浮かべた。
「あらあら、綺麗だなんて、鳴瀬くんどういたしまして」
「わぁー、出会って数分で先輩を口説くとか、私良くないと思うなー」
「ちょ、小戸森さん違うんだって!」
僕が言ったのは桜並木のことなのに!
二人は冗談めかして笑っている。
そんな時、ふと僕の中に一つ疑問が浮かび上がってきた。
「あれ、そういえば姫路先輩。他の部員はどうしたんですか?」
帰ってきて誰もいなかったら可哀想だし、合流場所を教えてあげた方が良い。
だが姫路先輩は明後日の方向を見てごまかし始めた。
「えーっと、先輩?」
「ん? 何かしら……?」
「他の部員はどうしたんですか?」
「ほかのぶいん? なにそれおいしそうな名前ね」
「えっ? も、もしかして……その、まさか……山岳部って先輩1人だったりしますか?」
「へぇ、ぶいんね……。うん。ぶいんぶいんしてておいしそう」
露骨に目を逸らして鳴らない口笛を吹く姫路先輩。
「あの、質問に答えてほしいんですけど……」
「……っ。鳴瀬くん、私は今あなたにブーイングを送りたいわ。部員だけに」
「上手いこと言ったみたいな顔しないでくださいよ。なんも上手くないですから」
姫路先輩は少ししたり顔をキメていた。
「それで山岳部は先輩1人なんですか?」
「……っ。認めたくはないけれど、そうね。
でも、今年はもう2人入ってくれそうだし」
姫路先輩は小戸森さんを横目でちらりと見やる。
「私、入りませんよ?」
「ふーん。でも、そう言ってられるのも今のうちよ?」
そう言って、姫路先輩は歩みと止めた。
「はい着いたわ。ここらへん」
着いたのは、人気のない校庭の端っこ。
先輩は背負っていたリュックを下ろしながらそう言った。
「これから私たち、何をするんですか?
時間がかかるようなら遠慮したいんですけど……」
小戸森さんは相変わらず乗り気ではない様子。
「大丈夫。2時間もあれば終わるから」
「えっ……それってだいぶ──」
「それじゃあ早速やっていきましょう」
有無を言わせない姫路先輩。
小戸森さんはそれを見て大きくため息をついた。
「もう今日はいいや……」
どうやら諦めたらしい。
すると、姫路先輩はリュックから保冷バッグとレジ袋を取り出した。
「ということで今からお料理をするわ」
「お、おお……」
「へぇ……」
僕と小戸森さんのまばらな拍手が鳴り響く。
「それではまず、火をつけます」
「た、焚き火するんですか? 私、服に臭いがつくのはちょっと……」
「そんな面倒なことはしないわ。それに私、火起こしなんてできないし」
「えぇ、先輩は山岳部なんじゃないんですか……」
それを聞いて姫路先輩は少し頬を膨らませた。
「みんなそう言うのよ。
山岳部=火起こしできる、じゃない」
姫路先輩はそう言うと、レジ袋から黄色いドーム型の缶とカートリッジらしき金属器具を取り出した。
それを黄色い缶にセットしていく。
「あの、これは……?」
小戸森さんが不思議そうに尋ねる。
「このカートリッジを黄色いガス缶にセットするとコンロになるの」
淡々とそう言いながら、どこからか取り出したマッチで即席のコンロに火をつけていく。
慣れた手つきだ。
すぐに赤々と燃える炎がついた。
「へぇ、すごーいなぁ」
「これで一発よ。火起こしは不要ってわけね」
「おもしろーい。
たしかにこれがあれば焚き火はいらないですよねっ」
小戸森さんは声を弾ませて応える。
「ふふ、意外と楽しんでくれてる。まだ始まったばかりなのに」
「あ……。い、いや、た、楽しくないですよー……」
「そう。じゃあさっきのは笑顔ではなくて、にやけ顔ってことにしておく」
「いや、ちょっとそれはそれで……」
少し焦った様子の小戸森さんとそれを見て微笑む姫路先輩。
意外とお似合いのようで見ていて僕も楽しい。
「姫路先輩、それで何を作るんですか?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれたわ鳴瀬くん」
すると、先輩はいきなり不敵に笑いだした。
「鳴瀬くんには何を作るか当ててもらうわ。ヒントはこのホットサンドメーカー」
「えっ、ホットサンドを作るんですか?」
「ぐっ……。なぜすぐわかったの?」
いや、だってホットサンドメーカーって自分で言ってたじゃん。
「あえてホットサンドメーカーと言うことでホットサンド以外を連想させる高等テクニックが……」
「いや、そんなの知りませんし……」
と言っている間に、姫路先輩は折りたたみ式の小型テーブルを広げ、その上に保冷バッグから取り出したハムやチーズ、チューブ型のバターを並べていった。
そして、食パンを僕に手渡す。
「まず食パンにバターを塗ってちょうだい。
私は紅茶用にお湯を沸かすわ。
お水を汲んでくるから2人でバター塗っていてね」
姫路先輩は『ガスがもったいない』と呟いてバーナーの火を消し、小鍋を持ってどこかへ行ってしまった。
先輩、じゃあなんで今火をつけたんですか……。
はぁ……と思わずため息が漏れてしまう。
なんか僕ずっと姫路先輩にツッコんでいる気がする。
「鳴瀬くん、ため息をつくと幸せが逃げるよ」
小戸森さんが食パンにバターを塗りながらそう話しかけてきた。
ため息はばっちり聞かれていたみたいだ。
「ごめん……。なんかこの部活に入ってもずっとこうなのかなぁって思っちゃって……」
「あはは、たしかにそうなりそう」
そう言ってる間に小戸森さんは食パンを1枚塗り終えた。
「小戸森さん、手際良いね。すっごく早い」
「そんなことないよー。これぐらい鳴瀬くんだってできるよ」
「いや、僕なんて全然そんな──あっ……」
言っていた側からバターを塗っていた食パンが僕の手から滑り落ちた。
綺麗に一回転半を決め、地面に着地する。
「あーあ、やっちゃったね。しかもバターを塗った面が下じゃん」
「……自慢じゃないけど僕はすごく不器用なんだ。それこそ妹に『お兄ちゃんって刃物を持つと呪いにかかったみたいな動きをするよね』って言われるぐらいには」
「あはは……まあまあ。食パンも洗えば食べられるよ。たぶん」
「フォローが適当すぎるよ……」
食パンを洗ったらたぶん水をすごく吸ってとても食べられないと思う。
というかすでに食パンの周りには蟻が登ってきていた。
これはアウトだ。
僕は食パンにごめんなさいをして、新しい食パンを袋から取り出した。
「まあ、次は落とさないでよね」
そう言う小戸森さんは2枚目の食パンにバターを塗り終えてた。
やってしまったなぁ。
僕は少ししょんぼりした。
すると、それを見かねた小戸森さんが笑いかけてくれる。
「ふふ。でも、こういう失敗っていずれ良い思い出になるものだから。
私は嫌いじゃないよ」
僕を励まそうとしてくれる小戸森さん。
僕はその優しい微笑みに不覚にも胸を高鳴らせてしまった。
「ご、ごめん……あ、あ、ありがとう」
顔が赤くなっていたら嫌だなぁ。
今のキョドってる僕、すごく気持ち悪いと思う。
「さぁ、残りも塗っちゃおっ? 鳴瀬くんの分も塗っちゃうね」
「う、うん、ありがとう」
僕は小戸森さんの顔をはっきりと見られないまま食パンにバターを塗っていくのだった。
「それにしても、食パンにバターを塗ってるだけなのに家でやるよりずっと楽しいって不思議だよねぇ」
僕の分を塗り終えた小戸森さんが食パンをテーブルに置きながらふと呟いた。
楽しい……? ふーん……。
僕はやっぱりそうかぁと思いながら相槌を打つ。
「あっ……」
するとその時、ちょうど良いタイミングで姫路先輩が帰ってきた。
「お待たせ。お水汲んできたわ」
僕はさっき小戸森さんが呟いていた言葉を伝えることにする。
「あの、先輩、小戸森さんが今、みんなでこうして料理するのが──ふがっ、ふがっ!」
すると突然、小戸森さんが手で僕のあごを下から上に押し上げてきた。
「…………?」
「な、なんでもないです!」
「私がお水を汲んでる間にもうそんなに仲良くなったのね」
「ええ、そうです!
私たち、あごをふがふがさせる仲にまでなっちゃいました!
だよね、鳴瀬くん?」
「ふが……」
空気を読めと言わんばかりに力を込めてくる小戸森さん。
僕は同意の意味をこめた『ふが』を送った。
たぶんこれ以上力を込められると、あごが死ぬ。
「ふふっ、いいわね。こんなに賑やかなの久しぶり」
そう言って笑う姫路先輩の顔はすごく魅力的でかわいらしかったが、僕はそれよりも抑えつけられているあごの方が痛かった。
そして、そんな僕をよそに姫路先輩は料理の準備を進めていく。
「それじゃあハムとチーズを載せて焼いていくわ」
姫路先輩はそう言うとホットサンドメーカーに火をかけながら、手際良くハムとチーズを食パンの上に載せていった。
しばらくして、バターをしいて温まったホットサンドメーカーに食パンを挟みこむ。
「うわぁ、すでにいい匂い……」
バターのやわらかな香りとこんがりと焼けていくハムとチーズの濃厚な匂い。
それらの織り成すコントラストに僕の食欲は限界までかき立てられた。
思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。
「鳴瀬くん、焼き加減はどうしたい?」
焼き加減……!
そんなこと全く考えてもいなかった。
おー、すごく悩ましい。
食パンの程よいふんわり感を残すのも良いし、カリカリに焼いてサクッとした食感を味わうのも良い。
どちらも甲乙つけがたい味だ。
僕がうーんうーんとうなっていると、先輩はうふふと微笑んだ。
「私が適当に決めていい?」
「すみません。お願いします……」
そうして姫路先輩はみんなの分のハムチーズホットサンドを焼いていった。
先に焼き上がったホットサンドは『食べていい』と言ってくれたので、僕は小戸森さんと半分こにして頂くことにする。
こんがりと焼けた香ばしいホットサンドだ。
「いただきます」
僕は勢いよくハムチーズホットサンドにかぶりついた。
……っ!?
軽やかなパンの食感がサクッと音を立て、噛んだ瞬間幸せが口いっぱいに広がった。
バターのコクとチーズのまろやかさ、そして、ハムの肉感。
それらが殴り合うが如く混ざり合って、僕の舌をガツンと攻撃してきた。
『うまい×うまいは超うまい』
そう思わせるかのように、それは暴力的なまでに僕の舌を刺激してきた。
あれ、ハムチーズホットサンドってこんなに美味しいものだったっけ……?
僕は隣に目をやった。
「お、おいしい……!」
小戸森さんも目を大きく見開いて舌鼓を打っていた。
笑みをこぼし、おいしそうに口をもぐもぐさせている。
そして二口、三口とそのままかぶりついていった。
「やっぱり楽しい? 小戸森さん」
「たの……お、おいしいですっ。おいしいだけで他は別にふつうです」
「あらでも、おいしいって山登りでは結構大事なことなのよ?
山では食事ってかなりの楽しみになるもの」
「じゃ、じゃあ、このホットサンドもふつうということで……」
「ふーん。なら、おかわりはいらないわね?」
姫路先輩はニヤニヤしながら小戸森さんの顔をのぞき込んだ。
小戸森さんの手にはもうハムチーズホットサンドが無い。
「……っ。な、鳴瀬くんはもうお腹いっぱいだよね?」
「えっ!? いや、えっ、僕は──」
「そうかそうかお腹いっぱいか!
残すのはもったいないから私が食べちゃおっかな〜?」
「いえ、その必要はないわ。
残ったハムチーズホットサンドは顧問の
「ううっ……」
小戸森さんは悔しそうに唇をキュッと結んだ。
そして、手をそわそわさせながら、僕の方に無言で何かを訴えかけてくる。
顔には『空気を読んでっ!』と書いてある気がした。
「普通に食べたいって言えばいいじゃん……」
「でも……でもっ……」
小戸森さんは口をもごもごさせながら己のプライドと戦っていた。
また、それを見た姫路先輩は楽しそうに笑って小戸森さんの頬をうりうり〜、とつつこうとしている。
……まあ気持ちは分からなくもない。
だってこの人のやる事は妙に挑発的だし、加えてそれを楽しんでいる節もある。
自分がハムチーズホットサンドを食べたいというのはなんか負けた気がするのだろう。
「食べたいの? それとも食べたくない?」
そう言って姫路先輩は焼きたてのハムチーズホットサンドを小戸森さんの目の前に持ってきた。
そして、それの匂いをかがせるように手であおぐ。
「ぐっ……」
小戸森さんは一歩後ずさった。
「どう?」
姫路先輩は一歩歩み寄ってハムチーズホットサンドを小戸森さんに差し出す。
「うぅ……」
小戸森さんがもう一歩後ずさろうとした。
しかし、小戸森さんは迷った末に後ろに引いた足を元に戻す。
「ほら、どうする……?」
姫路先輩はこれが最後のチャンスと言わんばかりにハムチーズホットサンドを見せつけた。
「…………た、食べたい……です……」
声を絞り出すように呟いた小戸森さん。
その言葉を聞いた姫路先輩はにっこりと笑う。
「ふふっ、素直でよろしい」
そうして姫路先輩はハムチーズホットサンドを皿に盛り付けて小戸森さんに差し出した。
「ありがとうございます……」
「もりもり食べていいわよ。
小戸森さんだけにね?」
「……っ!」
小戸森さんはカッと顔を赤くさせた。
「先輩、煽らないでくださいよ。
そんな事してたらせっかく入ってくれそうな部員が減りますって……」
「……わ、私は元から入るつもりなんかないからっーーー!!!」
ぷりぷり怒りながらホットサンドにかぶりつく小戸森さん。
こうして小戸森さんが不機嫌なまま山岳部の活動体験は終わったのであった。
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