善は善人にありて善行には非ず

「はぁ~~~~~~~~ぁ…………!」




 4人乗りの馬車は、いつも通り贅沢に、ふたりだけで貸し切りだった。


 前後に並んだ椅子の、その対偶に座ったネルの溜息は、外で車を牽くバシャウマホースの蹄の音すら貫通して、ありありと耳に届いてくる。屋根付きの狭い空間だからだろうか。真っ赤なベンチ型の椅子に座りながら、ネルは忙しなく爪先を打ち鳴らし、ガリガリとローブ越しに腕を引っ掻いている。



 グリルレッド王国の東端を出立して、そろそろ1時間。



 竜舗道りゅうほどうはもうすぐ途切れるはずだ。いつも通りにイラ立っているだけなら、そこで機嫌も直るはずだが。



 ……どうにも、様子が違いそうだ。



 ネルは八つ当たりをしないタイプだが、意識的か無意識にか、真正面に置いた俺の武器に足をぶつけている。……別に、お飾りの使わない武器だから、壊れたって壊したって構いやしないのだが。




「はぁ~~~~~~~~あぁっ……!」




 ギロ、と。


 吐き捨てるような溜息と同時に注がれる、刺してくるような視線。



 …………なら、まぁ、強ち八つ当たりでもないのか。



 それにしたって、もう少しストレートに伝えてくれやしないものだろうか。俺に言いたいことが、もっと言えば不満があるのなら、そうと言葉にしてくれればいいのに。




「……どうしたよ、ネル。そんなに竜舗道が嫌か?」



「ふんっ。……それだけではないわ。吾には、貴様の考えていることが皆目分からん」




 鼻を鳴らしながら、ネルは苦々しげな顔で俺を睨んできた。




「彼奴……あの下卑た老爺のために、アル、貴様何故そこまでしようと考える? 生意気ばかり抜かすあの人間を、わざわざもてなす必要もなかろうて。今のままでも十分だ」



「……決まりだからな。死刑囚にも人権はある。命を奪われる以上、最期の最後に希望を通すくらいは許される。……それが、この国の法だ。この世界での正しさだ。なら、俺はそれに準じるだけだよ」



「そうした貴様は、?」




 ……………………。


 人の武器に足をかけながら、随分と今日は、確信を突いてくる。


 それだけ、こいつもイラついているんだろうけどさ、あのジジイに。




「法も、正しさも、貴様を守りはしない。ただ縛るだけだ。だというのに、何故貴様は律義にそれを遵守する? なんの意味もなく、なんの言い訳にもならないのに、後生大事に守る意味はなんだ?」



「…………、駄々を捏ねても、別に変わりはねぇぞ? スリットガルダを狩って、シーゲイ・ジョーンズに提供する。これは決定事項だ。今更覆らない」



「あの人間に! 貴様が命をくれてやる意義はあるのかと訊いているのだ! アル・バーティッシュっ!!」




 ……流石、付き合いが長いと言葉選びも達者になる。


 だが生憎、義理もあるし、意義だってある。




「……何事も、下拵えっていうのは骨の折れるものさ。気骨まで含めてな」



「…………呆れる。それは、法の内に入らぬのか?」



「法ってのは人間様の作品だ。だから、相手にしか適用されないのさ」



「……詭弁を。そういう小細工は、自身が得をしようという欲深が弄するものでは?」



「得ならある。が笑ってくれるなら、俺にはそれが一番嬉しい」



「っ、……急にガキのように理屈を放棄するな。…………はぁ~ぁ……吾は、つくづく思うよ、アル」




 ローブの中で腕でも組んだのか、ただでさえデカい胸がぐいと持ち上がり。


 そこに顔が埋もれないように、ネルは壁へと凭れかかって、またも特大の溜息を吐いて言った。




「貴様でよかった、とも――――貴様ほどの善人でなくともよかったのに、ともな」



「……痒いことを言うな。善人? はっ、笑わせんなよ、ネル」




 思わず失笑してしまい、俺は背中を折り畳んだ。


 前世でとはいえ60人殺して、こっちでだって人殺しなこの俺が。



 善人だなんて、最悪な、冗談だ。






「――――あ、あのぉ……」




 コンコン、と。


 客室への扉が叩かれ、外から微かに声がした。



 近い場所にいる俺がノブを捻ると、御者が酷く遠慮がちに立っていた。ふわふわの白い髪の毛で、眼どころか顔すらまともに見えないこの御者は、もう10回以上は世話になっている馴染みなのだが、未だに顔も名前も、性別すら分からない。



 俺が外へ顔を出すと、御者は「ひぅっ……」と声を上げてその場を空けた。馬と馬車との連結部に立っていたらしく、華奢な身体だというのに、ゴツゴツした竜舗道にキレイに着地する。



 ――――他の猛獣より、圧倒的な力を持ち恐れられる獣、ドラゴン。



 危険レベルEXとして定義され、近寄ることすら禁忌とされるドラゴンの骨や牙、肉や皮などが、竜舗道には使われている。死してなお放つ重圧が他の獣を寄せつけず、ギルドのハンターは勿論、同質の砦に囲まれたグリルレッド王国そのものも、猛獣による災害を危惧せずに済んでいる。



 だが――――そんな安全圏は、ここで途切れている。



 これ以上道を伸ばすには、ドラゴンの死体が足りないのだ。




「なんだ、着いてたか。いつもありがとう。ほら、ネル行くぞ」



「チッ……はいはい了解ですよ、師匠」



「あ、あのあのっ」




 馬車から颯爽と降りるネルは、すれ違いざまに武器を渡してくる。俺も俺で、慣れた調子でそれを受け取り、やたら重いそれを肩へとかける。



 そんな最中に、御者は声をかけてきた。


 立派な制服とは裏腹に、もじもじと、怯えたような仕種をして。




「……? どうかしたか?」



「…………あ、あのっ、お、おふたり……今度、今度もちゃんと、大丈夫、ですよね? す、スリットガルダ……そんな化物相手でも、し、死んだり、しないですよ、ね……?」



「…………」



「だだ、だって、おふたりいっつも、そんな軽装で……わわっ、わたし、わたしが運んだ先で、お、おふたりに、死なれちゃったら、それは……」



「……いっつも軽装なんだから、それを理由に怖がんなよ」


 いっつも帰ってきてるだろ?




 ――――思っていたより律儀で臆病で、怖がりだった御者の頭を撫でて、俺は、にかりと笑ってみせた。




 ちゃんと見ておけ、ネル。



 自分の責任な訳がないのに、自分の所為だと背負い込みかねない。常に相手を気遣って、相手のことばかり心配している。




 こういうのが、善人だ。




 俺みたいな贔屓癖のある輩とは、天と地ほどに違う奴だ。




「あぅ……で、ですが……」



「いいから、先に帰ってな。その代わり、ギルドにたむろしてる奴らに指示出しておいてくれ」




 身の丈ほどもある大斧を背負い、竜舗道から一歩先に出る。


 国の東に広がるのは、広大な砂地だ。風が吹き抜けるだけで砂埃が嵐のように舞い、タンブルウィードの代わりに、千切れた猛獣の頭が転がっていく。血の跡目当てに人間大の虫が寄ってきて、それを地中から顔を出した鮫みたいな猛獣が呑み込んでいく。



 成程、正に奈落だ。



 尤も、落ちて餌を恵んでやる気なんざ、俺にはさらさらないのだが。







「極上の鳥肉を仕入れてやるから、運ぶための人員めいっぱい、そこで待機してろってな」





 振り返って見ると、御者は。


 微かに髪の隙間から眼を覗かせて、こくり、と大きく頷いていた。

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